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愛すべき仕事を自分でつくるということ

やりがいのある仕事をしよう!

ちまたに溢れたこんなフレーズ。言うは易し、行うは難し。真面目に考えはじめると、自分のやりたいことでは稼げないよなあとか悩んでしまうでしょう。

キャリアコンサル系の人は、自分がやりがいを感じることを要素分解して、やりがい要素の多い仕事を見つけましょうとか言います。たとえば、「医者になりたい!」を分解していって、人を支援するのがやりがいだと気づいたのなら、医療職でなくても人の支援ができる仕事を探すといいよ、とか。

まあなかなかそういう簡単なものじゃないんですよね。

これは例ですけど、「祖父が亡くなったときに、遺族で相続に揉めそうなところ、法律の専門家にお世話になったので自分もなりたいのです」という若者がいたとして、見事法律家になれたところで、普段の仕事はそんなに綺麗に解決できる場合だけではなかったりします。登場人物全員クソッタレなケースで、誰の利益を優先しても後味が悪く、依頼人にまで罵倒されて終わるのが日常になったりとか。

「俺は人の迷惑になりたくてここまで頑張ってきたんじゃない」と枕を濡らす日々を送ることになるかもしれません。

さて、前回に続き、もうちょっと、こちらの本をダシにしゃべってみましょうか。

自殺への道はやりがいで舗装されている

やりがいのある仕事の例として、『NINE LIES ABOUT WORKS』では、医療系の職が挙がっていますが、米国では医師の52%がバーンアウトを報告していて、PTSDの発生率は15%と一般労働者の4倍で、イラク・アフガニスタン帰還兵の平均発生率さえ3ポイント上回っているとのこと。

これはおかしい。

やりがいがある仕事をみんなしたいのではなかったのですか。

やりがいのある仕事をしながら、医師は鬱になり、鬱起因の自殺率は平均の倍とのこと。こんなものをみんなしたかったのか。

これでは、自殺への道はやりがいで舗装されていることになってしまいます。

僕もかつては激務でした。電車のある時間に帰れないのは当たり前。テッペン超えてからが勝負。みたいな。

そういうとき、不思議にやりがいは感じたものです。「替えのきかない人間」と錯覚させてくれるからなのか。理由はわかりませんが。

ただ、その仕事を人に勧めたいとは思いませんでした。本書でも、医師でありながら、その73%はわが子には医療専門職を勧めないと答えているそうです。

このやりがいのある仕事の先に、死神の鎌が待ち構えていることを、感じ取っていたのかも知れません。僕はそうでした。自分に死亡保険をガッツリ懸けて働いていましたし。

仕事とは、「耐え忍ぶことと」と見つけたり?

給与は日本語では報酬と言ったりもしますが、これは英語では Compensation となり、償いとか埋め合わせとかいう意味になります。

こんな不自由・苦痛を味わわせてすまんな、という補償のようなものです。

サラリーマンとは、理不尽と無意味に耐えることと見つけたり

てなことを、以前の記事『気がつけばそこに「あたりまえ」』で書きました。これは当該記事で否定するために挙げた文言ですが、報酬を苦痛の対価と捉えると、まさにこのような感覚になるわけです。

つまり、賃金とはただの金銭ではなく、仕事の避けがたい悪影響を埋め合わせるためのお金、苦しみに耐えるための賄賂なのだ。
(『NINE LIES ABOUT WORK』)

ここまでの話をまとめると、仕事なんてやりがいがあろうがなかろうが、辛いものだから諦めろという話になります。そして、やりがいがあっても鬱自殺に行き着く率は下がるどころか上がる場合がある、と。

淀む水に芥たまる

そういうわけで、編み出されたのがワーク・ライフ・バランスという概念なのかなという気もします。仕事場は苦痛を感じる場所であるから、さっさと諦めて家庭で楽しさを補充しろと。

でも、家庭だってそんな楽園じゃありません。家庭経営というのも、一連の問題解決です。家庭というのはチームであり、チームで集団生活を成立させる営みです。そこに「仕事」がないなんてことはありえない。

結婚相手を選ぶということは、問題をワンセット選び取ることだ。
(ダニエル・ワイル)

これはやや皮肉っぽいですが、以前の記事『人生はトラブルだらけ: でも、やわらかく行こう(1/2)』で取り上げたものですね。

人生で何かを自分で選ぶということは、問題をひと揃い手に入れることです。どんな課題とともに生きたいのかを選ぶ自由だけが、唯一人間に許された自由です。

つまるところ、ワーク・ライフ・バランスを考えただけでは何も解決しないわけです。ワークもライフも課題の集合です。バランスを取るというだけでは本質に迫れない。

本書『NINE LIES ABOUT WORK』によると、人体にたとえて次のように述べられています:
何かが「健康」だといえるのは、その何かに備わったプロセスが、外界からインプットを取り入れ、それを代謝して何か役に立つものを生み出し、なおかつそれを持続的にやり続けることができるときである。健康はバランスというより、運動なのだ。

……ようするに、あなた本人にとって活力になるようなインプットが外部からなされ、あなたの内部好ましい活動が行われ、かつ、あなたが外界に好ましいアウトプットをしていると思えるとき、その人は健康である/幸福であるといえそうです。

こういう関係を自分-仕事間で形成できれば良いということになります。まさしく、流れる水は腐らず、といった感じです。

仕事の気持ちいいポイントはみんな異なる

本書では、次のようなヤバい麻酔医が登場します。この人は患者を診るなんてことは大嫌いだけれど、自分の仕事の中に「好き」を見いだしています。ややアブノーマルな気さえする発言が飛び出します。

「患者を回復させなくてはという、プレッシャーが嫌いだと言ったんです。僕がたまらなく好きなのは、患者に生死をさまよわせることのストレスですよ。(中略)患者を眠らせ、生死の境目に立たせ、ときには16時間もその状態を保つことがあるのに、どうなっているのか、なぜそうなっているのかはわからない──そこにシビれるんですよ!」
(『NINE LIES ABOUT WORK』)

この人物は医者だけれども、人を治療するということは好きではない。けれども、患者を長時間深く眠らせておいて、その間に人体を切ったりつないだりできるのに、そのあとに何ごともなかったかのように目覚めさせることができる、麻酔という不可思議な技術に耽溺していることがわかります。

医者であれば志高い目的を持っているだろうとか、僕らは勝手に思ってしまったりします。でも、この仕事だったらこういうところにしか喜びはないだろうというのは思い込みであると思い知らされます。

実に、わけのわからんところに喜びを——愛を——感じることを、人間はできます。人の幸せは、一般論からかけ離れたほうが見つけやすいのかも知れません

LOVE IS NOT OVER

上でみたように、自分の仕事に対して独自の視点で、「好き」を見いだすと強いです。ここで大事なのは、一般論に合致した「好き」ではありません。自分の独自の「好き」です。

ワーク・ライフ・バランスをあてがわれるよりも、他人からこの仕事はあなたに合っているよと押しつけられるよりも、自分で、これがたまらんのだというものを見つけるのが鍵になります。

ものは試しです。自分のお気に入りのコップをひとつ、戸棚から持ってきてみましょう。よく眺めて、観察してみるといいと思います。個人的におすすめなのは、そのコップの良さを、A5ノート1ページ分、全部埋まるくらい書き出してみることです。

するとだんだん、「へへへ……ここの曲線がたまらんぜ……。この底の絶妙な厚み……」とかになってきます。気持ち悪いかもしれないですけど、それでいいのです。自分の「好き」のポイントがどれだけ自分だけの物であるかを自覚できればいいので。

ここまでくるとより明確になってくるかなと思います。自分の「好き」は他人には作ってもらえないということに。ましてや、仕事場でしか顔を合わせないような、上司があなたの好きを把握しているわけがありません。

いや、逆にいやですよね。もし、上司があなたの「好き」をバッチリ把握していたら。もし、上司から「お前はこの仕事を好きになれ。こういう仕事の愛し方があるぞ。これが正しいぞ」なんて言われたら。人の愛し方も仕事の愛し方も他人にとやかく言われたくないはずです。

自分のためだけの職務記述書

本書では、勤務時間の20%以上を愛する仕事に費やしていると報告した医師は、バーンアウトのリスクが著しく低かったとの調査結果を伝えています。

仕事の全部でなくていい。2割を、自分の独特の感性において、好きなものに変えればいいのです。

原理的に、これができるのは自分だけです。

日本以外の国では、求人は「職務記述書」(Job Description)と呼ばれる書類に沿って行われます。職務記述書にはだいたい「こういう仕事をしてもらいます」(Responsibilities)と「こういった経験のある人を募集します」(Qualifications)が書かれています。

なので、仕事を獲得したばかりのときは、好きではないものがたくさん入っている場合が多いです。それも全部、できます! と言ってそのJobを獲得するわけですが、全部心地よくできるかというと別問題です。

ただ、入社して自分のポジションを確立したあとは、チームワークが使えます。仲間と相談して、相手の苦手なものをもらいながら、自分の苦手なものを渡すのです。

人には得意不得意があるので、他人が苦手なものが、自分の好きなものである場合が結構あります。

こうやって、自分のポジションの職務記述書を書き換えていくのです。自分を変えるのではなく、「このポジションはこういう仕事をするものである」という記述そのものを書き換えていくのです。

最初から自分にぴったりの仕事なんて、ほとんどありません。それに当たればラッキーでしょう。でも、そんな幸運頼みでは人間は持ちません。

なので、仕事を(業務の組み合わせを)自分好みにいじり倒すのです。感覚的に、1年もかければ、それなりの職務記述書の書き換えができる気がします。そうして、自分の独自の「好き」が2割を超えるように調整するのです。

上では海外企業的な職務記述書を例にとって述べましたが、日本企業のように「個人」単位ではなく「課」単位で仕事を負っている組織では、職務内容の融通はもっと柔軟に実行できる気がします。「課」全体でミッションが達成されさえすればいいんですから。

結局のところ、自分が仕事でハッピーになれるかどうかは、多忙かそうでないか、ワーク・ライフ・バランスが整っているかどうか、などではなく、「好き」がどれほどあるか、それを上手く自力で調節できているかに掛かってくるようです。

そう考えると、とても面白いですよね。従来、「科学的経営管理法」はこんなものは変数として扱っていなかったんですから。

個人の感情をどれほど真剣に取り扱うか。これが個人がバーンアウトを防ぐうえでも、組織が強固であるためにも、極めて重要になるということ。これを忘れないようにしたいですね。

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