学力に応じた必要以上のクラス分けの危険性

 最近多くの私立中高では、大学入試実績を向上させるために学力に応じた選抜を行い、勉学ができる生徒を囲い込む取り組みを行う学校が増えたなと感じている。それらの学校の入試結果を見る限り、程度の差はあれども設置の目的に沿った結果は出ているように思える。
 しかし生徒たちは大学入試を突破することを使命として生まれてきたわけではなく、彼ら一人一人の人生を歩むために生まれてきたという大前提を踏まえれば、この制度は益よりも害が上回ると僕は考える。
 そもそもこの制度の擁護をする上で想定できるのが、学力が高い生徒が彼らに見合わない低いレベルの授業を受けさせられることは、学習機会を奪うことになるという意見だ。勿論その通りで、己が合ったレベルの授業を受けることは権利であるが、それは展開授業で十分担保可能だと考える。進路指導上の都合でクラスを分ける(文理分離等)ことはやむを得ないとしても、中学入試や高校入試で既に選抜が済んでいて、授業進行上問題が発生する可能性が小さいのだから、わざわざホームルームクラスを分け、行事といった授業に関係ないことまで分離を行うのは論理的でない。
 ではこの学力に応じた必要以上のクラス分けが引き起こす問題とはなんであるのかを、以下3つの観点から考えていきたい。
 1つ目に、この行為が階級を作り出してしまう点である。現実社会では経済的な状態に応じた階級が、資本主義・新自由主義の進行によって再拡大し、富の偏在は世界の超富裕層1%が資産の37%を独占(1)するという事態が生じている。これはスケールの大きい話であるが、日本社会においても中間層の没落により、富裕層や純富裕層と、経済的に厳しい層間の格差は拡大している。この問題に対処する上で、同じ社会を構成する市民としての意識を身につけるシティズンシップ教育が、人格形成に大きな影響を与える重要な中高時代において、他の勉強と同じくらい重要と考える。他者より学力が優れていることは、本人の努力があることを否定はしないが、それ以上に経済状況や環境、経験が大きな役割を果たしていることは、マイケル・サンデル(2)が言うように間違いない。所謂勝ち組と落伍者へと人々を分けるようなことを青年期に学んだ人々は、極めて利己的で悪い意味で個人主義的な、資本主義モンスターのような怪物となってしまうだろう。当然社会の構成員全てはつながっており、弱い立場の人を搾取するような経済は今にも破綻しようとしている。このような転換期であるにも関わらず、階級を人工的に作り出すやり方は、愚の骨頂である。
 2つ目に、多様性に触れる機会を失うということである。社会に出ると、自ずと同業種や同じバックグラウンドを持った人々に交友関係が狭まることになる。医者の友人は医者や弁護士、工場労働者の友人は工場労働者のように。こうなると前述した社会の構成員であると意識することが難しくなってしまう。だからこそ、小中高とさまざまな背景の人と出会い、交流し、友となることは、社会が持つ多様性を理解する貴重な機会となるのだ。しかし学力の高い生徒が囲い込まれてしまうならば、より単一で無機質な交友関係となり、視野が狭くなってしまう恐れがあると考える。
 3つ目に、不必要なプライドを持ってしまう危険性である。学力というのは、その人の限りなく広がる価値を一つの方向から切り取るものであり、スポーツや芸術、人間性、行動力などその人を評価する一つの指標に過ぎない。それにもかかわらず、学校という学力が主に評価される空間で囲い込まれ差別化されることは、他に輝けるものを持つ多様な人々を卑下し、虚栄を張らせるだけである。公では何も言わないとしても、どれだけ人柄がいい人だとしても、3年〜6年という長い月日を重ねると、多かれ少なかれ卑下するような意識が芽生えてしまう。高校から希望する大学に進学できたとしても、意味のないプライドが残るならば、その後の社会では人付き合いはしづらくなり、生徒たちのその後の人生を狂わせてしまうことになる。
 以上3つの観点を考えてみたが、このような制度を導入する学校は思慮不足か、大学進学実績に固執して生徒の人生や人間性をなどを考えないかのいずれかのケースが多いのかなとすら思てしまう。教育というのは入試の突破のような短期的な目標のためにあるわけではなく、生徒たちを人間的に成長させ、社会をより良くするためにあるのだ。学校がその使命を考えた時には、このやり方がどれだけ浅はかなものだったのかと気づくことだろう。僕は、一人一人のかけがえのない人生をより良いものとし、社会をより良いものとするために、この愚かな制度がなくなることを望む。

おまけ
というわけでダラダラと自称進学校の典型となりつつある、学力に応じたクラス分け制度の危険性について考えてみた。僕自身、学力選抜クラスに在籍した経験があり、周りの生徒の空気は程度の差はあれども前述の危険性を色濃く感じた。この制度は人の人生を大きく狂わせてしまう可能性すらあるので、本当に無くなってほしいと思ってる。本当だよ。息が詰まるよ。だから自主的に降りたんだよ。

(1)
世界の超富裕層1%、資産の37%独占 コロナで格差拡大. (2021, December 27). 日本経済新聞. https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB272Q20X21C21A2000000/

(2)
マイケルサンデル. (2021). 実力も運のうち 能力主義は正義か? (6th ed.). 早川書房.

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