出産と育児休暇
この度、2023年7月上旬に第一子となる男の子が生まれました。
母子共に健康で出産を終えてほっとしていますし、
妻と赤ちゃんは本当によく頑張ってくれました。
私自身も出産までの過程を全て立ち合えることができて
本当によかったです。
今回、なぜ立ち合えたのかも含めて、
出産と育児休業について書いてみようと思います。
ご参考あれ。
1.育児休業について
妊娠がわかった段階で必ず出産には立ち合いたいと思っていました。
それと同時に妻の産休や育休について、私自身も「色々と調べないといけないな」と思った時に「男性には同じような制度はあるのか?」と気になって調べてみたらこんな制度ありました。
「産後パパ育休」(出生時育児休業)
「産後パパ育休」(以下パパ育休)は、育児介護休業法が改正されて令和4年10月1日から施行された制度です。以前から男性の育休はあったのですが、さらに今回の制度が始まりました。
ポイントは下記の点です。
①「子の出生後8週間以内に4週間まで休業の取得が可能」
②「分割して2回取得可能」(申請時にまとめて申出が必要)
①については、出産予定日を起点として、8週間(56日間)のうちに最大4週間(28日間)休業できるということです。
②については、最大4週間休業が可能ですが、これを2分割して取得できるということですね。
8週間のうち最初の2週と最後の2週に休業するというパパ育休の取り方ができます。しかし、申請時まとめて申出が必要なので、どのように休みを取るかは奥さんと相談して慎重に取得した方が良いと思います。
私の場合は7月上旬が出産予定日でしたが、8月が繁忙期になるため、7月中に3週間まとめて取る形にしました。
流石に繁忙期にパパ育休を取るのは忍びなかったです。。。
他にも色々ポイントがありますが、上記の厚生労働省のサイトに色々と書いているので調べてみてください。
2.パパ育休にあたり職場への根回し
「根回し」
社会人にとってめちゃくちゃ重要な事柄ですね。調べると下記のように説明されてました。
言葉の通りですね。これ疎かにすると色んなハレーションが起こって、大変なことが起こりますし、大変なことを起こしてる人をよくみてきました。
逆にこれができる人は仕事出来ます。その人についていきましょう。
このパパ育休は取得の2週間前までに申請が必要となります。
かと言って2週間前に「はい!2週間後にパパ育休で休みます!!」というのは破天荒すぎます。間違いなく仕事出来ない人だと思います。
私自身の場合、職場がシフト制でかつ、毎年2月終わりには翌年の1月までの年間シフトも発表される部署でもあるので、安定期に入る前に部長や課長、勤務デスクなどのごく一部に妊娠を伝えておきました。そのときにパパ育休を取る旨も伝えようと思ってましたが、「嫁が妊娠しました」と報告したら「おめでとう」のあとに必ず「休みちゃんと取りやー」と言ってくださってたので、めちゃくちゃパパ育休を取りやすかったです。
男性が育休を取りにくい社会というのも昔の話になってきているのでしょうか。素晴らしい傾向ですね。
しかし、シフト上は休めていても、パパ育休を取るためには会社の管理部側でも様々な手続きが必要です。
上長→管理部→関係機関各所へと手続が行われていくはずで、この報告がないとパパ育休は成り立ちません。
これが成り立たないと「育児休業給付金」もないまま、ただ休んでいるだけになりかねません。
「そんなもの無くてもいけるわ」「釣り銭はくれてやる」なんていう経済状況でもないので、貰えるものはきっちり貰っておくためにも、今回の手続きは重要です。
さらに、この制度は始まったばかりで私が会社の中で取得第一号の可能性もあり、誰もが手探りの状況の中で、この制度を使うことが想定されました。瑕疵があっても最小限で済む状況にしておきたかったので、取得する旨をメールで伝え、証拠に残しておき、「こういう制度なのでこういう取得の仕方をします」と事細かに説明しました。
念には念をです。
その後、腸が煮えくり返るほどしょうもない出来事が一部ありましたが、管理部から取得に際しての書類が送られてきて無事に取得することができました。
とにかく私自身でとことん調べて、いろんなところに根回しをした上で、パパ育休を取得できてよかったです。
3.パパ育休の開始と出産立ち会い
それまでギリギリまで仕事をしていましたが、陣痛などの大きな前兆はなく、パパ育休初日を迎え、事態は大きく動きます。
パパ育休開始日=出産予定日ということですが、当日朝に少量の破水がありました。
「陣痛もなくいきなり破水?!」と驚きましたが、冷静に対処しなければいけません。
妻は少量の破水はあったものの、動ける状態だったので、入院予定の産婦人科に連絡をしてもらいました。
その間に私は産婦人科に向かう準備です。
前もって妻が入院と出産に必要なものをスーツケースやバックに詰めており、病院に向かう場合のシミュレーションもできていたので、素早く用意を整え、タクシーの手配も済ませました。
いざ家を出るときに、手に家の鍵を握りしめながら、「家の鍵どこや!!」と探し回っていましたが、動揺して冷静さを欠いていた訳ではなく、場を和ませるボケだったのかもしれません。真相は闇の中に消えていきそうです。
タクシーに乗り込んで病院に着き、産婦人科の先生に診てもらうと破水が確定したため、入院という流れになりました。入院や出産に関する説明を受けて、後は病室で陣痛待ちの状況でした。
この産婦人科は妻が調べて、定期健診でも通っていたところで、入院する際も個室になっており、非常に快適で親切な所でした。
第二子、第三子を授かった場合もお世話になりたいと思いましたし、友人知人が出産する場合は、ぜひおすすめしたい産婦人科です。
さて、お互いの家族にも状況の共有は大切です。というのも出産の立ち会いは私しか許されていません。(いつ何時も夫のみなのでしょうか?)
産後の面会も私と妻のお母さんしか許可されていませんでした。
産婦人科と小児科がある病院は感染症には敏感です。なぜなら妊婦への感染症は妊婦だけでなく、胎児にも大きな影響を与える可能性があるからです。
このような状況から人数制限があり、情報の共有元は私からしかできないため、家を出る前には両家の家族、特に妻の家族には連絡を密に随時状況を伝えて、安心してもらいました。
夕方になっても陣痛の気配がなく、面会時間等の関係から、私は一旦帰宅しました。帰り際に商店街で牛丼を買って、家で一人で夕食を済ませて、さあ風呂でも入ろうかと思った頃、妻から一報があります。
「陣痛が始まった。すぐにきて!!」と。
半裸から全裸になるところでしたが、すぐに服を着て、タクシーに飛び乗りました。
タクシーに乗り込み、行き先を伝えると運転手の方が不安そうに「この辺りの地理に詳しくないんです」と言われましたが、一大事が迫っているので、私は鬼気迫る勢いでGoogleマップのナビゲーション並みに道順を指定しました。気づくと「その車線にいると強制的に右折させられるから、こっちの車線の方が良いですよ」など、車線変更まで指示してました。普段タクシーに乗った時は特に道順を指定せず、運転手の方にお任せするのですが、この時ばかりは我ながら完璧なナビゲーションでした。
降車際、運転手の方に車中で事情を説明していたので、「頑張って!」とエールを送られました。とても励みになりました。
病院に到着し病室へ駆け込むと、薄暗くなった病室の中で妻は日中の姿とは一転、体を丸めてベッドに横になって苦しんでいました。陣痛での苦しみの最中でした。後日聞いたところ「今までにない痛みだった」ということでした。
この苦しんでいる姿を見て、ある言葉が頭をよぎります。
「陣痛の平均時間は10〜12時間」
私が到着した頃、陣痛が始まってまだ1時間くらいでした。これがあと何時間も続くのかと思った時、妻の体力と胎児の体力は大丈夫なのかとかなり不安になりました。
時折、当直の助産師さんが様子を見にきたり、胎児の心拍を測る装置をつけにきたりしてくれました。
助産師さんは苦しんでいる妻、その妻を見て心配そうにしている私を横目に平然と淡々と仕事をします。
逆に助産師さんが慌てふためいていたら、全員がパニックになっているので淡々と仕事をしてくれていてよかったです。
その淡々と仕事をする中でも人間味も感じられる人たちだったので、非常に頼もしい助産師さんでした。
陣痛から2時間くらい経った頃、助産師さんから陣痛が治ったタイミングで分娩室へ行こうと言われました。
時刻は20時前で日付が変わる前に生まれる可能性があるとのことでした。
陣痛が治まったタイミングで妻を車椅子に乗せて、分娩室へ移動しました。
ここから最終決戦へと一気になだれ込みます。
陣痛がくる間隔は非常に短く、陣痛のたびに妻は苦しみますが、呼吸を浅くしたり止めないでと助産師さんから言われました。胎児に酸素が行かなくなるからです。また陣痛が治まったタイミングは休息の時間です。体を休めて呼吸を整え、次の痛みや出産のタイミングに備えないと体力が持ちません。
この時、私はサポートに回るしかありません。
汗が流れていたらタオルで汗を拭い、喉が乾いたらストロー付きの水を差し出し、助産師が錠剤を取り出した時も素早く水を用意する。腰に痛みがきた場合は腰を摩って少しでも痛みが和らぐようにしてあげたり。
さらに妻が呼吸を整えようとしている時や、お腹に力を入れて胎児を出す所作である「いきむ」場面では一緒の呼吸をしてリズムを合わせることもしていました。
いきむ回数と休憩する感覚が短くなってきた頃、助産師さんから「あともう少しだよ!!」と言われました。約10ヶ月間、妻のお腹の中にいた子とまもなく会えるのだと思い、すでに感情は昂っていました。
すると程なくして、産婦人科の先生が駆けつけてくれました。「もうすぐやね」と声をかけてもらいました。この時、分娩室には先生が一人、助産師 (兼看護師?)さんが二人、そして妻と私がいました。心強い仲間が増えた安心感と同時に、私も含めたチームでこの出産を乗り切るんだという感覚になりました。
しかし、お腹の子は一向に出てきません。先生によると「ネックレス状態」になっているとのことでした。これは臍の緒が体に巻きつく「臍帯巻絡(さいたいけんらく)」の中で、首に巻かれた状態の「頸部巻絡(けいぶけんらく)」をさす言葉のようです。珍しくはない状態なのですが、血流が悪くなり、一時的に心拍数が低下することもあるようで、実際、お腹の子の心拍数が一時的に低下していました。
先生が駆けつけた理由は、この「ネックレス状態」になっていることで分娩が少し難しい状態になっているからだったそうです。
程なくして、心拍数は安定してきましたが、お腹の子はなかなか下に降りてこず、先生は妻とお腹の子の体力などを考え、「吸引分娩」をすると言いました。「吸引分娩」とは「器械分娩」の一つで、吸引カップをお腹の子の頭につけ、吸着させて引っ張る手法です。
イラストがわかりやすくていいですね。
私は訳もわからず、その器械が装着されるのだけをみていましたが、先生は「私の力は1割くらいしか使わない。これはあくまでもサポートする器械だよ」と言いました。最後は妻の力が必要なのです。装着が終わって、いきむタイミングがきて、いきんだ時にその瞬間が訪れます。
22時40分
我が子が生まれました。
しっかりと元気よく泣いて生まれてきてくれました。
その姿を見た時、その泣き声を聞いた時、この10ヶ月間の出来事が一気に蘇ってきました。妊娠を知った時、お腹が膨らんでくる様子、エコー写真の様子、そして、お腹の中から胎動を感じるとき。これらが一気に蘇ってきて、今生まれた我が子に投影されているようで不思議な感覚でした。
出産直後に我が子と妻にかけた言葉は「ありがとう」だったと思います。
生まれてきてくれて「ありがとう」
出産してくれて「ありがとう」
特に妻はギリギリまで仕事を頑張り、産休に入り、予定日が近づいてくると、しっかり散歩をし、スクワットをし、怠ることなく出産に備えてくれました。努力によって無事に出産ができたのだと思います。
本当にありがとう。
また出産予定日に生まれることは、全妊婦の中でも2%の確率だとか。
すごいことに立ち会えました。
そして病院の先生たちにも感謝しかないです。
チームみんなでこの出産を乗り越えました。
分娩後は赤ちゃんは別室の落ち着いた環境で一夜を過ごしました。これは分娩直後のお母さんにもゆっくりと休憩してもらうためだということです。
妻と病室に戻り、腰を落として一息ついた時に、この出産の喜びをもう一度噛み締めました。そして妻にもしっかりと睡眠をとってもらうため、病院を後にしました。
時刻は24時を過ぎて日付が変わっており、電車もないのでタクシーで帰ることにしました。
大きな交差点のところで一人ぽつんとタクシーを待っていました。
流しのタクシーがいれば良いと思ってましたが、辺りを見回してもその気配はなかったので、タクシーアプリで配車しました。
待った時間は5分ほどだったと思います。スマホでそのタクシーが来るのをモニターしていました。
深夜で蒸し暑さは残っており、熱帯夜のようでしたが、覚めやらぬ興奮と清々しい気持ちのせいで、不快な気候とは一切思いませんでした。
我が子が無事に産まれた。
妻が無事に出産した。
私自身が父になった。
いろんな感情で清々しい気持ちになっていました。
4.終わりに
パパ育休を取得することで、出産当日は仕事を休むことができ、入院から出産までの妻をサポートすることができました。「一緒にいてくれてありがとう」と言われた時は、とても嬉しかったです。
少しの入院を経て、今、自宅で育児をしています。
かなり大変ですが、育児に専念できる環境でしっかり赤ちゃんと向き合えているので、これもパパ育休を取得してよかったと思う点です。
この育児期間についても、落ち着いたタイミングで記していこうかと思います。
今回の記録はここまで。
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