真(本当)の情報が100%の情報

かつて、グレゴリーベイトソンという学者が

any difference that makes a difference
“差異を生む差異”を作り出せる

という言葉を残した。

言い換えると

情報の差異は差異である

僕はこの言葉とても好きだ。

この言葉はリハビリテーションの仕事を通してこの言葉を知った。
僕の治療の基盤として取り入れさせてもらっている。


グレゴリーベイトソンはこのように述べている、

黒板上にチョークの先をメリメリと押し潰して厚みのある点を作る。・・・今黒板面に対して垂直に私の指-触覚の最も鋭敏な部分-を近づけていく。その場合、段差の感覚は生じない。しかし盛り上がりを横切るようにして指を動かせば、はっきりした情報が手に入る。・・・変化のない黒板の上を滑らかに進んでいた私の指が、盛り上がった点の縁と出合う、時間上のその点に一つの非連続、一つの段がある。・・・我々の感覚系が、出来事(変化)に対してのみ作動することを、この例は示している。(133ページ)

カントを引用し、情報を“ちがいを生むちがい”と定義する

この一本のチョークは幾百万もの“可能なる事実”を含んでいるが、その中でごくわずかなものだけが、事実に対して反応する能力を備えた存在の行動を左右することによって、真実になると。

カントの事実という言葉を、私は差異(ちがい)という言葉で置き換えて次のように指摘したい。このチョークには無限の差異が可能性として含まれているが、その中でごく一部のものだけが、より大きな存在の精神プロセスの中で、実効的な差異(各情報項目)になると。それら、ちがいを生むちがい、こそが情報なのである。(134ページ)


とても難しい領域であるが
この話を読むとなにか心がスッキリする感じを僕はうけます。


では、情報収集とはなんだろうか。

インターネットで調べることや
辞書や本などを用いて調べること
とても立派な情報収集である。

しかし、何かが足らない。

それは

『経験』

という、情報収集である。

ネットに書かれていることや
本に書かれている情報は
実際に誰かが試した結果である。

その情報とは正しいのか!
それはその人にとっては正しい情報で
他の人には正しくない情報なのかもしれない。

ということになる。

アンチになりたければそれを言い続ければアンチになれる。

では、真の情報とはなにかというと


誰かが試して得た情報を収集して、実際に自分で試して、違いを生み出すことが真の情報となる。


調べる
読む
聞く
こういう情報は知識として身につけられる。

しかし、知恵としては使えていない。
知識として得たことを実際に行うから
知恵として役に立つのだから。

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