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思考における不都合な真実

1.「自分の思考は最高」という幻


突然ですが、
「自分の思考は最高だと思いますか?」
このように問われた時に、あなたはどのように回答しますか?


多くの人は、「自分はそれほど賢くないので・・・」と謙遜する人が多いのではないだろうか。一方で、自分の思考とは一生の付き合いであり、他の人よりもよく考えられていると一定レベルで自信を思っているのではないだろうか。そもそも、自分の思考を信じられないと、それこそ考える全てのことに不安になり、誰かのモノマネ、『存在しない幻の正解』を探し続ける不毛な思考に突き進んでしまう。最近、よく聞くようになった「自己肯定感」も分解すると、自分が現実世界で「行動したこと」、さらにその行動を決めた自分の「意思決定」、そして意思決定するための選択肢を考えた自分の「発想」を肯定していくというものである。

※本ノートでは、創造的思考を「発想」、選択的思考を「意思決定」、創造的思考と選択的思考を包含したものを「思考」と便宜上呼ぶこととする。

現在の技術で自分の思考を取り替えるという手段が存在しない以上、人生のパートナーとなる「自分の思考」。そのため、自分の思考をより良いものにしようと、読書をしたり、学問を習ったり、実際に体験することで、自分の思考をチューニングしていく。チューニングと書いたのは、いきなり全く新しい思考に切り替えることはできず、あくまでも「こういうときはこうしよう(こうした方が良い)」というインプットを自分の思考に与える程度しか、長年日々活用している自分の思考へは影響度を与えられないからである。個人の思考に関わらず、人類の思考は無意識なバイアスが働いてしまう。詳細は割愛するが、こちらのシリーズ本が参考になる。

個人の、そして人類自体に思考の制約がある中で、自分の思考の枠を越え、新しい行動をするために利用するサービスはいくつかあるが、企業向けの代表的なサービスはコンサルティングサービスであろう。コンサルティングサービスの本質は、「思考の委任」である。自分がこれまで考えてきた思考の枠や型を外れ、思考を委任する。自分の思考よりもより良い思考が得られると思って委任するのである。「自分でも考えられるが時間が・・・」とか「外部の知見を活用して・・・」という最もらしい理由は言えるが、本質は「自分の思考よりも良い思考をしてくれるという期待」である。トップコンサルタントは、その期待に応え、依頼者の成果を実現し、さらに信頼を高め、多くの思考を代替している。つまり、自分より優れた「最高の思考」は存在しているのである。

ただし、それを認めてしまえば、賢い誰かに自分の思考を否定されてしまう恐怖や自分の職位(ポジション、マウンティング)を失う恐怖、究極的には自分の存在意義すら問われる事態となるため、「思考は自由」「思考は個性」というナンバーワンではなく、オンリーワンという言葉に守られてしまう。わかっているのに、認められないこの事実が思考における不都合な真実である。

2.「最高の思考」とは何か

では、私たちは自ら思考せず、「最高の思考」ができる人に委任し続ければ良いのだろうか?そもそも、「最高の思考」の究極的な目的は何だろうか?

・夢を達成するため
・お金持ちになるため
・困難な問題を解決するため

これらの回答が思い浮かぶが、私は「常に幸せな状態でいられること」だと考えている。自分、自分の周辺、自分が関与する全ての事象が幸せな状態を維持できていれば、それは「最高の思考」と言える。常に思考と行動が必要なので、他人に委任し続けることは時間的にも金銭的にも難しい。そして、思考と行動の話をすると、「(思考の結果から生まれる)選択に正解はない、全ては自分の行動次第」というカッコいいセリフが聞こえてくるが、私はそうは思わない

自分がその瞬間および人生において、最も幸福感が上がる行動をする思考、すなわち、選択肢を考える発想と、選択肢の中から選ぶ意思決定と、その意思決定を忠実に実現する行動の組合せが存在していると私は考えている。

正解の選択肢とは、本当は無限にある行動の糸(数珠繋ぎ的な選択の結果)の中から1本を手繰り寄せる作業であり、それができないと諦めているため、実際に行動するのが早い、最終的には「自分の行動次第」と考えているに過ぎない。

実際そうだと思う。考えてみれば、この宇宙空間・地球における環境変動というマクロ外的要因(大げさに言ってしまったが、例えば明日の天気・気温レベルから、災害の発生など)と、全ての関係者がどのように行動するのかというミクロ外的要因(誰と出会い、何を話すのか、どう行動するのかなど)と自分の精神状態や肉体状態などの内的要因(眠い、疲れた、あのアイドルが好きなど)、これらの要素を全て、リアルタイムに加味して、自分の思考に反映することは現時点では不可能である。

つまり、「思考の正解はあるが、それを瞬時に導き出すことが現時点ではできない」だけである。したがって、諦めて自分ができる行動に集中しようという結論は極めて当然の結論である。

幸せ自体が感覚的で、個別性がある。さらに、それを実現しようとしている世界は考慮するべきパラメータが多すぎる上に、日々変動していく。その中で、人生という長い期間において、幸福感が最大化する行動を選択し続けることは、非常に難易度が高い。しかし、その中で、自分の幸せを維持するために、より良い発想、意思決定、行動ができるように、思考を磨いていきたいのも人の欲求だと思う。

3.「最高の思考」するためにおさえたい3つのこと

では、幸せな状態を維持するための最高の思考を手にするためには、どうすれば良いのか?私もまだまだ悩み途中であるため、確定した要素を伝えることは現時点ではできないが、自分の思考をチューニングしていく上で、私がこれまで出会ってきた、この人の思考をお借りしたいなと思った人たちの思考の共通点を3つ挙げる。

① 網羅性
② 解像度
③ 納得感

①網羅性
まず、網羅性とは、思考に活用する情報の広さ深さ長さである。
広さとは、幅広い情報を知っているか。思考する領域の情報はもちろんのことその周辺や全く別のジャンルの情報も含めた広さを持っているかということ。そして、情報を知っているだけではなく、思考において活用できる情報が広いかが重要である(下図参照)。とにかく、量が大事

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深さとは、1つの情報に対する信憑性や背景を理解できているか。思考における論点を決める上でも、誰が発信しているか、複数の情報の関係性はどうなっているかといった信憑性や背景は極めて重要である。裏取りである。
長さとは、時間的な長さ、つまり今の最新はどうなっているのか、から始まり、歴史はどうなっているのか、までの長さ。思考において「車輪の再発明」をしないためにも、歴史から学ぶことは多い。ただし、歴史とは特定の環境において、確定した出来事であり、現時点で同じことをやったとしても必ず同じ結果になるとは限らない。確定した出来事を生み出した主たる事象は何であったかを知ることに意味があり、表面的な成否はほぼ意味がない。キーとなった事象が最新の状態ではどうなっているのか、それが大事。

1つの思考をする上で、情報の広さ×深さ×長さが前提になっている。

このように書くと、2つの反論があると考える。
1つ目が、ネット検索が当たり前の世の中において、情報を知っていることの価値は低下しているのではないか、というものである。しかし、思考において情報、特に言葉を知らないと検索すらできないのである。そして、思考のスピードに合わせて情報を次々に取り出し、加工し、組み合わせていくにはネット検索は遅すぎる。頭の中に格納されているものが、次々と思考の中で処理されなければならない。だから、情報の網羅性が必要なのである。
2つ目が、思考する上で、問いが大事というものである。良い論点、良い仮説が最高の思考を生み出すのであって、情報の網羅性(絨毯爆撃的な情報把握)は必要ない、というものである。問いが大事ということは同意するが、この3つを済ませている人が立てる問いだからこそ良い問いなのであって、単純に思考回路としての「XXX思考」の型を学んで生み出された問いはイマイチな場合が多い(使いこなしが甘い場合も多い)。網羅性が高い情報を浴びた後に、生み出される問いだからこそ、本質的な問いになるのである。

②解像度
次の解像度とは、思考で使う情報の解像度と思考の結果から得られる目的の解像度の2つがある。
情報の解像度とは、「いつ」「誰が」「どこで」「どのような背景で」「何をしたか(言ったか)」「それはどの程度(定量)の影響があるのか」といった思考において使いたいレベルで細分化し、把握できるか。(情報の深さとも近いが、ここで言っている解像度は1つの情報を見るべき視点であり、情報の深さは複数の情報の関係性や背景を見ているという違いがある)
目的の解像度とは、「いつ」「誰が」「どこで」「どういう状態(定性・定量)になっているか」といった、思考の後の行動において、介入すべきレベルがわかるか。目的の解像度の高さによって、行動を決める思考も変わるので、目的の解像度が低ければ、最高の思考にはならない。
同じ情報や目的であっても、その解像度が違えば、得られる思考体験は全く別物になる。どこまで1つの情報を噛み砕いて見ることができるか、達成したい状態をリアルにイメージできるのか、そこが問われている。

③納得感
最後の納得感とは、どう決めたいか、どう決めれば後は行動するだけだと言えるのか、という自分との取り決めである。トップコンサルタントは個人、あるいは複数意思の集合体である企業に憑依し、その個人または企業の幸せを実現する行動、あるいは幸せそのものが何であるかを思考する。だから、自分と同じ出発点(前提情報)から思考し、自分の幸せを定義し、その幸せに至る実現可能な行動(予測の範疇という意味ではない)を提示してくれるからまるで自分が思考したかのような納得感がある。その思考には、自分(依頼者)がよく知る情報や経験したこと、たとえ話が含まれており、聞いている人も納得しやすいものになっている。

納得感の最大の敵は、将来がわからないということである。将来の状態から思考できない以上、短期的な幸せを選んだ方が良いか、中長期的な幸せを選んだ方が良いか、という悩みは尽きない。桜木花道やゴンさんのように、「今なんだよ」とこの一瞬に全てを賭けて達成すべきことに全力を振り切るのも1つの幸せであるし、中長期的な選手生命・ハンター生命を加味して、自分を抑えるのも将来の自分からすると幸せかもしれない。

将来はわからない、だから「あのときの思考は最高で一片の悔いもない」と心の底から思えることが、今の行動に力を与え、それが世界を変えて、結果として最高の幸せが得られると私は考えている。行動やその結果だけではなく、行動に至った思考のプロセスこそに幸せの一歩目があると考える。だから、「最高の思考」をしたいのであれば、その「最高の思考」は委任するのではなく、自分で思考すべきである。ただ、武器もなく思考するのでは最高の思考体験は得られない。超一流の「最高の思考」を模倣し、自らの思考を強化するために、上記の3要素を自らも補いつつ、紙とペン以外のツールでも補って思考することが重要だと考える。

料理と同じく、自分で作った方がその過程で刻まれるこだわりも含めて美味しく感じるというのは感覚的には理解できるのではないだろうか。その時に、レシピ本やシェフが使う調理器具などを取り入れて料理するはずである。思考も同じく、網羅性の高い情報を基準に、解像度を上げながら、目的を達成する行動の選択肢を根拠から作り、ストーリーにして、最終的な打ち手に仕上げていく。(下図参照)。

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最終的には、自分の思考への納得感が、選択に命を吹き込み、世界を本当に変える行動を生み出すと考えている。ただし、納得感を生み出すためには、ある行動をするためにどう思考したいか、を自分で考えておくという鶏と卵の関係が発生する。オススメは、「明日何食べよう?」を自分はどう決めるのかをトレースすること(ランキングアプリは一旦OFF)。日々の意思決定は無意識な高性能な思考回路で、思考負荷を感じさせない、思考コストが限りなくゼロに近い自動思考である(友人との会食は考慮すべきことが増えるので一旦割愛)。それが最高の思考になっているかは食の満足度によると思うが、良かった、悪かった、何も感じなかった(無難だった)、という幸せに対する結果から、思考の回路を辿ってみることをオススメする。

最高の思考のために、網羅性と解像度と納得感が必要であるが、お気づきのように相当な高コストである。先に触れたように、現実的には不可能なことではあるが、そこに近づくために努力をしている人を私は応援したい(私も含めて)。苦し紛れの一手ではなく、自分の幸せ、そして、いずれ人類の幸せに繋がる最高の一手を打つために、「自分の思考」を磨いていきたい。

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