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【検証】#命の選別 #ナチスの医学 ドイツ精神医学会はどう過去の過ちと向き合ったか|DGPPNフランク・シュナイダー元会長が2015年に行った冒頭講演と歴史的謝罪(2015.6.4)


はじめに

『ドイツの精神科専門学会とその自らの歴史の見直し』ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)元会長フランク・シュナイダー博士による2015年大阪・第111回日本精神神経学会学術総会に於ける『ドイツ精神医学精神療法神経学会 (DGPPN) 移動展覧会~ナチ時代の患者と障害者たち』での講演より抜粋転載。この講演内容は2017/8/26付『リテラ』に掲載された「強制断種や殺人に精神科医が積極的に関与していたことを知ると、恥と怒りと悲しみでいっぱいになる。謝罪に70年を要したことを悔やむ」という言葉から元の講演を辿ってみた結果入手した。以下はその転載である。

「強制断種や殺人に精神科医が積極的に関与していたことを知ると、恥と怒りと悲しみでいっぱいになる。謝罪に70年を要したことを悔やむ」 ―『リテラ』(2017年8月26日)

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Source: 「 第111回日本精神神経学会学術総会 (大阪2015年6月4日-6日 )『ナチ時代の患者と障害者たち −ドイツ精神医学精神療法神経学会 (DGPPN) 移動展覧会 −より 』」のp.3-5『御挨拶』より転載

ドイツの精神科専門学会とその自らの歴史の見直し

フランク・シュナイダー(Dr. Frank Schneider)

アーヘン(Aachen)

ナチ時代(国家社会主義時代)の精神医学は、精神科の歴史の最も暗い部分です。すでに19世紀末には医師や医療系の政治家たちの間で、「国体」の健全化のために取り得る対策、民族衛生学や優生学について議論がなされています。この事情はドイツでだけではありません。また、精神障害者や知的障害者の断種、不治の病の患者の「安楽死」もすでに懸案事項にされていました。第一次世界大戦中には、施設にいた何千人もの患者が餓死し、なおざりにされて亡くなりました。医師や社会が精神障害や知的障害を持つ人を軽視していることはすでにこの頃からあきらかでした。

ドイツでは国家社会主義政権によって1933年に「遺伝病子孫予防法」が導入されました。統合失調症、躁うつ病、遺伝型のてんかん、ハンチントン舞踏病、盲、聾、重度の身体的奇形、重度のアルコール依存症を病んだ者を、本人が嫌がっても妊娠不能にできるようになりました。この法律によって40万人もの人々が断種されました。1939年からは、治療介護施設で患者の殺害行動が計画されました。ドイツの精神科医たちは実際に患者に会ったこともないのに、その生死を決定したのです。1940年~1941年には、7万人を超える患者たちが病院や施設から連れて来られ、殺戮施設でガスにより窒息死させられました。さらに30以上の小児病棟で、5000人以上の子供や青少年が殺害されました。患者を選別する主導的観点は推定上の人間の「価値」でした。いうところの「価値」は「治癒可能性」、「教化の見込み」、「労働能力」を尺度に判定したのです。

この「安楽死」計画は1941年に終了しましたが、それで患者の苦しみと死が止んだわけでは決してありません。戦争が終わるまで何千人もの患者が介護施設や精神科施設で餓死し、または医薬品を投与されて殺害されました。「安楽死」計画により、全部で30万人にものぼる人々が犠牲になりました。終戦後、多くの医師や患者殺害に加担した人々は、その行為の責任を問われることもなく、あるいは比較的軽い処罰にとどまりました。精神科の専門学会、今日のドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)はこの犯罪に関して随分長い間沈黙を守ってきました。罪を明らかにする試みは早い時期にもありましたが、そのような試みは妨害され、抵抗にあいました。国家社会主義時代のドイツにおける精神医学の歴史が本格的に研究され始めたのは1980年代の初め頃からです。重要な一歩となったのは、展覧会「追悼録In Memoriam」の開催でした。1999年にハンブルクの世界精神医学会(WPA)で催され、初めて国際的な場で大規模に公開されたのです。

DGPPNはようやく2009年に会則改訂の際に、自らにも特別な責任があることを認めました。その責任とは、自分の前身組織が国家社会主義の犯罪、すなわち大量の患者殺害と強制断種に加担したことから生じたものでした。自らの歴史の見直しは今ではDGPPN内部の中心的なテーマになっています。

2010年の年次総会を皮切りに、毎年多くの行事が国家社会主義時代の精神医学の犠牲者に捧げられました。2010年総会のハイライトのひとつは3000人が参加した追悼式典でした。この式典の中で、ドイツ精神医学が精神疾患や知的障害を持つ人々の殺害、強制断種、倫理に反する研究、精神科の同僚たちの追放に対して責任があることが認められました。当事者や家族が個人的な体験について講演し、多くの人々の一人一人の苦しみと運命が思い起こされ、感銘を与えました。学会の会長はスピーチで追悼式典の背景についてふれ、次の言葉で締めくくりました。

「ドイツ精神医学精神療法神経学会を代表して、犠牲者とそのご家族に対し、みなさまが国家社会主義時代にドイツ精神医学の名の下にドイツの精神科医によって受けた苦しみと不正・不当な行為に対して、またその後に続く時代にドイツ精神医学がかくも長く沈黙を続け、事態を軽視し、抑圧してきたことをお詫び申し上げます」[演説全文]

同じく2010年に、DGPPNは国家社会主義時代の自らの歴史を見直す研究プロジェクトを立ち上げました。さらにDGPPNは国際委員会に研究委託の公募と、科学的な見直し過程での助言を依頼しました。

その他2011年に精神科医フリートリッヒ・マウツおよびフリートリッヒ・パンセの名誉会員資格を剥脱しました。この2名はナチの安楽死プログラムで鑑定人を務めており、第二次世界大戦後には学会の会長に就任し、名誉会員となっていました。

しかし見直しは、これで完了したわけではありません。DGPPNはここ数年の活動に自足することなく、それ以前の何十年もの沈黙を長い時間をかけて克服し、責任を自覚する立場に自らを位置づけたいと考えています。ドイツの医師たちの募金活動によって、数多くの記録を展示する移動展覧会が実現しました。この展覧会の指針となっているのは、生命の価値についての疑問です。さまざまな開催地で、殺戮行為の前提となった思想や制度に取り組みます。展覧会は排斥や強制断種から大量殺戮に至るまでの不正・不当な行為やおぞましい犯罪を総括し、具体的な例を示して被害者、加害者、犯行に関与した者、さまざまな分野の反対論者を考察し、最終的には1945年から今日までこの出来事がどのように扱われてきたかを検証します。ここでは過去の過ちから学ぶだけでなく、自分自身の現在と未来の行動に反映させ、鋭敏な指針とすることが重要です。この展覧会は公の追悼の場では長い間片隅に置かれてきた人々に注目しています。犠牲者とその家族です。ここでは犠牲者と家族が正当に尊重されねばなりません。そのため、展覧会はひとりひとりの人間とその運命を主に扱っています。このテーマは今もアクチュアルです。そのことは、例えば現代の生命倫理を巡る議論と関連づけると容易に理解できます。

国家社会主義の犠牲者追悼の日を機に、移動展覧会は2014年1月27日ドイツ連邦議会でヨアヒム・ガウク連邦大統領の後援のもと開会されました。その日からこれまでの間にドイツ国内やヨーロッパ域内の多くの地域で開催しました。大阪における2015年の学術総会で本展覧会をご紹介できる機会をドイツ精神医学会に与えて下さいましたことに対し、日本精神神経学会(JSPN)に心より感謝申し上げます。

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