2つの寓話から学ぶビジネスの考え方

こんにちわ!一応、毎週1本はなんとかnoteを更新することで良しとしているのですが、書きたいことは増えているので、どこかのタイミングでは更新頻度を増やそうと思うも、その後に更新頻度がまた下がることを恐れて週1ペースに落ち着いている感じです。

今回は、2つの寓話から学ぶビジネスの基本というテーマでお話ししたいと思います。

寓話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寓話(ぐうわ)とは、比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語。 名指しされることのない、つまりは名無しの登場者は、動物、静物、自然現象など様々だが、必ず擬人化されている。 主人公が、もしくは主人公と敵対者が、ある結果をひき起こしたり、ある出来事に遭遇する始末を表現する本筋は、なぞなぞと同様な文学的構造を持ち、面白く、不可解な印象を与えることによって読者の興味をひき、解釈の方向を道徳的な訓話に向ける特性を持つ。民話によく見られるように、物語の語り末には、寓意的な解釈を付け加えることが習慣的に行われてきた。

1つ目の寓話は、このnoteでもよく登場する『金持ち父さん貧乏父さん』を書いたロバートキヨサキの第2弾『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』からの引用になります。

 むかしむかしあるところに、ひなびた村があった。そこはたいそう暮らしやすかったが、一つ大きな問題があった。というのも、その村では雨が降らないと水が手に入らなかったのだ。この問題を解決するために、長老たちは村に毎日水を運んでくる仕事を引き受けてくれる人間を募ることにした。そして、名乗り出た二人と契約を交わした。長老たちはたとえ一人でも競争相手がいれば、価格を安く押さえることができ、また一方に支障があった時にも水に困らないと考えたのだ。
 契約を勝ち取った二人のうち一人はエドという男だった。エドは契約が決まるやいなや外に飛び出し、鉄のバケツを二つ買ってきて、一マイル離れた湖に向かって駆け出し、せっせと水を運び始めた。こうして毎日朝から晩まで二つのバケツで水を運び続けたエドのもとには、すぐにお金が舞い込んできた。エドは運んできた水を、村の人たちが作った大きなコンクリートのタンクに流し込んだ。毎朝エドは村の誰よりも早く起き、必要なだけの水がいつもタンクの中にあるようにしなければならなかった。つらい仕事だったが、お金が入ってくるのがうれしかったし、この契約を勝ち取った二人のうちの一人になれたことを喜んでいた。
 もう一方のビルは、契約を結んだ後、しばらく村から姿を消した。数ヶ月過ぎてもビルは戻ってこなかった。エドは喜んだ。競争相手がいなくなったからだ。エドは水の代金を独り占めしてほくほく顔だった。
 ビルにはバケツを二つ買ってエドと競うつもりはなかった。その代わりにビジネスプランを立て、会社を興した。そして、四人の投資家を見つけ、実際に現場で仕事をする社長を雇い、六ヶ月後、建築作業員を引き連れて村に戻ってきた。一年後、ビルの会社は村と湖を結ぶステンレスのパイプラインを完成させた。
 パイプラインの開通を祝う式典の席上で、ビルは自分のところの水は、エドが運ぶ水よりもきれいだとみんなに告げた。エドの水には土が交じっていると文句を言う村人たちがいることをビルは知っていたのだ。ビルはまた、自分の会社は一週間に七日、二十四時間休みなく水を供給できると告げた。エドは週末は働かなかったので、水が運ばれてくるのは月曜から金曜までだった。その後、ビルは、より高品質で信頼性のあるこの水の供給サービスに対する料金をエドの料金の四分の一にすると発表した。村人は大喜びでビルが作ったパイプラインの蛇口に飛びついた。
 ビルとの競争に勝つためにエドはすぐに水の料金を四分の一に下げ、新たに二つバケツを買った。そして、四つのバケツすべてにふたをつけて水を運び始めた。また、サービスの質を高めるために、二人の息子を雇い、交代で夜や週末も水を運ぶことにした。息子たちが大学に進むために村を出る時、エドは息子たちにこう言った。
「はやく帰って来るんだ。このビジネスはいつかお前たちのものになるんだから」
 でも大学を終えた二人の息子はどういうわけか村には戻ってこなかった。その頃にはエドは人を雇うようになっていたが、それと同時に組合の問題を抱えるようになっていた。組合は賃上げと福利厚生の充実を要求し、さらに、組合員は一度に一つのバケツしか運ばなくていいようにしてほしいと求めてきた。
 一方ビルは、もしこの村に水が必要ならば、他の村だって必要としているに違いないと考えた。そして、ビジネスプランを書き直し、世界中に散らばる未開発の村を訪れ、自分が考え出した高速、多量、安価、高品質の水の供給システムを売って歩いた。ビルの儲けはバケツ一杯分の水につきわずか一セントだったが、毎日の供給量は相当な寮に達した。だから、ビルが実際に身体を動かして働かなくても、世界中で何百万人という人が一日にバケツにして何杯もの水を使い、そこから入るお金がすべてビルの銀行口座に流れ込んだ。ビルは村に水を運ぶパイプラインを建設すると同時に、自分のところにお金を流し込むパイプラインも作っていたのだ。
 ビルはそれからずっと幸せに暮らし、エドの方はずっと必死で働き続け、お金に苦労する生活を続けたとさ。おしまい。

ビジネスを始める上で、この話を元にし、今パイプラインを建設しようとしているのか、それともバケツで水を運ぼうとしているのか、これを強く意識するようになりました。

バケツで水を運ぶことが悪いわけではないですが、そのビジネスモデルを自分がリーダーとして推し進めてしまうと周りにも悪い影響が出てしまうのです。

この寓話でも、エドの二人の息子は村に戻って父親のビジネスを継ごうとしませんでしたが、それは懸命に働くのか賢明に働くのかというのをきちんと理解した上での選択だと思います。

一生懸命働くのは良いですが、それを美談にしたり、他の人にその苦労を押し付けたりするような仕事であれば、その先長くはないと思った方が良いでしょう。

続いての話は、有名な「漁師とコンサルタント」というお話なので聞いたことがある人も多いかもしれません。

メキシコの海岸沿いの小さな村に、MBAをもつアメリカのコンサルタントが訪れた。
ある漁師の船を見ると活きのいい魚が獲れている。
コンサルタントは聞いた。

「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」

「そうだな、数時間ってとこだな。」

「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」

「妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」

それを聞いてコンサルタントはさらに質問をした。

「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」

漁師は聞き返した。

「どうして?」と。

「もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くの金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益がでる。」

「それで?」と漁師は聴く。

コンサルタントは答える。

「次は都市のレストランに直接納入しよう。さらに大きな利益がうまれる。そうしたら、この小さな村から出て、メキシコシティに行く。その後はニューヨークに行って、企業組織を運営すればいいんだよ。」

「そのあとはどうするんだ?」漁師はさらに聞いた。

コンサルタントは満面の笑みでこう答えた。

「そこからが最高だ。企業をIPOさせて巨万の富を手に入れるんだ。」

「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」と漁師は最後に質問した。

「そしたら悠々とリタイヤさ。小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびりシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ。」

漁師はため息をつき、やれやれ、という顔で一言を付け加えた。

・・・・そんな生活なら、もう手に入れているじゃないか。

この話は、コンサルタントを揶揄されるのによく引用されるお話ですが、最初からのんびりした生活を営むのと、リスクをとって起業し、船を買って人を雇いながらビジネスを加速させ、海外展開やIPOまで経験した上でのリタイアを一括りにしてしまうのもどうかとも思ってしまいます。

今回は2つの寓話からビジネスの考え方をひも解いてきました。一概に、自分の時間とスキルを切り売りしたビジネスが悪という訳ではないですが、自分の時間とスキルを切り売りするビジネスは、ずっとは続かないというのを意識した上で、自分の商品を持つことも視野に入れると良いかもしれません。

それではまた!

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