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大人の家出(8泊9日)その3:嘉之助蒸溜所と津貫蒸溜所を1日で訪問

はじめに

今回は鹿児島市内にクルマを置いて、嘉之助蒸溜所と津貫蒸溜所の2つを公共交通機関使って一日で周った旅の日記です。

嘉之助蒸溜所を作ろうと思った小正社長の思い。日本のウイスキーの歴史に名を刻むであろう津貫蒸溜所の草野氏。とてもいい1日が過ごせました。

天文館では飲めず

月曜日の午前中に嘉之助蒸溜所、午後に津貫蒸溜所に訪問するため、日曜日の夕方に宮崎から鹿児島に移動。7時半には鹿児島一の繁華街、天文館にいた。

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宮崎自動車道と九州自動車道を使うと150km、2時間ほど。走っているクルマも少なく非常に快適なドライブ。

ホテルにクルマを止めてチェックインし、池袋のお侍様に教えていただいたマルスのボトルのコレクションで有名なB.B.13 Barに電話したところ、「8時でラストオーダーです」とのこと。大ショック。宮崎が普通に夜中まで酒が飲めたので油断していたが、鹿児島は酒の提供が20時までとなっていたのだ。

翌日訪問予定の蒸留所のウイスキーを、天文館で飲んで復習しておこうという目論見は一気に崩れた。闇営業のスナックやガールズバーはあるけれど、それではない。

仕方がないのでホテル ニューニシノのサウナに入って英気を養う。東京にあったら大人気になるはずの湿度高め温度やや低めの気持ちのいいサウナ。口コミで「普通」って書かれているの見たけど、これが普通なんてどれだけ贅沢やねん、と言いたい。それぐらいいいところだったので是非鹿児島にお泊りの際はご検討ください。安いし。

いざ嘉之助蒸溜所へ

鹿児島中央駅からの9時半の電車に乗り20分ほど、伊集院駅で降りる。

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そこからタクシーで3000円弱で嘉之助蒸溜所に到着。ちなみに月曜日は一般見学はできないので念のため。私は事前にご連絡の上、特別に月曜日の見学を許してもらった。

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ベージュのレンガと木の板の茶色が、吹上浜の空に映える。

蒸溜所の詳細については以下の「おとなの週末」ウェブに書かせていただいたのでこちらをご覧いただければ。

記事に使わなかった写真を載せておきます。

ポットスティル。

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東シナ海を望むバー。

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テイスティングセット。

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ずっと中村所長に案内していただいて、ありがたいことこの上ない。

嘉之助蒸溜所の母体、小正醸造の小正芳嗣社長からいただいたメッセージ

嘉之助蒸溜所の母体である小正醸造の四代目、小正芳嗣社長がなぜウイスキーを作ろうと思い立ったのか、詳細を記事で書きたいと思ったので根掘り葉掘りお聞きする機会をいただいた。正確には私の質問に対して返答となる長文のメールを頂戴した。

そのメールは「これは私一人にいただいたメッセージとしてとどめておくべきではなく、できれば多くの人に伝えたい」と思わせられるぐらい熱のこもったものだった。

四代目の芳嗣氏が生まれた時から二代目の嘉之助が隣に住んでいて、毎日嘉之助の家の仏壇にお参りしてから学校に行っていたこと。食卓をほぼ毎日二代目と囲んでいたこと。二代目が「労働者の安酒」とされていた焼酎の地位を何とか向上させることができないか、いつも頭を悩ませていたのを近くで見ていたこと。

四代目が小学生だった頃に、今の嘉之助蒸溜所の敷地の中に樽貯蔵庫が完成したこと。そこにメローコヅルが詰められた多くのオーク樽が貯蔵されて圧倒されたこと。

四代目が10歳で家業を継ぐと決めた後、中学3年生の時に75歳で嘉之助がこの世を去ったこと。嘉之助が通った鹿児島の名門鶴丸高校に憧れて四代目もそこに進み、東京農大醸造学部で発酵学を小泉武夫氏の下で学んだこと。大学院に進み、修士論文で「本格焼酎の熟成に関する研究」を著したこと。

大学院卒業後は、家業に戻り焼酎の製造・品質管理・商品開発を担当し、まさに現場で苦労したこと。焼酎ブームの隆盛と、そこからの急減速を体験し、天国と地獄を味わったこと。スコットランドの商社からメローコヅルに高評価をもらったものの、「焼酎」というカテゴリーが外国では馴染みがないということでオーダーが待てど暮らせど来ずに悔しい思いをしたこと。

その悔しさから、自分たちの持つ蒸溜・貯蔵技術を生かして世界で受け入れられているウイスキーを作ることで、自分たちのバックボーンである焼酎を世界に伝えていこうと考えを変えたこと。

それに立ちはだかるウイスキー製造免許取得の壁。そして3年かかってできた蒸溜所。焼酎製造のノウハウを活かした、3基のポットスティルとワームタブ、リチャードカスク。1回蒸留の焼酎造りでは、原料由来の香りと発酵時の香りをどう蒸溜した後の酒に乗せられるかが勝負で、そのノウハウはウイスキー作りでも活かされていること。

とても私一人にとどめておいていいと思えるものではなかったので、取り憑かれたように一生懸命記事を書いた。

おとなの週末に記事が掲載されたのは、こちらからの記事の持ち込み。
私は今の自分ができることに全力を尽して、少しでも誰かの役に立ちたいと思う。

10時ごろから見学とテイスティングをさせてもらい、嘉之助蒸溜所から歩いて2kmほどのところにある日置寺下のバス停から13時20分のバスに乗ると、14時24分に津貫に着く。

嘉之助から津貫に向かう道中に、小正醸造が管理しているさつまいも畑がある。嘉之助蒸溜所のスタッフも、収穫の時は手伝いに来るとのこと。

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芋焼酎の独特のくささは、さつまいもの傷んだ部分に由来するそうだ。自分たちでさつまいもを作り収穫することで、傷んでいないさつまいもを確保し、クオリティの高い焼酎を造っているのだという。そう聞くと、どんな姿勢で嘉之助蒸溜所でウイスキーが造られているのかも想像に難くない、と思う。

鬼才草野氏を擁するマルス津貫蒸溜所

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マルス津貫蒸溜所には、ウイスキーの鬼才がいる。チーフディスティラー兼ブレンダーの草野辰朗さんだ。あまりに鬼才すぎて、どう書いたらいいのか私にはわからない。だからTwitterでもブログでもなかなか文章にできなかった。でも私は、彼は間違いなくジャパニーズウイスキーの歴史に名を残す人になると確信している。

ウイスキーづくりではどうしても蒸溜に目が向けられがちで、それ以前の糖化や発酵の工程はやや軽んじられているきらいがあるが、草野氏は清澄度と糖度の高い綺麗な麦汁をとることと発酵にフォーカスしている。

通常はお湯でもろみを仕込んで麦汁を作るが、お湯ではなく3番麦汁を用いて仕込むことで、発酵タンクに送るもろみの濃度を上げている。それによりより上質のもろみができる。3番麦汁での仕込みを可能にするには当然3番麦汁のタンクが必要となるが、草野氏は会社に頼み込んでタンクを作ってもらったぐらい気合が入っている。(酔っぱらっていて3番麦汁タンクの写真を撮り忘れました)

草野氏のすごいところは、「偶然にできた素晴らしいウイスキー」ではなく「再現性のある素晴らしいウイスキー」をどう作るかに集中しているところだ。ノウハウを自分だけのものにせず、自分が仮にいなくなったとしてもクオリティの高いウイスキーを造り続けることができるようにするという意識が徹底している。自分だけの手柄を追い求める人はたくさんいるが、蒸溜所の誰が造っても草野氏が造ったウイスキーを再現できるようにしているというのは、スタープレイヤーにありがちなエゴがなくて、心の清澄度も高いのだな、と感心させられた。

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発酵タンクはステンレス。ステンレスだと発酵をコントロールすることができるが、木桶だと鹿児島の夏の気候では発酵を管理するのは困難だから。ここにも再現性を重視する草野氏の哲学が反映されている。

この工程ではいかに麦芽についた乳酸菌で乳酸発酵を進められるかがカギ。また発酵に当たっては弱った酵母をあえて使うことで酵母が自己分解して乳酸菌に食べられてしまうことですっきりした味わいを達成している。酵母の強さを培養タンクで調整することで酒質の幅を広げている。

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蒸溜に関しては、「期待されていることを期待通りにやってくれればそれでいい」というのが草野氏の考え。ポットスティルはストレートな太いネックが下を向く。アルコールを含んだ蒸気の冷却方法は、大きな容器の中に冷水を張りその中に通した蛇管で冷却を行うワームタブ方式。ワームタブを用いている蒸溜所もスコットランドでは12か所ほどと言われている。タリスカー、グレンエルギン、クライゲラヒなどなど。オフフレーバーが残りやすくヘヴィな原酒ができる特徴がある。津貫のウイスキーはワームタブの特徴が色濃く出ている。

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どこでカットするかもこだわっていて、カットのタイミングを変えてサンプルを取り、それを共有して試せるようにしている。写真は載せられないのだが、多くのサンプルを試させていただいた。

少し歩いて焼酎の熟成庫がある先にウイスキーの熟成庫があった。歩いている間に草野さんがどうしてマルス津貫蒸溜所に就職したのかなども含め、さまざまお話を聞かせていただいた。

作り手がコントロールできること、特に「きれいな麦汁」を作りそれをしっかり発酵させ、蒸留器が設計時に期待された働きをすることに集中する。それによって偶然に左右されると言われがちなウイスキーづくりにおいて再現性を高めていき、熟成という人間の手を離れた世界に原酒を預けていく。

糖化や発酵も、3番麦汁を使ったり酵母の種類を変えたりして試行錯誤は続けられているが、インプットの変化に対してアウトプットがいかに変化するのかを偶然に頼ることなくロジカルに突き詰めていく。

たまたまいいウイスキーが出来ても、それがどうしてできたのかわからないのであればその蒸溜所が再び同じクオリティのウイスキーを造れるとは限らない。

だが津貫蒸溜所では草野氏とその仲間の努力によって、クオリティの高いウイスキーがどうしてできたのかがチームとして記憶され、次のよりクオリティの高いウイスキーを生み出すことに明確につながっている。

この好循環を草野さんが作り出していることに感銘を受けた。

そして彼にはあと30年以上の時間があり、ゆっくりと、だが着実に、彼が作るウイスキーの質を、毎日のトライアンドエラーからの学びを通じて偶然に頼ることなく向上させていくことができる。

これが私が「この人は日本のウイスキー造りの歴史に名を刻む人になる」と確信した理由だ。

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意外と広々としていて驚く。

福岡のバーのカスクを見つけてしまった。

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新しい貯蔵庫も作られていた。

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いろいろ読んでいただいた後で恐縮だが、私が文字でグダグダ説明するよりも、このYouTubeを見ていただければ彼が日本のウイスキーの歴史に名前を刻むであろう人であることがお分かりいただけると思う。

草野氏の熱量に圧倒された後は、本坊酒造二代目社長の本坊常吉氏の居宅である「寶常」に案内していただいた。

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こちらには素敵なテイスティングバーがある。

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田中教文さんという素敵な方がバーを取り仕切っていらっしゃって、ゆったりとした雰囲気の中、様々なマルスウイスキーを試すことができる。

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見上げると柏の葉をかたどった本坊家の家紋入りのグラスでできた照明が。

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そして本坊酒造のルーツとなる焼酎、寶星の瓶も飾られていた。

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ここでしか買えない限定のウイスキーも買うことができる。

バーの閉まる4時ぎりぎりまで飲んでしまって申し訳なかったのに、さらに田中さんに写真映えするスポットまでご案内していただいて恐れ入る

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嘉之助蒸溜所といい、津貫蒸溜所といい、本当に自分の巡りあわせの良さに感謝する。いろんな方とのご縁によって、こんな素晴らしい経験ができることに本当に心から感謝している。

津貫蒸溜所でタクシーを呼んでいただき、加世田へ。2000円ほどだったと記憶している。

17時10分のバスで天文館に戻る。バスを待つ間、バスターミナルのすぐ隣にある南薩鉄道記念館で鉄分補給。

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展示を見るのは意外と楽しかった。

そして1時間半ほどバスに揺られ、鹿児島市内に戻った。バスの中で酔っぱらって爆睡していたのは言うまでもない。


2つの蒸留所を1日で周るための交通案内(まとめ)

(交通機関・蒸留所見学その他の情報は2021年7月現在のもので、将来変更の可能性があります、お出かけになる前にご確認ください)

東京からなら、朝一番の飛行機(JAL641)に乗れば8時10分に鹿児島空港に着く。そこから鹿児島中央駅行きのバスに乗れば、9時前には駅に着く。

9時半のJRに乗って伊集院まで行き、タクシーに乗れば10時からの嘉之助蒸溜所の見学ツアー(要予約)にぴったり間に合う。できれば早目に着いて、吹上浜を散歩してからツアーに臨みたいところだ。

嘉之助蒸溜所の見学が終われば、歩いて20分ほどの小正醸造の日置蔵からほど近い「日置下」バス停で津貫へ。

13時20分のバスに乗り、そのまま14時24分までバスに揺られれば、津貫に着く。バス停の目の前が蒸溜所だ。嘉之助蒸溜所で飲み過ぎて寝過ごして枕崎まで行ってしまわないことを祈る。

16時に見学とテイスティングバー「寶常」の営業が終了するのでやや慌ただしいが、1時間半ぐらい津貫蒸溜所に滞在することが出来る。

見学・テイスティング終了後はタクシーを呼んで加世田のバスターミナルへ。17時10分の金生町行きバスに乗れば、終点一つ手前が天文館だ。


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