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バーのお勘定はいったい何の対価なのか

はじめに

最近ツイッターで「Barに行った事ないけど予算1万くらいだったらどれくらいウイスキーを楽しめるのだろうか」という投稿を見た。
「私もBAR行ったことないのでちょっと憧れていますが、ぶっちゃけボッ〇〇〇じゃないかと思ってしまいなかなか行けません」というコメント付き。

たしかにバーに行ったことがない人からすれば、「原価の何倍もの値段を払わされるのはボッタクリ*1ではないか」となってもおかしくはない*2。

でも一つ理解してほしいことがある。バーのお勘定は、出されたお酒の対価「だけ」ではないのだ。少なくとも私の理解では。

私は「あの時あのバーで起きたことがもう一度体験できるなら、その時払った金額の何倍払ってもいい」と思えるような経験をしたことが何度かある。それもあってバーにお支払いしているお勘定はバーで得られる体験すべてに対してのものだと思っている。

私が先日バーに行った時のお勘定がたまたま10500円だったので、私の言っていることがどういうことなのか、その晩の話から始めさせて欲しい。

ある晩のバーでの体験

その夜飲んだ酒は以下の通り。すべてハーフ。

最近Hoopから出たブナハーブン12年。
アバフェルディ21年マデイラカスク。
グレンオード18年スペシャルリリース2019年。
洋ナシ100%という珍しいカルバドス(詳細は失念)。
現行バランタイン17年。
ウイスキートレイル98グレンバーギー21年。
OMC00ロングモーン15年。

7杯飲んだので一杯当たり1500円。

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ちゃんとしたバーでお酒をお願いすると、バーテンダーの手によってそれぞれのオーダーの流れが整えられて様々な角度から意味を持ち始め、単に1杯を7回飲んだという足し算ではすまない何かに変わる。

それはまるで腕のいいキュレーターが企画した美術展のようなもので、絵画のポートフォリオがそれぞればらばらに展示されるのではなく一つのコンセプトのもとにまとめて展示されることによって個々の和以上に格段に多くの情報と体験、感動という付加価値を観衆に与えるのと似ている。

家で7杯飲めば同じだけ酔っぱらうことはできるかもしれないが、あくまでも足し算のままで、かつ自分の知らない世界が開けるわけではなく自分で知っていることの再確認になってしまう部分が大きい。

そういう意味でバーテンダーの提案を聞きながらオーダーした7杯を飲むだけでも、すでに1万円に対する価値は十分あったと思う。

でもそれ以上の体験があった。それはバーテンダーや他のお客さんとのコミュニケーション。

その晩はたまたまウイスキーのインポーターの方がお二人別々にプライベートでカウンターで飲まれていた。それぞれの客がバーテンダーと会話しているうちに自然発生的に客同士とバーテンダーで会話の輪が出来た*3。

例えば最近リリースされて話題となったPBボトルを飲んでみての考察。

飲むと明らかにサルファリー(硫黄っぽい)で焦げたタイヤを感じるけれどそれはそれぞれの許容範囲内なのか、外なのか。
すごく飲み慣れている人だからこそその硫黄感が受け入れられるのか、逆に受け入れられないのか。

飲み時はいつなのか。
時間が経てばサルファーは抜けるのか。
硝煙系の硫黄と焦げたゴム系の硫黄の間に好みの違いはあるのか、あるいは前者は時間とともに抜けて後者は抜けないなどの違いはあるのか。

クラッシュアイス入れてミストにすればサルファーは消えるのか。
ハイボールにするとどうか。ウィルキンソンのような硬水の炭酸水入れるとどうか。

なぜその硫黄感が出てしまうのか。
樽のチャー(内部の焦がし方)の仕方なのか、そもそも樽の特徴なのか。
当時のその蒸留所ではどのようなクオリティの樽が使われていたのか。

一本のボトルから紡ぎだされる物語は広がりを見せ、多くの経験談や知識がカウンターの端から端へと、バーテンダーとカウンターの客全員を巻き込んでやり取りされた。

仮に話の輪に入らずただ隣で飲んでいるだけでも、下手なウイスキーの本を読むよりも得るものは多かったのではないか。

その会話のキャッチボールを通じてプロのテイスティングのポイントは何なのか、自分と違う感じ方をした理由は何なのかも含め、様々なことを知ることができた。願わくば私もその会話に何らかの付加価値をつけられていればよいのだが。

そしてその時にご一緒した方からご紹介いただいて、ずっとお会いしたかった別のインポーターさんに後日ようやくお会いすることができた。いろんな方と出会って世界が広がるのも、バー飲みの美しい点の一つだ。

カウンターでの会話や人との出会いだけではない。

かつてこんなこともあった。バーで飲んでいたら、別のバーのある著名なバーテンダーがプライベートで飲みにいらっしゃった。

彼はカウンターの上のバランタイン17年現行品をロックでオーダー。

美しいバカラのアンティークのグラスに綺麗に削られた丸氷がコロンという音とともに納まり、そこに無造作にバランタイン17年が注がれる。

それこそ何万本もウイスキーのボトルを試してきた日本でも指折りのバーテンダーがそのグラスを手に取って飲み、「これ旨いんだよね」と呟く。

ここ数ヶ月ずっとそのボトルはカウンターに置かれていて、一向に減る気配はなかった。失礼だがわざわざモルトバーに来てスーパーの酒売り場にも置いてありそうなバランタインの現行品を頼む客はあまりいない。だが彼がそう言って飲み始めると、俄然我々もバランタイン17年オンザロックを飲んでみたくなった。飲んでみるとさすがと思わされるいろんな気づきがあり、それを何度も確かめているうちに一夜にしてそのボトルは三分の一を残すほどになった。

ずっと売れていなかったはずのボトルが一晩にして突然減っているのを見て、次の日オーナーがなにが起きたのかと目を回したのではないか。

そのバーテンダーは多くを語らなかったけれど、我々は自分たちが知っていると思っていたことを自分たちは実は何も知らなかったこと、そしてウイスキーの奥深さに改めて気づかされることになった。

置いてある酒だけでバーの価値が左右されるのであれば、酒のストックが多くて値段が安いバーがいいバーということになるかもしれない。だがそれだけでバーの価値が決まるわけではないということをここまでのエピソードでわかっていただけただろうか。

今回はたまたまウイスキーの知識に絡む例や人とのつながりの例を挙げたけれど、バーの中がなんだかとても幸せな感情で満たされていてそのおすそ分けに与ることだってある

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ちゃんとしたバーで飲むというのは、ただお酒を飲めるということだけではなく、さまざまに素敵なことが起きる舞台に居られる権利を手にするということだ*4。

だからバーでのコミュニケーションを困難にさせるコロナのせいで、バーが単に客に酒を提供し客がそれに対価を払うだけの場に貶められてしまい、それがバーとバーテンダーをどれだけ傷つけ苦しめ、客を悲しませているのかおわかりいただけるだろう。

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もしあなたがバーに初めて行くのなら(老婆心ながら)

最初の質問に戻ろう。「Barに行った事ないけど予算1万くらいだったらどれくらいウイスキーを楽しめるのだろうか」。それに対する答えは「自分次第」だ。自分の知っているボトルをバックバーで見つけてそれを頼むという行為だけを1万円分繰り返すだけだとバーで本当にウイスキーを楽しんだことにはならない。これまで書いてきたことですでにお分かりいただけたと思う。

バーに初めて行くのであれば、少し下調べをして自分に合いそうなバーを探してみよう。そしてそのバーに行ったことのある人を探して、お店に先に連絡を入れてもらおう。友達にそのバーに行ったことのある人がいなければ、SNSでつながっている人でもいい。

この時期「バーに初めて行くという知り合いがそちらに伺いたいと言っているので、1万円の予算でバーの楽しみ方を教えてあげてもらえませんか?」と言われてやる気にならないバーテンダーはほぼいないだろう。

出来れば一人で店に出向き、自分がこれまでに飲んでみて好きだったお酒のどんなところが良かったのかを伝えれば、バーテンダーはそこからの流れを考えてくれるだろう。バーが初めてだと伝えてあるのだから何も恥ずかしがることはない。

慣れないカウンターでも緊張する必要はない。普通の飲食店でのマナーと違うことはあまりなく、3つだけ覚えておけば大丈夫だ*5。カウンターに置いてあるボトルを手に取るときには断ってからにすること。写真を撮るときは一言断って他のお客さんが映らないようにすること。他のゲストに話しかけたいときはバーテンダーが自然に話を振ってくれるまで我慢すること。

そして他のお客さんが何を頼んでいるか、それを飲んでどんな感想をバーテンダーに伝えているかをさりげなく観察してみよう。得られることは実はたくさんある。だからバーには一人で行くことをおすすめする。

いいバーにはいいお客さんがついている。いいバーだけどいいお客さんがついていないということはあり得ない。

先ほど挙げたバーでの経験は運に恵まれた例であることは否定しない。だがこだわりのあるちゃんとしたバーにはこだわりのあるちゃんとした人が集まり、幸運に恵まれる確率が上がる、というのも間違いない事実。そしてちゃんとしたバーに行っても、ただカウンターに座っているだけでなく自分から手を伸ばして幸運をつかむ必要もある。

例えば北海道一周していろんな観光地を一週間で見て歩き、同じだけのお金を使うとしよう。ずっとホテルに泊まってホテルの部屋でセコマの弁当食べて檸檬堂飲んで終わらせるAさんが得るものと、民宿やキャンプ場に泊って毎晩地元の人が行く居酒屋で食事をするBさんが得るものとでは中身が全然違う、というのはお分かりいただけるだろう。

だから限られた予算の中で最もバーを「楽しむ」ためには、自分は舞台を単に眺めている一人の観客ではなく、自分もバーという一つの舞台を一緒に作り上げている一人だという自覚を持ち、バーの底力(バックバーの在庫、バーテンダー、同席したゲストも含めた総合力)をフル活用することだと思う。


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バランタイン17年




*1 「私もBAR行ったことないのでちょっと憧れていますが、ぶっちゃけボッ〇〇〇じゃないかと思ってしまいなかなか行けません」が「ぶっちゃけ牧歌的」である可能性もわずかにあるかもしれない

*2 お酒の仕入れ値の2-3倍の価格が平均的だと思われる、ちなみに役に立たない豆知識だがスタバのコーヒーの原価は20円ぐらいで売値は最低でも20倍近いのだがこのコメントした人はスタバに行ったことはないのだろうか

*3 照明も控えめでゆったりとしたスペースのバーなのでもちろん大声で話したりはしない、またバーテンダーがさりげなく話を振ってくれる前にいきなりこちらから隣の客に話しかけるのはちゃんとしたバーだとマナー違反なので念のため

*4 そんな店では団体客やうるさく騒ぐ客が嫌がられる理由もわかるだろう、彼らは店とのコミュニケーションをとることもなく、バーにすでにあるコミュニケーションを分断してしまい、バーを単なる酒がサービスされるだけの場所に貶めてしまうからだ

*5 予約に遅れるときは連絡を入れる(しない人意外と多いが店に入った時の印象非常に悪い)、紹介で来た場合は初めにちゃんと自己紹介する(同)、酔っぱらって大声で話したりカウンターで寝ない(よくある)、グラスは丁寧に扱う(バーのグラスは見た目よりも高いことが多い)、勝手に手酌で注いで飲まない(実話)、カウンターに置いてあるカクテル用のブドウなどの果物を勝手に食べない(実話)、下ネタや飲み物持ち込みは基本禁止、などなど普通の飲食店でも人として当たり前のことはあえて書かない(そもそもこれがなぜ当たり前かわからない人はバーに行くのは大人の方とご一緒でお願いします、ズボンのチャックは閉めるとかゲップしないとかまで書いたほうがいいですか?)




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