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09.色の無い世界

残酷な自画像

 学生時代、美術の時間が好きな人は多かったのではないか。2時間ぶち抜きで絵を描いたり、粘土こねたり、鑑賞したりと授業的な授業が行われないからだ。成績至上主義家庭の場合は如何に高い評点を得るかを考えると美術ほどわかりにくいものもないかもしれない。解釈次第で美術作品などいくらでも変わるからである。
 そんな美術のなかで、必ず最初に描くのが自画像である。私はこの時間が嫌で仕方なかった。色盲だからだ。私の見える世界は一般的な見え方と比べてシンプルであり、およそ10色程度で構成されていると思ってもらえるとわかりやすいかもしれない。そのため写実的な色彩画は独自性が出てしまう。それを指摘されるのが嫌で仕方なかった。

個性の発見

 最初に色盲を疑われたのは保育園の年中の頃、自宅の絵を描いた時である。純真無垢な気持ちで精一杯の家を書いていた少年に対し、先生が違和感を感じたのである。母親に伝えられたその違和感により、私は病院に連れて行かれた。案の定、私は先生に色を聞かれた時に硬直していたらしい。
 そこから高校卒業まで、何度「これ何色?」と聞かれたかわからない。私の中で色は暗記なので、そこまで一問一答をやられたら基本何でも答えられるようになる。太陽は赤、机は茶色、葉っぱは緑など、記憶を頼りに回答を重ねたことで、私の色彩武装は強化されていったのである。

色づく世界

 日常会話で当たり前に行われる、「あの赤い髪の人見て」とか「紫のカバンとって」みたいなやり取りは私にとっては緊張の一瞬である。その一言をきっかけに急に世界が色づくのだが、その色づいた世界に赤や紫があってくれと願う瞬間である。色が他の人と同じ認識を持てない以上、必要情報として脳が認識することをやめており、気を抜くとすぐに世界から色が消える。その繰り返しである。
 これを歌にしてくれる人大募集。back numberあたりが「カラー」って名前で歌ってくれないかな。


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