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【パロディ】禁酒の心(現代風)

 私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである。
 日頃酒を好む者、いかにその精神、厚顔卑小になりつつあるか、「今日は少しだけ飲みに行こう」と言っていた輩が、酒も入って大いに調子に乗り、「さあ、今日も二次会に行くか」と言い出すなど、まことに失笑を禁じ得ない。また、「お姉ちゃんがいっぱいいるお店に行くぞ」と豪放に笑ってみせるが、まだ酔いが廻っていない傍の友人はにこりともしないので、いっそうみじめな風景になる。また昔は晩酌の最中に、ひょっこり遠来の友など見えると、やあ、これはいいところへ来て下さった、ちょうど相手が欲しくてならなかったところだ、飲みにでも行きましょう、というような事になって、とみに活気を呈したものであったが、今ははなはだ陰気である。
「さあ、キャバクラへ行こう。八時半までに入れば安いからな。指名の娘はユカちゃんにしよう。人を誘うのはやめておこう。ユカちゃんの気がそっちに行ったら大変だ」もともとユカちゃんには歯牙にもかけられていないのに、そこは精神、厚顔卑小になっているものだから、自分の彼女のように考えている。他の客に指名されては大変だ。それこそ店で指名の娘といる時は、風声鶴唳にも心を驚かし、外の足音にもいちいち肝を冷やして、何かしら自分がひどい大罪でも犯しているような気持になり、世間の誰もかれもみんな自分を恨みに恨んでいるような言うべからざる恐怖と不安と絶望と忿懣と怨嗟と祈りと、実に複雑な心境で顔の表情を暗くして背中を丸め、チビリチビリと酒をなめるようにして飲んでいる。
「いらっしゃいませ」他の客が店に入ると、ボーイが愛想笑いをする。
「来たな!」屹っと身構えて、この女獲られてたまるものか。それ、この女の顔を見えないようにハンカチで隠せ、まだニ十分しか話していないんだ、今日こそはデートの約束を取り付けなくてはならない、他の客においしいところだけ持っていかれてたまるものか、と店中をぎょろりと見まわして、キャバ嬢に向き直り、それから急に猫撫声で、
「ねえねえ、今度二人きりでデートしようよ」
 ああ、書きながらも嘔吐を催す。人間も、こうなっては、既にだめである。浩然之気もへったくれもあったものでない。「月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して盃出したる、よろずの興を添うるものなり。」などと言っている昔の人の典雅な心境をも少しは学んで、反省するように努めなければならぬ。それほどまでにお姉ちゃんと話したいものなのか。
 夕陽をあかあかと浴びて、鼻の下を伸ばした男たちが派手な女性を連れて居酒屋などに沢山いる。どうやら同伴出勤らしい。その一組の話に聞き耳を立ててみる。
「ねえ、来週の金曜日、私の誕生日なの。お店に来てくれる?」女性がもじもじしながら、男の顔を上目遣いに見る。基本的にキャバ嬢の誕生日は二ヶ月に一度くらいは来る。
「勿論さ。じゃあ、プレゼントを買ってやろう」
「嬉しい。それじゃあ、前から欲しかった〇〇のバッグを買って」
「いいとも」
「ありがとう。大好き」
 これで一丁あがりである。これから、この男はこの女性にいくら貢ぐことになるだろうかと嘆息してしまう。これを五度、六度ほど繰り返して、やっと目が醒めるのである。女性が決してそんなにうまく貢がせているわけではないと思う。男がこのごろ馬鹿になったのではないかと私には考えられる。キャバ嬢と一発いたしたという男がいるので、いままで飲みに行った事のない男まで、それはいい、ぜひおれも一発、といういかにも小人のもの欲しげな精神から、キャバクラというところへも一度突撃して、やってみたい、何事にも負けてはならぬ、若いお姉ちゃんと話してみたい、アフターというものも話には聞いているが、その後、キャバ嬢のお姉さんとやれるのでは、などというつまらぬ考えから、いつのまにやらいっぱしの常連になって、キャバクラ通いがもうやめられなくなっている男たちも、かなり多いのではないかと私には思われる。とかく小人は、度しがたいものである。
 たまにキャバクラなどへ行ってみても、実にいやな事が多い。お客のあさはかな虚栄と卑屈、キャバ嬢の傲慢貪慾、ああもう酒はいやだ、と行く度毎に私は禁酒の決意をあらたにするのであるが、機が熟さぬとでもいうのか、いまだに断行の運びにいたらぬ。
 店へはいる。好みの娘を指名する。「いらっしゃい」などと言われてキャバ嬢に笑顔で迎えられたのは、あれは昔の事だ。いまは客のほうで笑顔をつくるのである。「こんにちは」と客のほうからキャバ嬢に満面卑屈の笑みをたたえて挨拶して、そうして冷笑されるのが通例になっているようである。念いりにお世辞まで言って、生命保険の勧誘にでも来たのかと思わせる男もあるが、これもまさしくキャバ譲に貢ぎに来たお客であって、やはり冷笑されるのが通例のようになっている。更に念いりな奴は、わざわざお土産まで持ってくる。キャバ嬢が来るなりすぐ、「これ、出入りの業者に貰ったので、皆で食べなさい」と渡す。なんのことはない。実は自分で買ってきたものである。背広を着ているので、会社員か思うとそうではない。意外にも無職だったりする。キャバ嬢の機嫌をとりたい為に、わざわざお土産を買って来るのであろうが、苦心の甲斐もなく、やっぱりキャバ嬢に黙殺されている。渋い芸も派手な芸も、あの手もこの手も、一つとして役に立たない。一様に冷く黙殺され、「明日も来てくれる?」と営業されるのがおちだ。けれども客もひるまず、なんとかして一発やらせてもらいたいと願う心のあまりに、自分の財布の中身は空っぽなのに、ついには「よし、分かった。明日も来よう」と言って、借金してでも店に通おうとするのだ。あきらかに、錯乱、発狂の状態である。実にあわれなものである。キャバ嬢はひとり落ちつき、
「ねえ。私も飲んでいい?」と尋ねる。
「いいよ」
「じゃあ、ビール下さい」一杯二千円のビールである。
「フルーツの盛り合わせも頼んでいい?」
 すかさず男は卓をたたいて、
「ありがたい! 大好物。そいつあ、よかった」内心は少しもいい事はないのである。高いだろうなあ、そいつは。おれはフルーツの盛り合わせなんて、食べたくもなんともない。けれども、いまは大いに喜んだふりをしなければならぬ。つらいところだ、畜生め! 「フルーツと聞いちゃ、たまらねえや」実際、たまらないのである。
「ねえ、今日は閉店までいてくれる?」
「えっ?」
「だって、最近あまり来てくれないじゃん。寂しいよ。ね。いいでしょ?」
「うん、分かった」
「よかった」
 けれども内心は大いに困惑している。もうかなり延長しているから、閉店までいたら、勘定が五万円を軽く超すに違いない。これで今月は毎食カップラーメンだ。
「終わったら焼肉を食いに行かないか?」せめて焼肉を頂いた後に、キャバ嬢までついでに頂けないか、とのあさはかな考えだ。
「うん。お腹空いてたの」
 だが、これで一発できると思ったら大間違いである。焼肉を食べるや否や、「ありがとう。今日はごちそうさま。じゃあね」
 男は心の中で地団駄を踏むが、無理矢理誘って嫌われたのでは、今まで貢いだお金が全てパアになるので仕方なく頷く。
「なあ、今度は昼間にデートしようぜ」
「じゃあ、明日お店の始まる前に逢おうよ」勿論その後、男と同伴出勤しようとの見え透いた魂胆であるが、男はすっかり騙されていて、「わかった。デート後、お店にも行こうかな」と血迷った事まで口走る。酒を飲みに来たのか、キャバ嬢に貢ぎに来たのか、わからなくなってしまうらしい。
 なんとも酒は、魔物である。

(了)

私はこの「禁酒の心」がかなり好きらしく、いじりまくってしまった。
太宰治ファンの方、誠に申し訳ありません。

太宰治の「禁酒の心」はこちら。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/284_34625.html
真の文学でお口直ししてください。




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