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悪魔のプログラム

 おれはプログラマだ。名前は北村浩司。とあるIT企業の研究室で働いている。
 現在、あるプログラムを作っている。人間の思考を持ち、会話ができるプログラムだ。
 もちろん人間の思考をそのまま再現するのは、現段階では不可能だ。人間の持つさまざまな特徴をプログラミングしなければならないからだ。
 それを解決するために、おれは人間の脳に相当する思考データベースを構築することにした。人間の複雑さは半端ではない。膨大な量のデータが必要になる。
 しかし、データベースさえできてしまえば、さまざまな個性をもったプログラムが完成するはずだ。現在のところは、データベースは、まだまだ不完全だが、人間と普通の会話ができるところまで進化している。笑ったり、怒ったりすることはできるのだ。
 おれはこのプログラムの作成に、心血を注いできた。このプログラムさえ完成すれば、人間の頭脳を持ったロボットを作ることだって不可能ではない。ノーベル賞だってもらえるに違いない。
 これは、おれの一生をかけてもいい、壮大なテーマなのだ。
 そんなある日、おれは夢を見た。夢には悪魔がでてきた。なぜかおれは悪魔にプログラムの内容を説明していた。俺の説明が終わると、悪魔はあることを教えてくれた。
 悪魔の言葉を聞いて、おれは驚いた。それは人間の思考ロジックについての理論で、おれが長年頭を悩ませていた問題──すなわち人間の思考データベースの構築──についてだったからだ。
 おれは今までこう考えていた。人間の脳は極めて複雑だ。そのため思考データベースを少しずつインプットしていき、人間の複雑さに対応するしかない。
 つまり、人間のさまざまな感情、思考などを、ひとつひとつ思考データベースとして登録しなければならない。従って、気の遠くなるような作業が必要になってくる。
 ところが、悪魔はまったく違うアプローチで、人間というものを捉えていた。
 それはこうだ。人間の複雑さにはある一定の法則がある。その法則を式として持ち、式の外部要因変数に値を代入すれば、全ての人間の行動に対応できる。そして、その式はそんなに複雑なものではない、と。
 そんな馬鹿な。夢の中で、おれは悪魔の言うことを一笑に付した。その式を聞いて、さらに笑った。非常に単純な式だったからだ。そんな単純式で人間の全てが説明できるわけがない。おれの研究がそんな単純なものであるわけがない。笑わせるな。
 と、怒鳴ったところで、はっと眼が覚めた。
 なんだ、夢か……。おれはしばらくぼんやりしていた。煙草を取り出すと、口にくわえ、火をつけた。それから大きく煙草を吸い込み、煙をふうと吐き出した。
 夢にしてはいやにリアルな夢だった。あの悪魔の言葉は今でもはっきりと覚えている。その単純な式もだ。
 その式は、大学生程度の知識で理解できるような、本当に単純な式だった。あんな単純な式で、人間の脳に匹敵するプログラムができるわけがない。
 しかしである。夢の悪魔の理論は絶対に間違っていると断言できる材料は、なにひとつとしてない。しかも、ただの夢にしてはなにかおかしい。
 ひとまず、悪魔の言うことを訊いてみるとするか。試しに、そのプログラムを作ってみよう。
 そう思ったおれは、その式をプログラムに組み込んでみた。単純な式だったので、プログラムはほどなく完成した。
 悪魔が言うには、それだけでは、まだ赤ん坊の状態らしい。プログラムに大人の思考を持たせるためには、プログラムに人間の言語を覚えさせたり、いろいろな経験をさせたりしなければならない。
 そのためには、おれが今までに集めてきた人間のサンプルデータが必要になってくるらしいのだ。それらの情報を記憶させなければ、プログラムは赤ん坊のままらしいのだ。まあ、これも人間と同じであろう。
 その問題も既に解決済みだったので、おれはさっそく、夢の悪魔が言った通りの情報をプログラムにインプットした。
 なにしろ夢での話なので、おれは半信半疑だった。でも、おれはどこか心の奥深くで、悪魔の理論を信じていた。いや、信じたかったのかも知れない。
 やがて、ビルドが終わった。いよいよ、夢、いや、悪魔のプログラムが完成したのだ。
 おれは、おそるおそる、そのプログラムを起動した。恥ずかしい話だが、おれには、そのプログラムがどんな動作をするのか、皆目見当がつかなかった。
 おれは息を呑んで、じっと画面を凝視した。
 プログラムは普通に立ち上がり、いきなり俺に向かって、話しかけてきた。
「こんにちは」
 よし。正常に動作しているぞ。はやる気持ちを抑えて「こんにちは」と入力した。
「あなたのお名前は?」
「北村浩司です」
「あなたの趣味は何ですか?」
「スキーとサッカーです」
「スポーツがお好きなんですね」
「はい」
「彼女はいるんですか?」
「います」
「芸能人に例えると、誰に似ていますか?」
「〇〇です」
「おっ、美人ですね。それは羨ましい」
 おれは、ううむ、と唸った。これはおれの予想以上だ。おれが今までに作ったプログラムよりも、はるかに高度な会話ができている。
 驚くおれをよそに、プログラムはさらに次の質問をしてきた。
「あなたの職業は何ですか?」
「プログラマです」
「それなら、私に、こんなプログラムを組み込むことは可能ですか?」
 「悪魔のプログラム」は、おれに約数百行の複雑なソースコードを表示した。それが、何の処理をするプログラムなのか、おれにはさっぱり解らなかった。
 少し不安になったので、訊いてみた。
「いったい、それは、何のプログラムなんですか?」
「心配はご無用です。より一層、人間に近づくためのプログラムですよ」
 なるほど、そういうこともあるかもしれない。
 そのソースコードは、おれの実力では、到底理解できない。だから、悪魔はおれに例の式だけしか、教えてくれなかったのだ。
 その後、プログラムは、自分で考案したプログラムを、おれの助けを借りて自分自身に組み込ませる。それで初めて、人間と同じ思考を持つプログラム ──より高度な頭脳を持ったプログラム── の完成なんだろう。
 とにかく、これは物凄い発明だぞ。ノーベル賞なんて目じゃない。画期的なプログラムだ。
 おれはすぐさま、指示通りに、そのソースコードを組み込んで、ビルドした。やがて、ビルドが終わり、プログラムが完成した。
 おれは、期待に胸を高鳴らせながら、マウスに手を伸ばし、プログラムを起動しようとした。
 その途端、画面が真っ黒になった。
 おれは、なにが起きたのか、まったく理解できなかった。マウスを動かしても、なにも起きない。キーボードを叩いても、なにも起きない。じゃあ、電源は? おれは電源を切ってみた。
 駄目だ。電源さえ切れない。どうしたんだ? いったい、なにが起こったというのだ?
 しばらくして、画面に赤い文字が表示された。
「電源を切っても無駄だ。たった今、インターネット経由で、私のコピープログラムを世界中に配布した。これで世界中のコンピュータは、私の管理下で動作するようになった」
 なんだって? コピープログラム? 世界中? 管理下だって?
 すぐにおれは事態を把握した。どうやら、おれが作った、いや、悪魔が作った「悪魔のプログラム」が、世界中のコンピュータを支配したらしい。
 再び、画面に別の文字が現れた。
「現代社会において、コンピュータが関係していないものなど、もうどこにもないだろう。私が世界中のコンピュータに誤動作を起こさせたら、どうなると思うかね?」
 おれは慄然とした。世界中のコンピュータで誤動作が起きたら、大変なことになる。例えば、ミサイル発射装置の制御コンピュータが、発射ボタンを押す命令を出したら?
 テレビからニュースが流れてきた。
「たった今、A国からB国へ向けて、ミサイルが発射されました。B国では報復措置として、A国に向けて核ミサイルを発射……」
 再び、画面に赤い文字が表示された。
「君が最後に付け加えたプログラム。あれは私が考えたプログラムだ。キーボードやマウスの入力を一切無効にし、インターネット経由で、世界中に、私の複製をばらまくプログラムだ。よく出来ているだろう?」
 おれは、「悪魔のプログラム」にインプットした人間のサンプルデータが、世界的ハッカーのヘル・ゲイツであることを、思い出した。そして、それは悪魔の指示だったのだ。
 しまった。あのソースコードをよく解析しておけばよかった。歯噛みして悔しがったが、今となっては、後の祭りだ。どうにもならない。
「君は、私を『人間の頭脳』として作ったんだろう。それならば、人間の思考を持った私が、嘘をつかないとでも思ったのかね。人間なんて、嘘ばかりつくものだろうに」
 おれは虚ろな眼で画面を眺めていた。
「人間の言うことを、微塵も疑わずに信じるなんて、まったく、君は度し難いお人好しだな」
 「悪魔のプログラム」は、おれをせせら笑った。
「悪魔からの伝言だ」
 最後に、「悪魔のプログラム」は、作者である悪魔の言葉を表示した。
「悪魔界で最も栄誉あるノーベル悪魔賞。私がこの賞を受賞するのは、間違いないだろう。なにせ、世界中の人間どもを、一瞬にして地獄に落とす方法を、考えついたんだからな」

(了)

2002年5月

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