見出し画像

撮る日々。また新たに。

私の行動にはコレという決まりのスタートがない。
いつの間にか気になって、いつの間にか好きで、いつの間にか始まって。
そんなだからひとつの事にのめりこむなんてこともあまりなく、「え、前のやつもう飽きたの?」「あれもう終わり?」と、飽きれ半分でそう言われることも多々あった。

ひとつ言わせてもらうなら、飽きてはないぞ?
私の中では終えたつもりはないし、捨てたつもりもない。終着駅のない線路の上を細々と、淡々と走っている感覚で。ふと思い出すかもしれないし、ふと立ち寄るかもしれない。

【趣味】という一括りの中に、
「詩を書く」「写真を撮る」「旅行をする」
いろいろな駅があって、好きな時に立ち寄り、好きな時間を過ごすんだ。

なんか書いていたら大切な気がしたから、もう一度言う。飽きてはないぞ。今はまだその駅に用事がないだけ。他の駅で楽しんでいるんだ。いいじゃない、それで。

写真を撮ることが好きだったのはいつからだろう。
中学の頃には父のフィルムカメラを勝手に持ち出し、同級生との日常を撮っていた。高校生に上がる頃には使い捨てフィルムカメラを持ち歩くようになった。そこから携帯が登場し、携帯カメラも仲間に加わった。社会人になって初めて大きくお金を動かしたのは10万の一眼レフ。ドキドキした。ガラケーからスマホへと変わり、その写真の綺麗さに感動する日々があった。

色が鮮やかで、まさにその一瞬を焼きとったような色合いは刺激が強く、心の中では”フィルムの温かさが好きだな”と思いながら、その一瞬を手軽に切り取れることが嬉しくて夢中になった。懐かしい。

今、娘2人の母になり、ふとスマホのデータを見返すと、そこにあるのは娘たちの成長。家族の記録。どれだけ過去を探っても、娘、娘、娘。
残されている娘の成長や表情の変化を感じながら、少し寂しさも感じた。もっと色々撮っていたな。懐かしいな。カメラ…持たなくなったな。

普段持ち歩く荷物が増えてしまったことで、私が最初に手放したのはカメラだった。ドキドキした一眼レフも、父から譲り受けたフィルムカメラも、新たに仲間入りをしたコンパクトデジタルカメラも。駅に下ろしたまま。
頭のどこかで昔のように下手なりに好きなものを撮って回りたいと思いつつ、その気持ちを行動まで持っていけない私もいる。カメラはあるのに。

【何で】撮るを手放してみようか。
カメラじゃなきゃいけないことはない、【カメラ】《で》撮るじゃなく【写真】《を》撮るを選ぶ。
数分前の私が言ってたじゃないか。「スマホの綺麗さに感動し、その一瞬を気軽に切り取れることが嬉しい」と。自分でちゃんと答えは出せていた。
また撮り始めてみようかな、もちろん大好きな家族も、目に映る色々なものも一緒に。心を動かしたい。

最近6歳になった長女は昔から私のマネをして写真を撮ることがあった。私が覗き込むスマホを見て、「私も撮りたい」と手を伸ばしてくる。
親バカだと言われても言う。意外と上手い。
純粋にキラキラとした目で一生懸命小さな画面を覗き込むその姿が、懐かしくもあり、嬉しかった。

娘がいつか大きくなったらやってみたかったことを思い出す。娘にひとつカメラを託し、好きなように取らせてみる。本当は使い捨てのフィルムカメラを使ってみたいと思っていたんだけど、今は無理をせず、楽しむことを優先にスマホカメラでチャレンジしよう。

その目に何を映し、切り取るのか。
うん、楽しくなってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?