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無題無題


 お弁当を食べていたとき、米粒がひとつひとつ何かの赤子である想像をして嫌になった。
 魚卵を食べているときも似たようなものなのになと思いながら、嫌な気持ちで無数で赤子を食べた。

 駅前ではおじいちゃんが怒鳴り散らしている。
 このおじいちゃんはどういう経緯を経て駅前で怒鳴り散らすに至ったのだろうと不思議に思う。
 もしもこのおじいちゃんが「駅前で怒鳴り散らすおじいちゃん」としてこの世に生を受けたのではないなら、世界中の子供たちの行き着く果てがこれである可能性も、あるにはあるのか。

 さっき食べた赤子が歯の裏に挟まって泣いている。
 そのまま飲み込むのも酷かと思い奥歯で噛み潰してから飲み込んだ。トドメをさした方が慈悲深い場合もあると聞いたことがある。

 知識が増えると今までの人生の不思議に合点がいくことは多々ある。
 けれど、それは私にとってあまり良くないことだ。

 変な動き方を笑われていた小学校の同級生のおそらくの障害名が分かったり。
 家の裏手の方にあるトンネルの、スプレー缶で書かれた「腹上死」という落書きの意味を知ったり。
 その脇に書いてある女性の名前が中学時代の先輩の姉だったり。
 あとは、思い返せば家庭崩壊していたんだろうなと思うクラスメイトのこととか、入院したとき同室に退職した若い先生がいたこととか。

 そういう事柄の辻褄が合ってしまうのは暗い気持ちになる。それがそのまま耳鳴りになって襲ってくるときがある。
 耳鳴りとおじいちゃんの怒鳴り声とたぶん幻聴の笑い声。
 私はとりあえずおじいちゃんに「寒くなってきましたね大丈夫ですか」と話しかけた。
 おじいちゃんは急に黙ってどこかへ行った。

 翌日おじいちゃんはいなくて、代わりに吐瀉物の痕跡が駅前の地面にこびりついていた。
 おじいちゃんはこれの妖精さんだったのか?

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