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龍体エネルギー

いま 感覚の 高みにいる
わたしの 魂の 深みで
精神の 火の世界から 発する
神の 真言が 燃えあがる。
精神の地平で 予感しつつ 探し
精神につながる あなたを見出せ と。

魂のこよみ 第13週 R.シュタイナー 秦 理恵子訳


「6月の〇日、予定あります?」と法螺仙人から電話があった。

 白山〇〇神社に行くらしい。調べてみると、そこは、岐阜県にあるらしい。正式参拝に誘われて、「友人も誘っていい」と言われ、私に電話をしてきたらしい。

 法螺仙人とは私の友人で、日本全土の山々で、法螺を吹いている。父の葬儀にも彼に法螺を吹いてもらった。

 その日は父の月命日だったが、その時は気づかず、空いていると答え、行くことにした。それは、6月下旬のことだった。

 月命日には、弟が来ることがわかっていたから、弟に任せればいいか。伴侶にも話すと、何か呼ばれているのかも、行くのはいいことだと思う、とのことだった。

 その晩、伴侶は「能登の少女姿の女神が、私が会いに来てくる~嬉しい!」と喜んでいたという夢を見た。能登と関係があるのだろうか。その神社を調べてみると、加賀地方ではなく、岐阜にあった。

 主催者は、Aさんという仙人の友人らしく、集合場所は、「道の駅 〇〇」となった。

 直前の連絡では、「正式参拝はなくなった」らしい。

 なんとも不思議だ、正式参拝の一員として参加するはずだったのに、それがなくなって、プライベートであちこち巡礼することになった。

 最初からそんなプランだったら、知らないグループの人たちだったので、遠慮して断っていたかもしれない。

 伴侶も不思議げに同意した。
 神様から呼ばれるのはこんな感じになることが多い。出雲大社に呼ばれた時も、旅行に行こうと、最初に言い出した人は結局行かなかった。
 最初の計画とその後の計画はふしぎに変化する。

 前日の晩から、まったく眠れなかった。何か来ている感じだった。
 FBのグループ連絡によると、二日間の予定は、

「白山〇滝神社、○○滝、白山○○神社、○○杉、○○大岩、大師堂、○○店」

ということだった。

 グーグルマップで調べると、早い時間なら、最初の集合場所「道の駅 〇〇」まで下道(したみち)で3時間ちょっと、高速でも2時間半くらいだった。

 節約も兼ねて、下道で早朝5:30に家を出発して、8:30に着いた。仮眠をちょっとして、ぶらぶらしながら、約束の11:00頃にみんなが来るのを待っていた。

 法螺仙人が来て、直後に、Aさんと友達のYさんも一緒にきた。  
 近くの白山○滝神社に着いたのは11:18だった。

 拝殿には、数名の人たちが先にいて、その人たちに誰かが説明していた。そのグループが去ってから、私たちだけでお参りをした。

 仙人が祝詞を上げ、法螺を吹いた。みんなのお参りが終わると、先ほど、グループの案内をしていた方が、わざわざ私たちのお参りを待っていてくださって、一冊のパンフレットを渡してくれた。

 そして、神社の経歴を詳細に説明してくれた。先ほどいたグループは環境省の人たちで7月1日から開山するので、その説明をしていたのだという。

 なんと!
 ということは、この方は神社を代表する方!

 その話の口調、物腰から宮司さんに違いない。敢えて確認はしなかったが、私たちはそう思い、改まって、お話を伺った。

「白山信仰は難しくない、水の信仰でもあり、雪が山につもって、雪解け水になり、滝になり、川になって、民を潤し、また雲となって山を覆う。そういう変幻自在の自然に対する信仰です。」

 というようなことをおっしゃった。

 その説明を聞いて、ああ、これが能登の姫神が龍神になって、駆け巡る姿か!と思った。

 龍体となれば、能登から白山一体まで、ひとっ飛びなんだろう…というイメージが湧いた。
 だから、夢で「会いに来てくれる~嬉しい!」ということだったのだ。

 拝殿での参拝を終えて、少し上がったところに、弁財天を祀る祠があった。
「ここはいいですね。」と仙人は言った。 
 祠は小さな堀で囲まれていた。そこには黒い玉のようなものがたくさん泳いでいた。オタマジャクシだ。
 ここはまだ寒いから、いまからオタマジャクシが蛙になっていくようだ。オタマジャクシもだいぶ大きかった。

 良い波動は、その水から来ていたのかもしれない。今考えれば・・・

 しばらく、神社を散策して、最初の集合場所の道の駅で昼食を食べた。

 Aさん、Yさんの乗る黄色いスズキのハスラーを先頭に、私のシャトルに仙人が乗って、二台で移動することになった。

 次の目的地は、○○滝だった。

 10分ちょっとで、下の駐車場に着いた。
 係の案内の人の誘導で停めようとしていたら、Aさんのハスラーが出てきて、「上に停めるところがあれば、ただで停めれるので、行ってみます。」ということで、私のシャトルもついていくことにした。
 すると、ちょうど2台分空いていた。そこに停めて、歩いていった。

 水に濡れるかもしれないということで、濡れてもいいように、私は短パンに着替え、セッタ型のクロックスに履き替えた。仙人は、いつもの、短パン、サンダル、スタイルだ。

 しばらく、歩いていくと、清流が見えてきた。すがすがしいところだ。
 看板が見える。

「養老六年(1250年前)泰澄大師が女神の夢のおつげによって開かれました。以来この滝は白山信仰の霊場として修業者達や多くの人びとの沐浴 修業の場・信仰の場として知られ霊験あらたかな滝であります。」

 女神さまか・・能登の姫神が待っているのはここかな?

 五分ほど歩くと、大きな滝が見えてきた。綺麗な滝だ・・・それからは引き込まれるように、滝に寄っていった。

 本当は滝の裏側に行く道があるそうだが、通行止めになっていた。

 普通の履物で行ける道は通行止めで、先に進めなかったが、サンダル履きの仙人やクロックスの私は川の中をじゃぶじゃぶと滝に招かれるかのように入っていった。

 仙人は法螺を吹き、私はしばし我を忘れ呆然と名瀑のしぶきを眺めていた。
 すると、仙人は上着をぬいで、禊を始めた。

 私は、念を凝らして、自分の聖地とこの滝と能登の奥宮を結ぶ瞑想をした。

 禊からあがってきた仙人も興奮さめやらず、白衣に着替え、さらに法螺を吹く。
 私はその音に紛れて、

「おーーーーーーーーーーーー!」

と発声しながら、スパイラルエネルギーの瞑想をした。

 ここに来るべきだったのか。
 ここだったのだ。

 一緒に行ったYさんが撮った動画では、太陽が脈を打つように輝いていた。
 私の撮った動画も虹の扇光線が移り、そこに横に映ったバーのような光が上下していた。

 ここがいきなりのクライマックスだった。

 だいたい旅の思わぬところで本当の目的地が現れるが、今回は初っ端だった。それも観光地だから、と全く期待していなかったところで。

 よくよく考えたら、最初に訪れた○滝神社の本体は、ここだったに違いない。昔は聖地だったので、一般の人は近づけず、遥拝する形があの神社だったのだ。

 あの神社に現れた宮司さん!
 あのタイミング!
 それも女神の使いだったに違いない。

・・・「白山信仰は難しくない、水の信仰でもあり、雪が山につもって、雪解け水になり、滝になり、川になって、民を潤し、また雲となって山を覆う。そういう変幻自在の自然に対する信仰です。」・・・

 白山信仰の本当の意味を伝えたくれたのだ。
 山々を覆う龍のような女神。

 ここが能登の姫神の本拠地だったのか・・・

 能登を含めた白山水系一体が龍体エネルギーのカバーする範囲なのかもしれない。

 このエネルギー、
 この迫力、
 まさに龍!

 滝の上の駐車場が、2台だけ空いていたのも、偶然ではあるまい。

「いきなり、メインイベントでしたね。」
「本当!」

 我々はビックリしつつも、歓喜して車の中で会話をした。

 白山○○神社の正式参拝がなくてよかった。あったら、あんなに時間をかけて、お参りすることは不可能だったろう。
 何事も、神様のお計らいだったにちがいない。

 その後は、予定のスケジュールをこなして、夜はみんなで反省会をした。私は、このグループは初参加だったので、自己紹介も兼ねて、いろいろと話した。
 すると、驚いたことに、不思議な動画を撮ったYさんも能登の姫神にご縁が深いと知り、びっくりした。

 Yさんは2024年の元旦の地震の一週間ほど前に、その神社の神様由来の鈴が、風もないのに、鳴ったらしい。

 何か行ってしてあげるべきだった、と少し悔やんでいた。

 Yさんもその姫神が大国主命の娘だと「知って」いた。由緒書きとか、歴史書の知識ではなく、「知って」いた。
 ご縁というのは、実に不思議なものだ。

 家に帰ると、その晩に、伴侶が「光り輝く、神々しい女神となった、能登の姫神が現れた!」夢を見た、と言う。

 神々も進化していくのだろう。アイヌの民話では、神々と人間は同等であり、互いに助け合い、切磋琢磨をする同魂の志である。

 昔、人は自然エネルギーと一体化していたのだろう。
 むしろ、神々と自然を共同創造していたというべきか。
 そんな太古の記憶がわずかながら、蘇ってきた旅だった。

 ひょっとして私たち日本人の、アストラル体は、龍体なのではなかろうか。

 能登には、縄文からの「愛の叡智」が封印されているという。それが、解放されていくのだ。それは、争いによってではなく、悪をも包含する大きな愛の渦となって、日本人に奥底に、太古より眠る「愛の魂」が目覚めることを意味するように思う。

 そういえば・・・
 今年の1月に、こんな夢をみたことを思いだした。
 地震があった元旦の晩から、2022年に能登の須須神社奥宮で参拝したときに撮った社の写真を見ながら、私と伴侶は、二人で、しばらく毎晩祈り続けていた。

そんなある晩だった・・・・

 姫神が巫女の衣装の姿で立っていた。
 すると、その周りを激しい風が竜巻のように旋回して、
 それが光り輝く龍体となり、姫神は薄いシルエットになって消えた。
 代わりに現れた龍は、その口から浄めの息吹きを、凄まじい勢いで吐き散らした。
 冬の嵐のような、その浄めの息吹きは日本全土を駆け巡っていった。

 ・・・能登から日本の復活が本格化する。そんな啓示をあたえる、浄めの息吹きだった。

 こうした、力強い龍体となった姿を見てから、その後に夢に現れる姫神はますます強くなっている。

 このエッセイの滝に現れた龍体の様子は、6月のものだが、9月21日の水害の後も、その龍体エネルギーが衰える様子は感じられない。

 実際の復興はまだまだというか、政府のやる気を全く感じないが、五次元的に、神々の世界では、順調のようだ。

 心を痛めた、優しい日本中のみんなの、能登によせる心が、これからも姫神の力となっていくにちがいない。


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