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魄から、魂の響きへ・・・

昨年の8月に父がなくなった。
これは、その50日目の出来事を書いたエッセイである。

ブーウー♪
ブーウー♪
ブーウーヒー♪

法螺貝の高音が突き抜けるように、青い空を舞って、登っていった。

「今回は逆に、低音がでなかったです。」
 法螺貝を奏上してくれた友人はそう言った。彼にはこれで3度法螺を吹いてもらったことになる。

 今日は、亡き父の50日目。
 二日前に地元の寺に頼んで、満中陰を終えた。
 葬儀と四十九日は仏式にしておいたが、自分の心情としては、惟神(かむながら)なので、神道で区切りとなる50日目に、お墓に納骨すると決めていた。そして、友人に、頼んでお墓で法螺を奏上してもらった。

 彼は、山々を巡り法螺を奏上している。
 奇遇にも父の亡くなる直前に、富士山に一合目から登って、三日かけて、登頂し、百名山の最後の行満を、法螺とともに終えたばかりだった。

 富士山を百名山の最後にとっておいたそうだ。法螺を通じて、山々で宇宙と繋がっているのが、彼だった。各地の磐座にも詳しい。
 いろいろと「わかる」人なので、供養してもらうつもりで、父の葬儀が決まったときに、連絡した。みんながいなくなった後で、通夜にも法螺を吹いてもらった。

 その時、法螺の音は、重低音しかでなかった。彼自身もビックリしたようで、今までこんなことはなかったという。通夜に法螺を吹くのも、彼にとっては初めてのことだった。

「あ~、これは大地に肉体のエネルギーをお返ししているんですね。」
 と彼は合点がいったようだった。重低音の周波数は、地に沈んでいったらしい。

 そんなこともあるのか・・・と不思議な気持ちになった。やはり、通夜には通夜の意味があって、一晩、肉体を安置する理由もあるようだ。
 昔の人はわかっていたのだろう。死後硬直の間、肉体のエネルギーは大地に返還されることを・・・

 そういうわけで、魄(はく)の響きが、法螺の口から轟(とどろ)いたのか。
 道教では、人の在り方を、魂魄と表現して、魂は精神のエネルギー、魄は(ソフトウェアとしての)肉体のエネルギーとされている。道教でなくても、肉体の大部分は、大地から得たものでなりたっているわけだから、そのエネルギーを亡くなった時に、大地にお返しするというのは理屈にあっている。物理的(ハードウェアとしての肉体)には実際その通りである。
 しかし、故人を送る側からすると、高音とともに天にも登っていってほしい、と願う。
 ということで、葬儀が終わって、火葬の時にも、頼んで法螺を吹いてもらった。すると、今度は高音も出た。なんだかホッとして、葬儀を終えた。

 50日経って、納骨すると決めた朝、友人を迎えに行って、家でも祝詞をあげてもらった。彼は一応神主の資格ももっている。家からお墓まで同行してもらい、祝詞、般若心経、等の後に、最後の法螺を吹いてもらった。母にも一緒に祈ってもらった。

 すると、今度は魂(こん)の響きの影響か、低音が出なかった。特に重低音が出なかったという。魂(こん)のエネルギーは法螺の響きに乗って、天に帰っていったのだろう。

 通夜の晩、法螺の友人は、父の遺体に向かって語りかけてくれた。・・・肉体を離れて行くことの準備など、いろいろと、その中で「今、宇宙にむけて、旅立とうする受付が大変混みあっている」とも話した。予期せぬ死を迎えて混乱している御霊が多くいるらしい。もちろん、ワクチンの影響である。

 葬儀は、家族葬で行なった。

 父の死因はウィルス性肺炎なのだが、死亡診断書には、covid19と書かれていた。世界中の学者、その誰もが存在証明を認める論文がないcovid19。なぜそれを死亡診断書に書くのだろうか?私は釈然としない思いで、その診断書を見つめたものだった。
 父はワクチンを打っていない。ワクチンを打っていない患者には、そういう診断書を書くように行政指導があるに違いない、とさえ思ったものだ。医者も日々の業務に追われて、covid19の存在証明を認める論文がないという情報を得られていないのだろう。

 ともかく、家族葬ではあるものの、近い親戚は通夜に来てくれた。その中に母方の従兄で小さい頃、よく面倒をみてもらった人の近況を、その姉から聞いた。なんと、その従兄は、急性の大腸癌になったという。彼がワクチンを打ったかどうかは聞いていないけど・・・発見されたら、もうすでに末期癌、という急性の癌が最近多発している。いわゆるターボ癌!これはワクチンの影響だと言われている。

 陰謀論ではない。ワクチンの成分に中にSV40(シミアン・ウィルス40)という癌誘発ウィルスが見つかっている。ワクチンとして全く必要のない成分である。その影響で、見つかった時は末期と言われるターボ癌が増えているらしい。

 存在証明のないcovid19を死因に書くより、急性の癌で亡くなった方にSV40の影響を調べほしいものだ!いみじくも、人の命を救うべくして医者になったのなら、今日本人をワクチンの害から救わずして、いつ救うと言うのだろう。

 そういう「ワクチンの副反応によって亡くなった御霊で宇宙行の受付センターは大変混みあっている」と法螺の友人は言っていた。

 父はそれを聞いて、なんと思ったのか・・・それはわからない。
 父が死を覚悟していたかどうか、三次元的には不明だったが、高次の彼自身、つまりハイヤーセルフの計画通りだったかもしれない。

 その証拠の手掛かりとして・・・
 今でも手元に、一つのレシートがある。

2023/08/29(火)14:24
鮭おにぎり 1つ 180円 おつり20円

 父と面会した帰りに、おにぎりを買った時のレシートだ。この時、父にはもう意識がなかった。この約1時間後に父は亡くなったようだ。鮭おにぎりが、最後の面会を表すタイムカードになってしまった。
 鮭おにぎりを買って、家に帰ってゆっくりしていたとき、病院から連絡があり、危篤状態に陥ったことを聞いた。着いた時にはもうすでに亡くなっていた。弟が職場から駆けつけるのを待って、医者が死亡宣告をした。・・・実際に息を引き取ったのは15:30頃だったようだ。

 8月29日15:30・・・この日付と時間の意味を知った時、父の死は、彼のハイヤーセルフの計画の一環かもしれないと思った。

 葬儀が終わって、フェイスブックの過去の写真とかが立ち上がってくるのを眺めていたら、ある磐座の写真が上がってきた。
 待てよ、とその磐座に最初に出会った時の写真の日付けを調べてみた。

なんと!3年前の2020年の8月29日!だった。

 その磐座は、法螺の友人に、案内してもらったものだった。彼いわく、この磐座は私が繋がるためにある聖地だと言った。実際、私が行って祈ったら、磐座の周りが輝いて、それが写真に写っていた。磐座が喜んでくれていることを実感した。この磐座は私が宇宙と繋がる、キー・ステーションのようなものだった。
 さらに調べたら、父が亡くなった時刻と、この磐座と私が繋がった時刻がほぼ同じだった。
 この磐座が開いた直後あたりから、コロナウィルスとワクチンで世の中は一変してしまうわけだが、3年経って、落ち着きはじめた同じ日の同じ時間に父は旅立った。

 父の魂(こん)は天に帰り、魄(はく)も地に帰った。

 そして、父の生きざま、心のエネルギーは、この世に残された。

 病状が悪化し、鎮静剤を打つ日に、事実上最後の面会をした。いろいろと思いはあっただろうが、人工呼吸器で繋がれて、思うように話はできない。

 私は、小さい頃、いろいろと連れて行って、遊んでくれて、ありがとう、と伝えた。

 すると、混濁した意識から目覚めたように、目を見開き、瞳の奥を輝かせて、両手をグーにして、肘を後ろに引いた。「また、スキーにいこう」という意味だろうと、その瞬間、私と弟は二人で泣いた。

 父は真っ直ぐな人だった。ストックを突いて、ソリを真っ直ぐ滑り出していくような、そのポーズはその生きざまをみごとに伝えてくれていた。
 何事にも真っ直ぐで、分け隔てない人だった。言葉にはしないが、ある種の深い優しさがあった。
 分け隔てのない、真っ直ぐな優しさ、それが私への遺産だった。
 私はどちらかというと、物事の本質を見極めることが好きで、そういうことが苦手だった。分かるというこうとは、分かつことにもなり、分断のエネルギーにもなる。傲慢になりがちで、親をも見下すこともあった。

 私には、「分け隔てのない、真っ直ぐな優しさ、」というものが欠けていた。
 通夜に、父の前で、一人で沈考し、懺悔していた時、それに思い当たった。

 ああ、これが、父が私に残してくれたものか、と。

魂(こん)は天に帰り、
魄(はく)は地に帰る

ケミストリーで生じる何かが、
発火して、渡される

ヒトのヒは「火」なのかもしれない、
天(魂)と地(魄)をつなぎ止める「火」

その生きざまのエネルギーが、
受け継ぐ「火」を残して、旅立っていく

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