◼︎自己紹介
こんにちは。
柔道整復師・PHIピラティスインストラクターの
垣尾 太我(かきお たいが)と申します。
僭越ながら、今回は自己紹介をさせていただきます。
志や思いを皆さんと共有できると嬉しいです💡
①治療の道に進んだきっかけ
生まれは滋賀県。
幼い頃から野球が大好きで地域の野球チームに所属し、毎日没頭していました。
大阪に越してきてからも野球をしましたが、ここで初めて“怪我”というものを経験します。
右下腿の肉離れに始まり、、
左下腿肉離れ、右膝の軟骨炎と怪我を重ね、あっけなく野球人生は終了。
中学に上がる直前までは車椅子生活でした。
高校野球は疎か、中学でも体育の授業がやっとの状態。
この時出会った柔整師、理学療法士の方を尊敬し、治療の道に進むことを決意します。当時12歳。
②学生時代
高校ではバイトをしながら学校の友人とバンドを始めます。
たしかドラム以外は一通りやりましたが、どれも極めることはできませんでした。
今思うと何か一つ極めておけばよかったと思います笑
進学先は理学療法士かアスレティックトレーナーの資格が取れる学校を希望しましたが、学力が残念だったので近所にある柔整科に進学します。
※入学するまでは柔道整復師になればスポーツトレーナーになれて、簡単にプロの選手につけると思い込んでいました。どうしようもない高校生です。
思い描いていた将来像とかけ離れており1年で退学を考えましたが、せっかく入ったし頑張ろうの精神でなんとか乗り切ります。
成績は中の下ぐらい。
油断すると一気に下降し、先生からは「お前は国試無理やな」と一掃されました。
ただ、20歳の私はお尻に火がつくと本気を出す系の生徒。
3年の秋(国試の半年前)には上位に入り、冬には順位1ケタまで昇りつめます。よく頑張った。
と、紆余曲折ありつつ無事(?)に柔道整復師になりました。
③社会人になってから
社会人になってからは鍼灸整骨院とデイサービスに勤務します。
患者様や利用者様とコミュニケーションを取り、体のこと、治療のことを少しずつ学びました。
ここまで順調にきていましたが
2年目あたりから雲行きが怪しくなります。
自分のレベルの低さを痛感するのです。
「まだ2年目だから当たり前」という言い訳だけはしたくなかったので死ぬ気で毎日勉強しました。
よし!セミナーや講習受けまくろう!!と意気込んでいると次はコロナがやってきます。
ですがこれが実は好機で、解剖生理、運動学などの基礎を徹底的に見直しブラッシュアップできました。
おそらくコロナがなければあの頃の自分はセミナージプシーになっていたことでしょう…
そういう意味では、少しばかり助けられたのかもしれません笑(でももう十分、早く終息することを願います)
④現在は??
学びにおいて基礎の大切さを痛感した私は、様々な文献や論文を読み漁り知識を増やしました。ただ知っているだけでは使えません。知識を“知恵”へと昇華させる必要があります
現場でアウトプットするのはもちろん、様々な先生方の力をお借りして今があります。本当にありがとうございます。
今は勤務しつつ出張やレンタルサロンで整体やマッサージ、ピラティス、そして講師業にも従事させていただいております。
2022年11月からはピラティスを軸に活動します。
もちろんセラピストは辞めません。自分にとっては原点であり、やりがいある仕事です✌️
枠組みに囚われず、柔整師の新しい働き方を目指します。
⑤今後の展望
これからの人生を考えたときに、自分はプレイヤーで居続けたと考えています。この業界ではよくある話かもしれませんが「人の体よくする前に自分の体にガタが来るよ」と言われたこと、ありませんか?
もちろんそれも理解できます。
だからこそ色んな働き方を探っていきたい。
自己犠牲と引き換えに誰かを良くするのは、僕は違うと考えています。
“体が変わる”ことに対して常に前向きでいたいですからね!
そして、自分がこの業界を志す理由となった“野球との別れ”
ピラティストレーナーとして、セラピストとして、必ずまた野球に携われるようステップアップしていきます。
応援していただけますと幸いです‼︎
ご高覧いただきありがとうございました😊
ライタープロフィール
垣尾 太我
保有資格
▪️柔道整復師
▪️PHIピラティスインストラクター
得意分野
▪️スポーツマッサージ
▪️運動療法・ピラティス
▪️整体
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