見出し画像

境界線に置くことば

「証言」だけでは心を知るのに弱すぎる 高橋ユキ

画像1

初出『yom yom vol.59 2019年12月号』(新潮社)
情報は2019年10月当時のもの

『一般傍聴人』と書かれたドアを開け、法廷の中へ。ときに一番前、またときには後ろの傍聴席に腰掛け、ノートを開き、ペンを持つ。最前列の少し前には、法廷の左右いっぱいに、木でできた柵が立っている。これを法曹関係者は『バー』と呼ぶ。
 開廷時刻の数分前。バーの向こうの奥のドアが開く。手錠をかけられ、そこから伸びる縄を腰にぐるりと巻かれた被告人が、拘置所もしくは留置場の職員に伴われ、法廷にやってくる。バーの奥、左右に備えられた弁護人席、検察官席も埋まった。
 時刻ぴったりに、正面奥から黒いシルクの法衣を羽織った裁判官が、一段高い裁判官席の前に立つ。傍聴席の面々をはじめ全員が立ち上がり、一礼する。これが開廷の合図だ。

 私は2005年から、裁判所で主に刑事裁判を傍聴し続けてきた。最初は単なる傍聴マニアとして。そして趣味が高じてマニア仲間と立ち上げたブログが書籍化されたことをきっかけに、傍聴ライターとして活動している。

「被害者に大きい苦痛を与えたことを申し訳ないと思っています」
 ある飲み会に女性を誘った東京大学の院生(当時)は、バーの向こう側で言った。
「被害者の方に心よりお詫び申し上げます」
 その飲み会が開かれた部屋に住んでいた東大の学生も言った。
 2016年5月11日の深夜、東京大学の学生や院生らが、飲み会に誘った女性を酔わせたうえ、服を脱がせ、馬乗りになってカップラーメンを食べながらその熱い汁を女性の身体にわざとこぼしたり、肛門を箸でつつくなどした『東大生集団わいせつ事件』の公判。主犯と目された当時4年生の学生もまた、代わり映えのしない言葉を口にした。
「やはり被害者への申し訳ない気持ちがあったが、被害者の方の立場に立って考えること、できてなかった」
 覚せい剤取締法違反などを除き、ほとんどの刑事事件には被害者が存在する。そのため、起訴事実を認めている被告人たちは、似たような反省の弁を述べることが多い。罪を犯したことを認めているのだから「謝罪の言葉」が出てくるのは当然だろうという指摘もあるかもしれないが、その「謝罪の言葉」がどこまで〝本心〟からなのかは曖昧だ。
 刑事裁判は被告人が有罪か無罪か、有罪であればどの程度の刑を科すのが相当なのかを裁判所が判断する場だ。多くの被告人が自分の犯した悪事について、なるべく大目に見て欲しいと願っているであろうことは想像に難くない。実際、彼らは事前に弁護人と打ち合わせを行い、公判でどのような主張を繰り広げるかをおおむね決めている。もっとストレートに書けば、法廷におけるバーの内側の言葉は、それだけでは信用できない。言葉だけでなく、その行動をじっくり観察すると、ポロリとそんな〝本心のかけら〟と思しきものに気付く場面があるのだ。

ここから先は

3,069字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?