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【昭和学:特撮編】ギーゴンの不協和音が令和に響く


唐突にペナントとは関係のない投稿で失礼します。
実は私、特撮番組、とくに昭和ジェネレーションのヒーロー特撮が大好物なで、サブスクで昔の番組をつまんではニマニマと眺めるひとときが至福という変態です。その特撮への偏愛を綴ろうとnoteを始めたのですが、同好の本気先達さんたちの投稿には叶わないと悟り挫折。そのままnoteも休止していましたが、ペナントに出逢って「これならいいかも」と思い休眠状態だったnoteを再開したのでした。そんな経緯もある中、今回また、突然こういう投稿をしたワケというのは・・・

◉昭和のアツさが今必要だ!

仲良くしてもらっているコミュニティのひとつに『ウルトラマン』シリーズをこよなく愛する大人たちの集いがあります。オンラインで定期的に集まっているのですが、毎回、昭和の『ウルトラマン』シリーズの中から話題にのぼった放送回を採り上げ、メンバー同士でワイワイとイヂって楽しむという時間があります。今回は『ウルトラマンA』第51話「命を吸う音」の回が俎板に載りました。ざっくり言うと、こんなあらすじ。

死んだ父親がバイオリニストだったため、母親に期待されてバイオリン教室に通う晴夫少年は、レッスンに行きたくないばかりに、バイオリンを壊そうとする。その瞬間、突如として発光したバイオリンは、晴夫の魂を吸収して飛び去る。その後も、バイオリンを手にした人々の魂を吸収し、巨大化したバイオリンは、タックファルコンなどに攻撃されると、ギーゴンに変貌。そこに登場したエースが、苦戦の末にギーゴンを倒すと、吸収された魂は、持ち主たちへと戻る。晴夫の母親も好きな野球で友達と遊ぶ晴夫の姿を見て、考えを改めるのだった。

ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE(デアゴスティーニ)エピソードガイドより

ストーリーはさておき、怪獣(厳密には"超獣"ですが)が無事に倒され、エピローグシーンで大好きな野球でキラキラしている息子を見て、母親とTAC隊員たちの間でこんな会話があるんです。

母親「あんなに元気な晴夫、初めて見るような気がしますわ」
北斗隊員「お母さんの大きな期待が晴夫君の気持ちを抑えつけていたんでしょう。ねぇ隊長」
竜隊長「子どもは元気でのびのびと育つのが一番です。その上でなら学問でも芸術でも、自分から進んで努力するようになります
母親「本当・・・おかげであたしも夢から覚めたような気がします」

『ウルトラマンA』第51話「命を吸う音」より

母親に面と向かってそれ言うか?という北斗隊員(主人公です)への突っ込みはともかく、竜隊長のシンプルで自信に満ちた一言は、令和の今でも文科省が掲げ、教育現場で先生たちが頭を悩ませている「主体性をどう育むか」という課題へのひとつの明解なアンサーだよなーと思ったわけです。いろいろな教育メソッドを盛り込んで難しくやらなくても、元気でのびのびさせておけばいい。そこに僕は激しく共感してしまいました。

そして画面には、今ではもう見ることも難しくなった、町中で大きな声を上げて野球の出来る広場。学校でも町の中でも、子どもたちをのびのび出来なくさせたのは僕たち大人だよなーと痛感。多様性を大事にするあまりに窮屈な社会にするのは、なにかが違うと改めて思いますね。

『ウルトラマンA』第51話「命を吸う音」より
視聴はこちらから(ツブラヤイマジネーション)

◉こんな時代だからこそ昭和に学べることがある

昭和特撮を観ていると、そういう感じることが多くて、それも僕がハマっている理由です。今では語られなくなった言葉や、おおっぴらに主張し辛くなった価値観がそこには生きていて、良くも悪くも今の僕たちの有り様を見つめ直させてくれるんですよね。特に特撮番組は、多感な子どもたちに向けて作られているせいなのか、大人向けのドラマ以上にストレートにメッセージが伝わるものが多いです。

先頃TBSが放送したドラマ『不適切にもほどがある!』は、世代を超えた高視聴率で話題になりましたが、きっとその背景には、ドラマで表現される昭和の価値観に、今の若い世代の心を揺さぶるものがあったからじゃないでしょうか。まさにバイオリン超獣ギーゴンが鳴らす不協和音のように。

なんでもかんでもコンプラやハラスメントで蓋をしまくった挙句、今の子どもたちは、それらがなぜNGになったのか、その経緯を知らずに育っています。綺麗に整えられた美しい和音だけを聴いて。ゆえにその蓋を取っ払うと何が起きるのか知らないまま大人になった彼らは、もしも蓋が外れて、中からそれが目の前に飛び出してきた時に正しく対処できるのだろうか? そんな不安も一方で感じたりします。

物語の少年・晴夫のように、嫌なものを嫌と言ったり、理不尽だと感じることを主張する権利をちゃんと行使できるのだろうか? あるいは好きな人に思いのたけを自分の言葉で伝えて、その手を握りたいという感情を表現できるのだろうか? 心配になりますね。大袈裟かもしれませんが、ジョージ・オーウェルの不朽の名作『1984』の世界を想像してしまいます。

◉これからの投稿についてアナウンス

まあ、そんなこんなで「やっぱり昭和特撮のことも、僕なりの視点で文字にしてみたいなあ」という欲望が抑えきれなくなっているわけです(笑) 例えば今回でいうと「"教育ママゴン"とかって昔よく言ってたよなあ」とか「そもそもヴァイオリンの習い事とか、いつ頃から増えたんだろう?」とか、そういうことが気になって仕方がない。で、おおもとを辿るとやっぱり、それは昭和に源流があって社会変化の紆余曲折があって・・・というのが解る。そこで見つけたアレコレや、僕が思ったコトを自分なりに文字に残したくなってしまうんですよね。これからを生きる教材として。

ペナントについては、本来ペナントを使ってやりたいこと(地域学習素材として活用できないかとか)があって、衝動的に大量購入してしまったものを整理する意味合いでnoteにアップし始めたのですが、そこから昭和の観光文化に興味が向いてしまい、いちいち深掘りし過ぎて、おもいっきり脱線していますが、それはそれで最後まで(いつまで?)続けていこうと思います。

というわけで、マガジンなどでカテゴリ分けなどしつつ、ぼちぼちとペナント以外のお話も投稿するようになると思うので、よろしくお願いします。

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