映画オッペンハイマーの日本公開を強く求めたい!

クリストファーノーラン監督のオッペンハイマーの日本公開が危ぶまれているそうです。
夏休みに偶然海外でこの映画を見ることができたのでむしろ絶対に日本で公開してほしい映画だと思いましたので、その理由を書きたいと思います。

映画中盤で原爆実験の成功、広島への原爆投下のニュースで沸き返る科学者たち

劇中非常におどろおどろしい雰囲気で、原爆実験が成功すると、科学者たちは無邪気に大喜びし、オッペンハイマーは賞賛され、彼もうれしそうな顔をします。
更に直後、広島への原爆投下成功のニュースでさらに、科学者たち、その家族のアメリカ人たちが無邪気に喜ぶシーンでは日本人としては正直はらわたが煮えかえるほど不快になってきます。

しかし、原爆投下成功のスピーチをするオッペンハイマーが、徐々に幻視に襲われて、拍手喝さいしているアメリカ人たちが、核の炎で焼けただれて、オッペンハイマーの足元に黒焦げになった子供の死体が突然現れる演出で、観客はその成功の裏にある、悲劇を突き付けられ凍り付くことになります。

ここで、ノーラン監督が極めて強い意志を持って、この映画を反原子爆弾という立場で作っているという事が明らかになります。

この映画に広島や長崎の惨状の映像は一切出てこない

確かに、この映画では広島や長崎の映像は一切出てきません。むしろ隠されているようにも見えますので、この点が批判されているようです。
しかし、これはアメリカ人に拒否反応を引き起こさせずに次の内容をしっかりと認識させるための巧妙な罠であると私は解釈しました。

オッペンハイマーは凡庸な悪

映画の後半に差し掛かってくると、水爆の開発にオッペンハイマーが反対したことから、共産主義者スパイの容疑をかけられ、彼の弁明を長時間にわたり聞いていくような展開になっていくのですが、そこでノーラン監督がオッペンハイマーを凡庸な悪とみなしている点が明らかになってきます。

「原爆の広島への投下は破滅的に非道な一瞬だった。しかし技術的な意味では成功なのだ。」
と彼は言います。つまり彼は目の前のプロジェクトの成功をひたすら追い求め、実際の惨劇に思いが至らない官僚的思考で原爆を開発していたという事です。

この描き方が何を意味しているのか、
つまり、アメリカ人にもナチスのアイヒマンみたいな凡庸な悪がいたではないか?と言っているのです。

そして、アイヒマンがいたという事は、アメリカもナチレベルの民族浄化を行ったという事を暗にアメリカ人に突きつけている映画なのです!

これは、常に自分勝手な正義を振りかざすアメリカ人を巧妙にナチ呼ばわりするとんでもない反米映画です。(私はそう思えたのでアメリカ人ざまあ と思いましたね)
この映画を見て映画館を後にする多くのアメリカ人が打ちのめされたという感想を漏らした理由がわかります。

是非日本でも公開してほしい映画だと思いました

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