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あんず


今年の六月頃の話。
福岡に住む友人のMくんからダンボール一箱分のあんずが届いた。奥さんの実家宮古島で沢山獲れたので送ってくれたのだ。ダンボールを開けると土臭く且つ爽やかな柑橘系の香りが途端に広がった。
事前にラインで知らされていたので、あんずの活用法はジャムと酒にしようと企てていたが、よくよく調べるとあんず酒は漬け込む期間が想像以上に長く、馴染みもないし興味を持続させる自信がなかったので、すべてジャムにすることにした。
遠方の友達から届いたあんずで作ったジャムを毎朝トーストに塗って食べるなんて、小説やドラマのようで素敵だなと思いながら、平日の仕事終わりレシピを表示させたスマホ片手に意気揚々と調理を始めた。
あんずの割れ目に沿って包丁で切れ込みを入れパカッと真っ二つに割り、種を取り出すという作業をひたすら続け、もらった量の三分の一ほどが済んだところで、実を鍋に放り込む。レシピを読むと、鍋に砂糖を入れ三十分後、水分が出たところで二十分煮詰めて完成とある。初めてジャムを作る自分には、素材と工程の少なさに少々驚かされた。
煮詰める間、キッチンの椅子に座り、時折アクを取りつつ、チューハイを煽り録画のボクシング中継を観て過ごした。一日の疲れと大好きなボクシング観戦の興奮とでアルコールが回る中、グツグツとあんずを煮込む音が、なんだかジャグジーに浸かっているような感覚へ誘ってくれ、気がつくとこの上ない幸福感に包まれていた。「この瞬間がずーっと続けばいいのに」そんな思いが頭を過った。

Mくんとは高校生の頃、地元の予備校で出会った。互いに一浪し東京の別々の大学に進学した。学生の時は家も遠くそこまで交流はなかったが、卒業後の引越し先がたまたま近かったので頻繁に遊ぶようになった。当時は意識しなかったが、今思い返すと「楽しい!」と思えることがピッタリ一致していたんだなと思う。喫茶店、古本屋、古着屋、居酒屋、ライブハウス、カラオケ、中古CD屋、カメラ屋、銭湯&サウナ。そんなに暇じゃないし金もなかった二十代だったが、これらの店にMくんとは本当によく行った。今後新たに出会う人で、同じ熱量で上記の店に通える人はおそらく現れないんではないだろうか。若く頭も柔軟で、互いに影響を受けあったからこそ成り立っていた時間なのだろう。
親友と呼べる人は互いに他に何人かいたと思うが、二十代半ばから三十代半ばの十年間は恐らく互いに最も密に過ごした友達だったと思う。
転職、引越し、同棲、結婚など、少しずつ関係は変わっていった。とくに子供ができてからは会う機会は激減した。そうこうするうちに僕が中央沿線から離れ、コロナ渦になり、Mくんの奥さんが二人目を身ごもったタイミングで彼らは福岡へと旅立った。

二十分経ったので鍋を覗くと一体どこから湧き出たのかと思うほどの水分量に驚かされた。ジャムというかほとんどスープだ。火加減を間違えたのだろう、もうちょっと水分を飛ばそうと、指定の時間以上に煮詰めることにした。酔いもあり、そこからはもう何分火にかけていたのか覚えていない。ちょくちょく鍋を覗くがそこまで水分は飛んでくれなかった。キリないなと思ったところで火を止めた。失敗しても残りのあんずでまた挑戦すればいい。少し冷ました後、事前に煮沸しておいたビンに移し冷蔵庫にブチ込んだところで意識は途切れた。

去年の二月の頭にそろそろ福岡に経つとMくんから連絡をもらった。その年の一月に脳梗塞を患い入院していたが、連絡をもらったのは退院して一週間ほど経った頃だった。仕事もせず療養の身で、コロナを警戒し家から一歩も出ないで過ごしていたが、そんなことなど御構い無しに会うことにした。落ち合った祖師ヶ谷大蔵の町の喫茶店を数軒ハシゴし、その後は喋りながら街をぶらぶらし夕方解散した。何を喋ったかあまり覚えていない。いつものように他愛のない話だったのだろう。
数日後「さらば東京」というメッセージとともに空っぽの部屋に一人Mくんが映った写真が送られてきた。先に家族を福岡へ送り出していたので、ひとりで片付けを済ませた後セルフタイマーで撮ったのだろう。送られた写真を見てクスッと笑ってしまったと同時に、同じように、上京して初めての夜不安と期待とが入り混じった思いで自分も下宿先の部屋でポツンと一人佇んでいたのを思い出した。春の匂いがし始める、ちょうど同じような時期だ。あれから二十年。Mくんはどういう気持ちで空っぽの部屋に佇み、その写真を僕に送ったのだろうか。

朝起きると、先に起きていた妻が「ジャム食べたよ」という。ジャムを作ることは事前に知らせておいたのだ。「どうだった」と聞くと「味はおいしかったよ」と、味以外で何か問題があったかのようなニュアンスを含んだ返事が返ってきた。すぐに食パンをグリルで焼き、テーブルに置かれていたジャムの瓶に差し込んだバターナイフが、予想を超えた弾力によって跳ね返された瞬間に妻の言葉の意味を知るのだった。
「グミ?」と思うほど僕が作ったあんずジャムは固くなっていた。ういろうと羊羹の中間のような、明らかにジャムではない硬い弾力を前に事態を理解した。昨晩二十分煮詰めた時は熱でスープのようになっていただけで、冷やせばちょうどいいジャムの硬さになってたのだろう。料理に疎いぼくは状況をうまく飲み込めず煮詰め過ぎてしまったのだ。
しかし、決して食べられなくはなかった。グリグリッとあんずジャムもどきをバターナイフでえぐり出し、トーストの半分にボトッと乗っけ、それを挟むようにトーストを折り曲げた状態でかぶりつけばこれがまたうまかった。口に広がる甘酸っぱさがすぐに目を覚ましてくれた。
後日、残りのあんずも全てジャムに仕上げた。反省を生かしたので今度は見紛うことなくジャムと言えるもにできた。砂糖の分量が少なかったのか、最初に作ったものより幾分酸っぱかったが、それもまた美味しかった。

「さらば東京」というラインが届いた日の翌日、朝起きるとまたしてもMくんからラインが届いていた。「けさ娘爆誕」というメッセージと共に生まれたての赤ん坊の顔写真が添付されていた。確か予定日はもう少し後だったと思うが、Mくんが赤ん坊に呼ばれたのか、はたまたその逆か、何かしら作用したように思えてならない。東京生活の終焉、福岡生活の始まり、娘の誕生が同時に訪れるなんて、そんなメモリアルな日はなかなか無い。それを間近で感じられた自分も「友達に子供が産まれた」こと以上の不思議な感動を覚えた。

次の二月でMくんが福岡へ発ってまる二年が経つことになる。その間ちょくちょく仕事で東京へ来ているようだが、小さな子が二人いるのでほとんどトンボ返りだ。一度だけタイミングが合い渋谷で一緒に昼飯を食ったことがあったがそれきりだ。
前のように時間を気にせず朝まで酒を飲むなんて夢のまた夢かもしれない。
寂しいように思うが、互いに家庭もあり仕事も忙しく、そもそも年を取り朝まで遊ぶ体力がはたして残っているか疑問であることを踏まえると、ちょくちょく連絡を取り、稀にリモート呑みで近況報告し、今回のあんずのようにモノを送りあったりする今の関係で案外充分なのかも知れない。それに、なかなか会えない分、次に会う楽しみが膨らむというものだ。

近くにいるからこそ関係が崩れるなんて、家族、恋人、友人どこにでも当てはまる話だし、壊れる前に適当なところで距離をとって変化をつけるのは、良好な関係を築く上でよくある手段だ。別に喧嘩をしたわけじゃないが、ぼくにとってのMくんとの関係は意図せずその常套手段を取ったことになる。

なんだか果物みたいだなとふと気がつく。捥ぎたてが一番うまいのは当たり前だが、放っておくといずれ腐る。熟れすぎる前に煮詰めてジャムにすれば長く保てるし、また別の美味しさを楽しむことができる。
「そうか、Mくんとはジャムみたいな関係になったんだな」
コーヒー片手に、あんずジャムトーストを毎朝食べ続けていたら、いつしか寂しさはおかしさに変わっていた。

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