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ススキ

つい先日の話。
その日、昼はラーメンを食いに行こうと決めた。妻が出社日なので、昼食は自分で調達する必要があった。
昼の十二時を過ぎたので家を出た。目当てのラーメン屋までは自転車で十五分。途中、丘陵地帯特有の小さな丘が三つあり、緩やかだがそれなりに長い坂を三回登って降りてを繰り返さねばならない。電動自転車といえどラーメンを食うにしてはなかなかの身の削りようだが、それほどまでに好きなラーメン屋だった。

一つ目の丘を超えたあり、幹線道路沿いの交差点で赤信号をぼーっと待っていると、中央分離帯に群生するススキがあるのに気がついた。正午過ぎ、快晴の陽の光に照らされたススキが、自ら発光しているかのように輝いていた。
(きれいだなー)
とうっとりと見惚れてしまった。
風に揺らぐススキが散りばめる細かい光の粒は、眩しいわけではなくむしろ吸い込まれるように目を奪われた。
美術館で好きな作品の前に立った時のようにずーっと見ていられそうだった。

田舎というわけではないが、緑が多く、高層ビルもなく道や空間の広い東京のはずれの今の町に越してきてからの五年、普段目にしている身の回りの自然に対し、都心に住んでいた頃には無かった気づきが度々あった。
夕焼けの色の移ろい、鳥の鳴き声、朝日の煌めき、などなど。数年前には日常においてほとんど気にもしなかったことだ。
そもそも園芸にのめり込んだのは、こうした環境の変化によるものなのか。または園芸にのめり込んだことで、自然への眼差しに変化があったのか。その辺はよく分からない。
わかっているのは、杉並や世田谷に住んでいた頃に、おそらく度々目にしていたであろうススキを見て(きれいだなー)なんて思ったことは一度もないということだ。

ぼーっとススキを眺めていると、青信号になっている隣の横断歩道の向こうから、トレーニング中と思しきジャージ姿の運動部の男子学生が五、六人走ってきた。信号が点滅し彼らはスピードを上げたがギリギリ間に合わず、赤に変わった信号を前にその場にと留まざるを得なかった。
「あー、ダメだったー」
そんな言葉が聞こえるなか先頭の一人だけがなんとか間に合いこちら側に渡ることができた。
その学生は赤信号を待つ僕の後ろを、走ってきた勢いのまま通り越した。
「おめーらオセーよー」
そう叫ぶその学生のほうへ反射的に目をやると、その場で足踏みを続けながら、中分けの前髪を派手に揺らして振り返ったところだった。
逆光で影となっている表情は、それでも弾ける笑顔を浮かべているのが分かった。
後方から太陽に照らされ、揺れる毛先が輝ている。辺りに細かい光の粒を散らすその髪の毛は、まるでさっきのススキの様だった。
(きれいだなー)
と、その若い男子学生に図らずも見惚れてしまった。

ススキの時と同じで、いつもまででも見ていられそうだったが、平日の正午にママチャリに乗った私服姿のおじさんが、若い男子をいつまでも見つめていたら危なすぎると思ったのですぐに目を反らせた。

何がそんなに面白いのか、短い横断歩道を挟みしばらく彼らは大げさに笑いあっていた。車通りも少ないのに律儀に信号を守っているのもあどけない。二十歳前後ってこんなにかわいかったっけ?

見惚れた彼は決してハンサムという訳ではなかったが、若さ特有の美しさにハンサムもクソもないのだなと身にしみて分かった。
(青春だなー)なんて思っていると目の前の信号が青に変わった。
ラーメン屋までもう二つ丘を超えねばならない。はしゃぐ学生を横目に、ペダルを踏み込む足に自然と力が漲った。

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