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皇帝ダリア 2



一年ほど前に皇帝ダリアにまつわる投稿をした。
冬越しに失敗し死んでしまった皇帝ダリアのすぐそばに丁子草の仲間であるアムソニアを植えたが、皇帝ダリアは死んでおらず芽を出し始めた。共生するにはあまりに距離が近いので、どちらかを破棄するか、植え替える必要に迫られどうしようか迷う。という間抜けな話だ。

その後の皇帝ダリアに動きがあったのでまた投稿する。

皇帝ダリアとアムソニアの関係に悩んだぼくは、結局何も対策を施さなかった。というのも、皇帝ダリアは根が張りすぎて植え替えはほとんど不可能に思えたし、アムソニアは根を刺激して調子を悪くさせたくなかったので植え替えられなかった。これからグングン成長するであろう、人間に例えると育ち盛りであろう二株のどちらかを破棄するという選択肢はやはり考えられなかった。消去法を採用すると見守るといる選択肢しか残らなかったのだ。

予想通り、皇帝ダリアは先に芽を出したアムソニアの背丈をすぐに越え、背丈だけでなく横に広げる葉の量も増し、五月の半ばにもなると、その葉でアムソニアをスッポリ陰に隠してしまった。
アムソニアは陽光を求めあからさまに皇帝ダリアと逆の方へ体をグイッと曲げてしまっている。それでも一応は成長を続けていた。
どうにか二株ともうまいこと花を咲かせてくれないか。そんな望みを捨てずに辛抱強く見守り続け、梅雨が明けた。

皇帝ダリアは僕の身長ほどになっていた。放っておくと五-六mにもなり、マンション占有庭で育てる植物としては大きくなりすぎてしまうので、そろそろ切り戻して高さを調整する必要があった。昨年咲かなかった原因は切り戻しが遅すぎたことが原因と踏んでいたので、タイミングを慎重に見計らい初夏に実行に及んだ。
ノコギリで半分ほどの高さに切り戻し、同時に下の方の黄色く傷み始めていた葉も摘むと、太い棒の先に鮮やかな黄緑の産まれたての葉をこんもり密集させ、皇帝ダリアは大きなマッチ棒のようなシルエットになった。

アムソニア にとっては、皇帝ダリアがマッチ棒になったことは陽の光を浴びるいい機会となったが、残念ながらその頃にはすでに成長期は終わっているようだった。細長く伸ばす数本の茎に沢山付ける端正な濃緑の葉を、暑そうにゆらゆら風に揺らすだけで、一向に蕾どころか新しい葉すら付けなかった。
開花期は六-七月とあるので、梅雨の開けた七月の終わりに変化がないところを見ると今季の開花は見込めなかった。事前の調べでアムソニアの草丈は九十cmほどとあるが、幾分それより低く思えた。
個体差や環境、育て方によるのかもしれないが、とにかく我が家のアムソニアは咲かなかった。残念ではあったがそもそもスタートに問題があったので、ある程度覚悟はあった。花期は終わるが命が尽きたわけではない。来年は咲かそうと決意し気持ちを切り替えた。

夏の間、皇帝ダリアは暑さにヘバることなく、切り戻した断面から数本の太い茎を再び伸ばし、それらの茎に付ける沢山の葉をワサワサと風に揺らし、旺盛に成長を続けていた。
去年はやらなかったが、咲かせるコツとしてネットにのっていた脇芽を積むという行為も気がつくたびしていたが、ペチュニア、日々草、エキナセア、スカビオサ、アスター等、様々な夏の花たちの最盛期気に取られ、皇帝ダリアの存在は僕頭の中からしばらく薄れていた。

夏が終わり、秋咲の花が咲きだす頃になると皇帝ダリアはぼくの身長を優に超えていた。
ある日ふとてっぺんの葉先を見て違和感を覚えた。見慣れたシルエットと何かが違ったのだ。
すぐに小型の脚立を持ってきて、登って覗いてみると、葉ではない何かがいくつか確認できた。蕾だと確信を持って言えなかったが、確実に葉ではなかった。
二年も裏切られてきたので、咲かす努力は多少したものの「どうせ咲かないんだろ」という気持ちはぼんやりと常にあったように思う。今年咲かなければ処分しようとも決めていた。処分後の跡地に植える、場所にあった、皇帝ダリアなんかよりずっと小さな花の候補すら考え始め、ワクワクすらしていた。
そんな中でのこの新たな展開に少なからず動揺した。
喜べばいいのか、落胆すればいいのか。
毎朝脚立を持ち出し梢を覗き込み、蕾のような何かを確認する日々が始まった。
丸みを帯びた蕾のような何かは大きくなるにつれ、蕾だと確信を持てるようになった。
全体がまだそれぞれの器官として独立しておらず、微妙な凹凸の、飴玉のような光沢を放つ緑の球体。よく観察すると、恐らくガクであろう部分が大事そうに丸い蕾を抱え込んでいるのがわかる。
その蕾を五、六箇抱える茎が、3本あった。計十五〜十八個の蕾というわけだ。全て咲いたらさぞ壮観な眺めなことだろう。開花が現実味を帯び、日に日に募る興奮を隠せずにいた。やはり皇帝ダリアの花に期待している自分に気づく。なにせ二年、こちとら待たせれているのだ。
連日「今日の皇帝ダリア」という一言とともに、代わり映えのない皇帝ダリアの蕾の写真をインスタグラムに投稿し続け、次第に略して「今日のコテダリ」と言うようになった。

秋も終わりを迎え、開花への緊張が高まりつつあったある日のことだった。

仕事終わり庭のパトロールがてら外の空気でも吸うかと、リビングの窓を開けると「ビューッ!」と勢いよく風が吹き込みカーテンが舞い上がった。外を見ると台風かと思えるほど暴風雨だった。このところ穏やかな天候が続いていたし、その日は一日中部屋にこもってたので驚いた。「すごい風だなー」とのんきに思いながらそれでも軒下へ一歩足を出したがすぐにその足を止めた。庭の中心に大きな何かがいたのだ。

タヌキか、イノシシか?!

心拍数が上がる。部屋の明かりによりぼんやり浮かび上がるそれは、動物ではなく木のようなものだと気がついた。暴風で近くの山から木の枝でも飛んできたのか?と思い、身を乗り出し目をこらすとそれが皇帝ダリアだということはすぐにわかった。この風雨で皇帝ダリアは根元から折れて倒れてしまっていたのだ。
「コテダリーーーーー!」
心の中で叫びながら庭の中心に転がるソイツの元へ走った。
折れた箇所はわずかにまだ繋がっていた。引きちぎろうとしたが、意外と難儀したので鎌で一思いに切断し、雨風のしのげる軒下に折れてしまった皇帝ダリアを抱えて移動させた。強い雨と風に打たれながらの映画さながらの救出劇だったが、繰り広げられているのはおよそ映画にはなり得ない素朴な出来事だ。

移動させたはいいがさてどうするか。小さな脳みそをフル回転させる。
切り花だって、蕾から開花するじゃないか。うまく処置すればこの皇帝ダリアだってなんとか開花させることができるのでは?全身ずぶ濡れになりながらそんなことを思った。
蕾のついた茎だけを切り離し、培養土を詰めた鉢に二本、水を張ったバケツに一本、計三本の蕾をつけた茎をそれぞれ差し込んだ。
何時間前に折れたかわからないが、今の所葉も張りがあるし、蕾も艶やかで健康そうに見えた。確信は持てなかったが、花屋で売られている生花のことを考えると、意外とコレいけるかもなという漠然とした自信が湧いてきたところで、その日は風呂に入って眠ることにした。

翌日目を覚ますなりガバッと飛び起き庭へ走った。
昨晩の暴風雨は嘘のように収まり、透き通った空の青さが寝起きの目の奥を刺激した。何とか目をこじ開け皇帝ダリアを見ると、昨晩の自分の希望的観測はいったい何だったのかと思うほどに、三本とも葉をダラリと下げ、まるでゾンビのように萎れてしまっていた。漠然と持っていた自信は崩れ去り、ちょっと衰弱早すぎやしないか?と空いた口がふさがらず、しばらく現実を受け止められなかった。(後日花屋の店員に教えられたのだが、ダリアは汚れや黴菌に弱く、切り花の場合水を頻繁に変え清潔に保つ必要がある、とのことだった。消毒もせずただ土や水に突っ込んだだけだったのが、おそらく衰弱を早めてしまったのだろう)

およそ開花は望めないとわかりつつ、なんとなく数日放置したがやはり蕾が開くことはなく、不気味に佇む皇帝ダリアは、ただ洗濯物を干す妻の邪魔をするだけだった。妻に悪いなと思い、数日後、心を無にして細かく切り刻みゴミ袋に放り込んだ。

あと少し、本当にあと少しだった。支柱を立てるべきだったとか、いろいろ後悔の念が沸き起こるが、これもまた運命。起こってしまったことはしょうがない。
今年咲かなかったら破棄しようと決めていた。きっと根はまだ生きている。このまま放置すれば来春また芽を出すだろう。同じ過ちは繰り返せない。次は今年苦渋を舐めたアムソニアの番だ。

後日時間のあるとき掘り上げた皇帝ダリアの根は、想像以上に大きく、ドッチボールほどの大きさだった。中心部から四方に何本か太めの茎を伸ばしていたがそれら全てを掘りあげるのは厳しかった。掘り上げている最中、グッと引っ張ったらモリモリモリ!と予想だにせぬほど遠くまで土が盛り上がってしまい、他の植物たちの根を傷つけそうだったので、中心部の塊からある程度のところですべて刈った。
やはり根は生きていたのだろう。大きい分他の草花を処分する時より、生き物を殺めている感触が強かった。

掘り上げた根の塊を水で洗い持ち上げてみる。綺麗になってわかったが、塊というかレンコン程の太さの根が何本かグルグルと絡み合っていた。
心臓のようだなと思った。
絡み合うのはさながら動脈や静脈などの太い血管で、土中に張り巡らせた根により養分を吸い上げ、ポンプのように地上の茎へそれらを送り込むのは、心臓そのものじゃないか。
今にも脈を打ち出しそうな皇帝ダリアの根の塊は、その容姿、ずっしりとしたその重みで、自分も生きていたのだと、必死に訴えかけているようだった。

それから数ヶ月が過ぎた今年の春、遮られるものも無く、存分に陽光を浴びたアムソニア イルストリスは順調に成長し念願の開花を迎えた。星型の薄いブルーの小さな花をいくつも咲かせ、このひと月、地味ではあるが梅雨前の庭を爽やかに彩っていくれている。

皇帝ダリアの跡地に植えた、環境に合った株張りのストケシアというキク科の苗も、ゆっくりとだが着実に葉を伸ばしている。夏には花を咲かせいてくれるだろうか。

我が家の庭で巡る命を、ぼくは今日も見つめる。

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