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ひまわり

槇原敬之の曲に『ひまわり』という曲がある。
恋人との別れの曲。
寂しく始まって、最後ちょっと元気にして終わる、マッキー節炸裂の名曲だ。
この曲はシングルにもなってないし、あまり有名じゃないと思うが、マッキーの曲の中でも特に好きな曲だ。

この曲だけでなく、槇原敬之の曲を聞くとどうしてもよく聴いていた実家に住んでいた頃のこと、特に母親のことを思い出してしまう。

小学四年の頃、通っていた塾の夏合宿でのカラオケ大会で『彼女の恋人』を歌わされて以来、僕は槇原敬之のことが大好きだった。
当時は母親との距離も近かったので僕が槇原敬之を好きだということはもちろん母親も知っていた。

小学六年のころ、槇原敬之の四枚目のアルバムの発売日、風邪をひいてしまって買いに行けなかったのを芸能に疎い母親が代わりに買いに行ってくれたことがとても嬉しかった。
同じ頃、ある時母親にマッキーって「ハンサムだよね」と、好きすぎて本気で思っていたことを言ったら「うーん、ハンサムとは違うかな」と笑いながら答えられたことがあった。「お母さん何を言っているんだろう?」と戸惑ったことを強烈に覚えている。

思春期を超えると別に嫌いになったわけでもないのに母親との会話は減り、大人になってからはほとんど自分のことを話さなくなってしまったので、僕が槇原敬之が好きということは、数少ない母の持っている僕の嗜好に関する情報だった。
その母は去年亡くなった。
僕と母との関係はこれ以上更新されないので、僕が槇原敬之を好きじゃなくなるとなんだか僕と母の希少な繋がりが消えてしまうように思えるので、極力槇原敬之のことは好きでいようと思っている。

今年の夏、娘がどこかからひまりの種を何粒かもらってきた。
せっかくなので一緒に育てることにした。
娘はもらった時についていた小さなキットのようなもので。
僕は家にあった一番大きな鉢で。
娘は数日水をあげると早々に興味を失い、キットの中で短く伸ばした芽は、頭に種の殻をつけた状態で干からびてしまった。
ネットで入念に育てかたを調べていたので、僕の植えた種は順調に育った。
三粒を植え、一番元気に芽を出したものを残して他は間引いた。
選ばれた新芽はひと月半程ぐんぐん背を伸ばし、八月の頭に五十センチ程の高さで手のひら大の派手な花を咲かせた。
夏の代表的な花だけあってやはり目の当たりにするとその力強さに目を釘付けにされる。
毎日観察していて気がついたが、筒状花(とうじょうか)と呼ばれるらしい真ん中の褐色の部分は最初は平らで、日に日に縁の方から膨らんでいき、最終的にボールのようにもっこりとタネを形成し膨らむ姿が最もひまわりらしく、たまらなく愛おしかった。
元気に咲く花を見せようと娘を呼んだ。娘は僕の隣でしばらくじっと観察していたが、一分ほどでまた部屋に戻ってしまった。僕の思惑とは裏腹に娘の琴線に触れた様子は見られなかった。

小学三年まで住んでいた家にも庭があり、その庭で毎年夏に母親がひまわりを植えていたのを記憶している。
自分の背丈よりも高く太陽に向かって咲くひまわりの花を「大きいなあ」と思いながら母親の隣で見上げていた記憶がおぼろげにある。

地植えではないので、あの頃自分の見たひまわりほど大きくはないが、娘はこのひまわりを見て何を思っただろうか。
僕の隣でぼんやりひまわりを見つめる娘はあの時の僕で、その僕は今あの時の母親になっているのだ。
今僕の感じていることが、あの時母が感じていたことなのだろうか。

「あんまりいい話じゃないんだけど」と母から癌が見つかったことを伝えられてから死ぬまでのひと月に散々泣いたが、いまだにふとしたことでポロリと涙が溢れることがある。
自分でも驚いたのだが母の死以来「お元気ですか?こっちは元気にやってます」とか「さよならも言わずに」「もう2度と会うこともない」など、そういった失恋の曲を聴くとなぜだか母のことを考えてしまって、深夜、帰宅途中イヤホンで聴いている時など思わず涙が出てしまうことがある。
その度、ラブソングというのは恋人の姿を借りてはいるが、普遍的な側面もあるのだということに気づかされるのだった。

なんだか笑顔が優しくなったね
友達になるってそんなに素敵なことかい
悔しいから君をもっと笑わせよう
そして僕は強くなっていく

上記、槇原敬之『ひまわり』のサビの歌詞を引用させていただいた。
育てたことで思い出し、久しぶりに聴いた『ひまわり』で泣くことはなかった。
歌詞を読むと一目瞭然で、小っ恥ずかしいほどに全編恋愛色が強かったからだ。
最後の「そして僕は強くなっていく」と言う一節だけ唯一、希望を込めたうえで、自分に重ねられなくもなかった。

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