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アネモネ

先日こんなことがあった。
ゴミを捨てに行こうと、エレベーターで地下に降り、ゴミ捨て場のほうに続く扉を開けた時のことだった。向かいからぼくより年配であろうおじさんが歩いてくるところだった。扉を通り抜けた後、このままぼくが手を離すと、扉はおじさんとすれ違う直前で閉まってしまうタイミングだったので、気を使いそのまま扉を手で押さえ続け、おじさんが通るよう促した。
するとおじさんはどういうわけかその場で止まってしまった。
ほんの一瞬扉を手で押さえれば済む間合いだったので、前に進む勢いを殺さず、手だけを後ろに残し指先だけで扉を止めるという余裕の無い態勢だったぼくは、(え?)と一瞬状況が掴めなかったが、おじさんの止まった理由はすぐにわかった。
ぼくの後ろからも女性が歩いてきていたようで、おじさんとその女性は狭い通路を挟み、俗にいうお見合い状態となっていたのだ。
おじさん二人と年齢不詳の女性の三人は、かくして時が止まったかのように動きを止めてしまった。
片手にゴミ袋を持ち、前に行きたいのか後ろに戻りたいのか判別のつかない、パントマイムの格好のようなぼくのそんな格好を余所に、おじさんと女性はなかなか動かなかった。
図々しい人間が一人でもいればこんなことにはならなかったはずだ。皆が皆お互いに気を使い生まれたこの硬直は、勇気を振り絞り誰かが一歩を踏みさねば一生続くのではとすら思えた。
この状況に一石を投じたのは僕だ。
というのも、態勢の保持が限界となり、(えーい、ままよ!)と扉から手を離し前に進み出してしまったのだ。
すると、同じタイミングで意を決したようにおじさんも急発進し出した。
「あっ」と思ったと同時にガッと鈍い音が響いた。
ぼくが手を離したことで閉まり始めた扉の角が、急発進したおじさんの肩に派手にぶつかってしまったのだ。
ぼくの「すいません」をかき消すくらいの大きな声で、「すいません!」と誰に向けたのかわからぬ謎の謝罪を残しおじさんは足早にその場を去った。僕もそそくさとゴミ捨て場に向かった。後ろの女性はその後どうなったかは不明だ。
体感では二〜三分くらいだったが実際は一秒か二秒の出来事だったろう。
扉にぶつかり苦虫を噛み潰したような顔で「すいません!」というおじさんの表情が脳裏に浮かぶ度、プッと吹き出しそうになるのを抑えるのにその後しばらく難儀した。と同時に、よくわからない状況に陥った時真っ先に謝るおじさんの姿勢にシンパシーが湧いた。
譲り合いとは美徳と言われるが、時に滑稽で哀愁の漂うものにもなり得るのかと、その出来事により強く思った。

先日我が家の庭で開花したアネモネを見て、そのゴミ捨て場の前での光景を思い出した。

我が家の庭には四種のアネモネがある。
アンドレアアトキンソン、ドリーミンスワン、パボニナ、シルベストリスの四種だ。
秋咲のアンドレアアトキンソンとドリーミンスワンは今は黙々と葉を茂らすことに専念している。
開花したのは、春咲のパボニナとシルベストリスだ。
パボニナは鉢植えで、シルベストリスは地植え。
無事に冬を越し少しずつを葉を茂らせ始めた二株だったが、産毛を纏った花芽を三本先に伸ばし始めたのはシルベストリスだった。
薄緑の茎を弱々しくも着実に日に日に伸ばしながら、頭を垂れるよう重そうにもたげていた蕾を日に日に持ち上げていった。
シルベストリスに気を取られて数日が経ったある日、パボニナをふと見ると、こちらも小さいながらもいくつか蕾を膨らませていた。
同じく産毛をまとい、シルベストリスとは違い、赤みを帯びた力強い茎の先に同じく頭を垂れるよう蕾をつけていた。
(どっちが先に花をさかすかな)なんて楽しみに二株のアネモネを観察すること数日、順調に蕾を持ち上げ始めていたシルベストリスの蕾が突如としてガクンと真下に垂れてしまった。
驚いたぼくは(何がいけなかったんだろう、陽当たり?気温?湿気?)と原因を探りつつ、かといって見守ることしかできず気を揉んでいると、その数日の間にパボニナが急成長しシルベストリスの背丈を軽々と追い越してしまった。
(こりゃあ、先に咲くのはパボニナだな)なんて思っていると、するとどうだろう、またしてもシルベストリスが調子を取り戻し、蕾をグインと持ち上げ、パボニナの背丈をすぐに追い越してしまった。
観察を続けたがいまいちシルベストリスの蕾の上げ下げの法則が掴めなかった。
三寒四温とよくいうが、三月下旬は往往にして天候が安定しない。雪が降ったかと思うと初夏の陽気になることもある。
恐らくそんな天候が作用してのことだと思われるが、二種のアネモネはそのように抜きつ抜かれつの不安定な成長をその後も続けた。
我先にと開花を競っているともとれるが、アネモネの場合可愛いらしいイメージからか、どちらかといえばその様子は譲り合いをしているように僕には見えた。

シルベストリス「どうぞどうぞ」
パボニナ「それではお言葉に甘えて」
少し背を伸ばすパボニナ。
パボニナ「では次はあなたが」
シルベストリス「そうですか、それでは失礼」

そんな掛け合いが聞こえてくるようだった。
さてはコイツら、先日のあゴミ捨て場前での出来事のように、譲り合いを続けた挙句、滑稽な結末を迎えるんじゃなか?と、期待とも心配ともとれる予想をしながら彼らの成長を見守った。

それから数日後の雨上がりの快晴の朝、アネモネは二種ともこの春最初の花を咲かせた。
前日の蕾に気配があったので心の準備はしていたが、喜びを抑えきれず寝癖にパジャマ姿で小躍りするように、シルベストリスとパボニナの間を行ったり来たり繰り返した。

ざらついたピンクのガクに中心部の濃く燻んだ青紫のコントラストが、小さいながらも高貴な印象のパボニナは、きりりと太陽に顔を向けている。
薄く柔らかな白いガクに中心部の黄色が映える、控えめで可憐なシルベストリスは、優しく風に揺れている。
シルエットは似ていながらも、雰囲気は正反対の二種。

譲り合いの末に同時に花を咲かせたこの二種のアネモネは、同じく譲り合いの末に滑稽な結末を迎えたあのゴミ捨て場前での寸劇と違い、結局美しさだけしか示さなかった。
人間と草花の違いをまたしても見せつけられてしまった。
「いつもこうだ」とぼくは天を仰ぐ。

草花の成長を日々見つめていると、どういうわけか自分の行いの間抜けさ、愚かさ、未熟さに気付かされることがある。
「なんであんなことしたんだろう」
「なにをそんなにこだわる必要があったのか」
「バカだったな〜」
何度そんな言葉が浮かんだことだろう。そして気がつくと少しだけ気持ちが軽くなっているのだ。彼らはただ太陽に向かって背を伸ばしているだけだというのに。

ふと思う。
草花を好きな人がもっと増えれば、身近な草花の変化に毎日関心を寄せる人がもっと増えれば、その分だけ世の中全体の気持ちは軽くなるんじゃないか。気持ちの軽さというのは心の余裕であり穏やかさでもある。そんな小さな穏やかさが寄り集まれば、チリも積もればなんとやらじゃないが、争いごとの一つや二つ、ひょっとしたら無くせるのではないか。
割と本気でそんな馬鹿げた思いが頭を巡った。

「もっともっとたくさんの人が花を好きになればいいのに」

対照的な美しさで咲く二種のアネモネを見ながら、小さな庭でそんなことを願った。

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