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教師は「哲学」を

私が「哲学」に興味を持ったのは、現在私が所属させていただいている「FURU☆LABO」という北海道で教員をされている古田直之先生が主催されている勉強会がきっかけである。その日の勉強会では、福島県で小学校教諭をされている坂内智之先生が「哲学」について古田先生と対談をされるというものであった。

「哲学・・・・。なんだか難しそうだな。」

坂内先生のお話を聞くまでの私の気持ちである。しかし、お話を聞くと教師自身が成長していくためには哲学を持つことが非常に重要だと感じた。この勉強会をきっかけに哲学について、少し学んでみようと思った。大人向けに書かれている哲学の本が多数ある中、下記の本に目が留まった。子ども向けに哲学のことが非常に分かりやすく記されていた。

この本を読んで、私なりになぜ教員に「哲学」が大切かを述べていきたい。

1. 自分自身がぶれないため

「どんな教師になりたい?」
「どんな子どもを育てたい?」
「自分の付加価値は何か?答えられることが、大事で」

上記の言葉は、私の師匠や尊敬する同僚の先生に言われた言葉である。いずれの質問もその当時、全く答えることができなかった。つまり、私には「哲学」がなかったのである。

そうすると、どうなるか。自分自身がぶれてしまう。指導に一貫性がなくなる。ということは、伝えていることがコロコロ変わってしまうので子どもたちとの関係性も悪くなっていく。

また、「哲学」を持っている人と持っていない人。成長の加速度が大きく違うと思う。持っている人では、そこに向かって一直線で進んでいく。しかし、持っていない人は自分がどこに向かっているかが見えず蛇足を繰り返す。

自分自身がぶれないことで、子どもたちにも教師自身にもメリットがある。


2. 哲学=正解のない問い

では、「哲学」とは何か。「子どものための哲学対話」では、以下の様に記されている。

すでにある学問をひとりで勉強していくんじゃなくて、問いそのものを自分で立てて、自分のやり方で、勝手に考えていく学問のこと。                                               

つまり、正解はないのである。これは、教師の子ども理解がそれにあたるのではないかと考える。教師は、子どもを知ることが大切である。しかし、子どもを捉えようとするが分かった気になってはいけない。また、子どもたちは日々成長し、変化していく。同じように教師も日々、子どもたちを捉えなおし続けなければならない。

この「目の前の子どもたちを知ること」の探求に、楽しさ面白さを教師である我々は感じていく必要があると感じる。

「哲学?そんな正解のない問いを探求するのつまらない。」

ではなく、

「正解がないからこそ、楽しい。」

と考えられると、子どもたちを知ることも楽しいと思えるのではないか。「~なければならない」と考えるのか「~したい」と思うのか。私は、後者でありたいなと感じる。哲学を学ぶことは、「~したい」という考えに自分自身をシフトチェンジしてくれる。


3. 身の周りの出来事に関心を持つため

「子どもたちに~を身に付けさせたいなら、教師がその力を身に付けていないといけない。」

学生時代に、師匠からこの言葉を聞いて衝撃を受けた。以降、ずっと意識してきた言葉である。

私は、子どもたちにとって「”学校”を”楽校”へ」していきたいと感じる。そのためには、様々なことを「面白い」と感じてほしい。そのためには、教師自身が様々な事象に対して「面白い」と感じているかは非常に大切である。世の中は、面白いことであふれている。しかし、興味を持たずに素通りしてしまうことがある。哲学を学ぶことは、今まで気付かなかったことに気付けるきっかけを与えてくれる。様々な事に自分なりの問いを立て、探求していけるようになる。

子どもたちに身に付けさせる前に、まずは教師がその力を身に付けよう。哲学を学ぶことは、人生を豊かにしてくれる。



以上が、私の考えである。今まで、Aという見方でしか子どもを見ていなかったが、他の視点からも子どもを見てみよう。○○さんの行動は、Cの事が原因だと思っていたけど、他の見方もないかな。

哲学を学ぶことで、このような見方に変わっていった。これからも、子どもたちを捉えなおし続けていきたい。そのためにも「哲学」を持った教師でありたい。

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