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頼られる先輩または依存先として

みなさん人生どうですか。

学生の頃、身近な先輩がとても好きでした。
中学の部活ではあまり上級生がおらず、高校の部活は1年経たず辞め、バイト先でもあまり馴染まず10代を過ごしてきた僕にとって、先輩という生き物は苦手の象徴で、少なくとも心を開く対象ではありませんでした。
大学に進学して、浪人したことも原因のひとつかも知れませんが、ひとつ上の先輩への恐れや畏れは薄れ、ふたつ上の先輩が可愛がってくれたこともあり、先輩という存在に心理的に頼ることが増えていたと思います。
特にひとつ上のある女性の先輩には、軽い依存さえもあったとも思います。取り違えた母性のようなものの存在を感じていて、恋愛感情とは全く違う意味でその関係はありました。

学生時代が終わり、大人としての時間が過ぎ、その人も結婚し、今はもう疎遠になっていますが、「真面目な話を茶化さず真面目に受け止めて、損得抜きで向き合ってくれる」という信頼があったんじゃないかと振り返ります。

いざ、会社の先輩は中々そうはならず、どうしてもポジショントークであったり、体育会系の先輩後輩であったり、男社会的な先輩後輩であったりが拭えないんじゃないかと思えてならないのがとても寂しいです。特に自立心が強く、個々の成果主義な側面がある弊社の文化的にも、ある程度年次を重ねた社員がそういった関係にある先輩を持てないことは、後輩としての立ち回りをサボったからでもありますが、ある程度の必然でもあるかも知れません。どうしても、女性の仲良い先輩が部署異動や産休などで距離が離れてしまうことも要因かも知れません。男性の先輩に甘えるのが本当に下手なことも原因だなとはわかっています。男性の先輩を思い浮かべても、そこまでメンタルを全裸にしてぶつかれる先輩がいないなという現状でもあります。(性別関係ないだろとは思う)

まあ僕自身が母を求めているみたいな話はどうでもいいのですが、翻って、自分は後輩のそういう先輩になれてるのだろうかと問い質してみています。なれていない、というのが結論で、やはり管理側として組織の論理やポジショントークを逸脱できずにいるのだと思います。この人にはこういう仕事を、こういう役回りを期待している、というメッセージであったり、そこから発生するゴールありきの会話。打算。あくまで売上や利益を追求するビジネスマンとしてのスタンス。何よりあくまで会社での顔であって、大人にはもっと大事な場所や存在が明確にあります。

僕個人としては、未だ独り身ですし、そういった会社人としての仮面を捨てて、全く関係ないところで、いち人間としてフラットに向き合うことを増やしたいなと思います。今日の記事はそのメモ書きのようなものになります。


渋谷駅暗渠の下の溝川の音を立てつつ横顔を見る

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