僕の楽譜の解釈について〜商店街の2軒のラーメン屋の話〜

ある駅前の商店街に、2軒のラーメン屋があった。

手前の店の客席には豆板醤、ニンニク、生姜、ゆず七味、ラー油、お酢といった調味料が常備されており、客たちはその日の気分で自分好みにアレンジしたラーメンを楽しんでいた。一方、奥の店の客席には一切の調味料が置かれていなかった。

ある日、一人の優柔不断な若い男が奥のラーメン屋に食べに行った。さあ食べようと思ったとき、足りないものに気がついて店主に尋ねた。

「調味料はありますか?」

すると店主は答えた。

「うちはそんなもの置かないよ。俺が客席に運んだ時点で世界最高の味に決まってるんだから、そこに追加する調味料なんて蛇足でしかない。そう思えるように俺はラーメンを作っている。」

さらにこう続けた。

「味を決めるのは店主である俺の仕事なんだから、お客さんに味付けをさせるなんて怠慢だと思うんだよな。そんなのはまるで自分の作る味に誇りを持ってないみたいじゃねえか。ぜひそのまま食べてみてくれ。」

男はなるほどと頷いてレンゲでスープを少し啜った。確かにそれはきっと想像もつかないほどの試行錯誤を重ねて完成された味で、そこに素人の自分が陳腐な味覚を頼りに豆板醤やゆず七味を追加することに意味があるとは思えない。その後は夢中になって麺に食らいつき、我にかえったときにはスープの一滴も残っていなかった。男はすっかり奥のラーメン屋の虜になり、あの店主のような人間に憧れるとすら思った。


男は家に帰ると、途中で行き詰まっていた自作曲の楽譜作りに取り掛かった。

悩んでいるのは、強弱やテンポなどの表現をどこまで詳細に記述するかということだった。この曲は思いっきり抑揚をつけて弾くと気持ち良い。だが、淡白にあっさり弾いてみても別の良さがある。

自分自身ですらその日の気分によって違った弾き方をしているのだから、一つの表現に決めてそれ以外の可能性を放棄してしまうことがもったいないように思えた。それでも、どの表現がベストなのかを決めて楽譜に落とし込むことが自分の役目なのだろうか。

男はその日も結論を出すことができなかった。


数日経ったある日、奥のラーメン屋が混んでいたので手前のラーメン屋に男は行ってみた。そして少し食べてから、店主に尋ねた。

「ここのラーメンはとても美味しいですね。これほどよくできたスープに調味料なんて足すのは失礼な気がしてしまいます。客席にたくさんの調味料を置く必要はあるのでしょうか?」

すると店主は少し考えてから、こう答えた。

「ラーメンの味の本質はもっと深いところにあると思うんだ。君が自分の好みやその日の気分で調味料をかけて少しばかりアレンジしたところで、味の本質的な価値が損なわれることはない。だから安心して好きなように調味料をかけてくれ。」

男はなるほどと頷いて、豆板醤とニンニク、ラー油を足してみた。さらに、後半は少しお酢をかけてみた。確かに、調味料を足したくらいでこのラーメンの個性は失われることはない。むしろ調合を変化させるたびにその味の新しい魅力に気付かされ、そのベースにある出汁の魔力を思い知ることになった。男はスープまで完飲し、手前のラーメン屋にもまた何回も来たいと思うようになった。


男は家に帰ると、悩んでいた楽譜上の発想標語を最低限のものだけ残していくつか削除した。その日の気分や演奏者の好みで表現を変化させたところで、この曲の本質的な価値が損なわれることはない。むしろ様々な表現を受け入れられるこのメロディの魔力を味わって欲しい。

2人の店主の言葉を思い出しながら、自作曲のタイトルも決められない優柔不断なその男はオリジナル曲「無題16」の楽譜をPDFに書き出し、お店のラーメン1杯よりは少し高いが2杯よりは安いくらいの価格を付けて、楽譜販売サイトPiascoreで販売開始した。演奏者それぞれの自由な表現でたくさん弾いてもらうことを願いながら。


※この話はフィクションですが、僕の楽譜を思いの思いの表現で弾いて欲しいと思っているのは本当です。自由にお楽しみください。

無題16 楽譜販売ページ


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