同調圧力に関する人とは全く違う見解
こんな事を言うと、んなわけあるかぁ?となりそうですが「親とか上司からの同調圧力」ときくと、私的には「あ~あの流れね」とピンと来まくってるので、何度もくどく話題にしてるんですが。一言で言うと「トレンドの屈曲化」につきるんですね。これはサブカルオタクや中2病扱いされるからあんま例えで出したくないんだけど。「ビーバップとDragon Ash」「おニャン子とモー娘。」の違いで説明します。
80年代末の「ビーバップ」は制服を着崩してるわけだけどこれは「体制との差別化」なんです。尾崎豊的に言うと「支配からの卒業」かな。一方90年代末の「Dragon Ash」は私服を着崩してるのはこれは「仲間との差別化」なんです。前者は言ってみたら「親に対する反抗」で、後者は「流行に対する反抗」なんですね。意味がわからない人の為に次の例に移ります。
80年代後半の「おニャン子クラブ」というのは、その前の松田聖子、中森明菜、松本伊代、小泉今日子等のアイドル黄金世代の次に来た「放課後のクラブ活動」という自然体的なアイドルで、いわば「大人が作った偶像的なアイドル像からの脱却」だった。一方90年代末の「モー娘。」は、90年代の渋谷系、小室系、ビーイング系、ビジュアル系等のアーティストブームの流れからのいわゆる「同世代の心を打つアーティストから大衆に愛されるアイドルへの脱却」だったのです。
そして80年代後半の例は、どちらかと言うと「大人が作りあげたものに対して抵抗していた」わけですが、90年代末の例は「若者自体が作ったトレンドに対して抵抗している」という流れになっており、後者を要約すると「トレンドの屈曲化」なのですが、これが「親や上司からの圧力」とどう関係があるかと言うと、「トレンド=若者文化の屈曲化、すなわち弱体化が、親や上司からの意見に屈する隙を与えている」ということです。
で今は、またその90年代末的な流れになっていると思うんですが、その流れを止めれるのかというと、私の研究するところでは、流れはとめられないんです。ただそういう時代的なもんなんだなという事を冷静に理解して、「流されるのを止める、時の過ぎ去るのを待つ」しかないでしょう。
※以下はハッシュタグ追加の為に同じ文にハッシュタグを付け加えただけの文です
こんな事を言うと、んなわけあるかぁ?となりそうですが「親とか上司からの #同調圧力 」ときくと、私的には「あ~あの流れね」とピンと来まくってるので、何度もくどく話題にしてるんですが。一言で言うと「 #トレンド の屈曲化」につきるんですね。これは #サブカル オタクや #中2病 扱いされるからあんま例えで出したくないんだけど。「 #ビーバップ と #DragonAsh」「 #おニャン子 と #モー娘 。」の違いで説明します。
80年代末の「ビーバップ」は制服を着崩してるわけだけどこれは「体制との差別化」なんです。 #尾崎豊 的に言うと「支配からの卒業」かな。一方90年代末の「Dragon Ash」は私服を着崩してるのはこれは「仲間との差別化」なんです。前者は言ってみたら「親に対する反抗」で、後者は「流行に対する反抗」なんですね。意味がわからない人の為に次の例に移ります。
80年代後半の「 #おニャン子クラブ 」というのは、その前の #松田聖子 、 #中森明菜 、 #松本伊代、 #小泉今日子 等の #アイドル黄金世代 の次に来た「放課後のクラブ活動」という自然体的なアイドルで、いわば「大人が作った偶像的なアイドル像からの脱却」だった。一方90年代末の「モー娘。」は、90年代の #渋谷系 、 #小室系 、 #ビーイング系 、 #ビジュアル系 等のアーティストブームの流れからのいわゆる「同世代の心を打つアーティストから大衆に愛されるアイドルへの脱却」だったのです。
そして80年代後半の例は、どちらかと言うと「大人が作りあげたものに対して抵抗していた」わけですが、90年代末の例は「若者自体が作ったトレンドに対して抵抗している」という流れになっており、後者を要約すると「トレンドの屈曲化」なのですが、これが「親や上司からの圧力」とどう関係があるかと言うと、「トレンド=若者文化の屈曲化、すなわち弱体化が、親や上司からの意見に屈する隙を与えている」ということです。
では、その流れを止めれるのかというと、私の研究するところでは、流れはとめられないんです。ただそういう時代的なもんなんだなという事を冷静に理解して、「流されるのを止める、時の過ぎ去るのを待つ」しかないでしょう。