見出し画像

責める 認める

なんか昨日は
「責める」ということに
向き合う日だったかもしれない。

何じゃあいつは!
と責める自分もいたし

あの子のせいで、
と責める場面にも遭遇した。

責めるって何じゃろうか。

自分のことを
死ぬほど責めてきたわたし。
趣味?って言われるほどにやってきた。

やめたいと思っても
やめられなかった。
そして
何で自責をやめられないんだろう
とまた自分を責めるという。苦笑

何やってんでしょうね。
苦しいはずなのに、それを選択するというのは
何かのメリットのためにやっていたんでしょう。

親とか友達とかの機嫌が悪いと、
何かしてしまったかな?と感じたり。

こんなこともできない自分はダメだと思ったり。

自分が劣っているから、何か足りないから
認めてもらえないとか。

苦しんでいるお母さんを助けられなかった
自分は無力でダメなやつだとか。

自責という認識のないままに
自分に厳しくしていたなぁ。

そのおかげで責任感が強くなって、
それなりの評価を得てきた部分もあるのだろう。

しかしながら度が過ぎると
本当に心が苦しくて。
うまくいかなくて。

自分や周りを責めていれば
本当の自分に向き合わなくて済む
というメリットもありそう。

でもある時、何回繰り返すんだ、
もうやめるんだ、もう変わるんだ、
と誓って立ち上がった。

自分の行いのせいでこんなことになってしまった、
自分が悪い、一生この罪を背負って生きていく、
ってその時は思ってた。
何か傲慢だな。

自分が悪いことにしておけば、
自分さえ我慢しておけば、周りはうまくいく
というのもあったな。

自分を認める力が弱いと、嫌われたり、
孤立したりすることへの不安感から
自分を責めてしまうことがあるそうな。

じゃあ自分を認めないと!
ってなるんだよなぁ。

んで、自分を認めるってどういうこと?
ってなるんだよなぁ。

なんか
よくがんばってきたなぁ。。。
労おう。
よくやったよ、わたし。
よくやってきたよ。

結局やっぱり、
自分の好きなことをして、
自分を喜ばせて
そのことで
誰かが喜んでくれたりして
誰かの役に立てたりして
そうやって少しずつ
自分を認めてきた気がするなぁ。

そうして少しずつでも
自分を認められるようになると
環境も変わったりして
周りからも認められるようになったりして
本当に
自分が自分をどう扱っているかなんだなぁと
思ったりして。

どんな自分でも大丈夫

弱くても
ダメダメでも
自分は自分。

成長しなくていいとか
そういうわけじゃないけど

一旦今の自分を認める。

うんうん。
そういう自分がいてもいいよ。
大好きだよ。

で、何の話だ?
そう、責めることね。

ダメだ!という裏側には
認められたい!というのが
隠れていたんだろうね。

自責や他責のかたまりってことは
承認欲求のかたまりってことか。

あーあーあー

心当たりがありすぎる。

脳は主語を理解しないらしいから
自分にも周りにも
認める声かけをしていこう。

前記事と同じ結論にたどり着いた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?