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褒めるより、承認。

褒めて育てる、って言葉があるくらいだけれど、
ただ闇雲に褒めるだけではなぁ、と思う。


「早起きしてえらいね。」

自分の意思で、朝5時に起きて、
後から起きてきた親にそう声をかけられたら、
・・・何だか違和感。
なんとなく上から言われているような気がする。


でも、子どもに対して、よく使う言葉なのかもしれない。

「100点取れて、えらいね。」
「はみがきができて、えらいね。」
「一人で着替えられて、えらいね。」


部下や同僚に対しても。

「えらい。すごいぞ。よくやった。」



アートワークセラピーの時も、
スクールでも、わたしは使わない。

代わりに、すごいね、素敵、好き、ってよく使う。


伝え方にもよるだろうけれど、
〇〇ができてえらいね、ということは、
できないあなたはダメだね、
っていうメッセージになりかねないと思うから。

えらいって、何だ?何様だ?って思うから。


そして、結果だけじゃなくて、
プロセスを認めたいから。


できるあなただから認めるのではなくて、
あなたの存在そのものを認めたいから。



「100点だったんだ。頑張って勉強してたもんね。
集中しているなぁって思ってみていたんだ。」

「はみがきしたんだ。そうか~。わたしもしようって思ったよ。」


「一人で着替えたんだね。それも自分でできるようになって、わたしはすごいなって思うし、成長したんだなって思うよ。」


「営業成績がトップだったんだな。
お客様一人一人に丁寧に接しているのを見ていたし、
作った資料もすごく見やすかった。
〇〇君が喜んでいる姿を見て、私も嬉しい。」


「早起きしてすごいね。早く起きると静かで集中できるし、仕事もはがどるよね。素敵だね。」


って言われると、上からじゃないような、
まだ対等のような感じがしないだろうか。


褒める=上のものが下のものにすること

承認=その人存在そのものを認める

と、聞いたことがある。


そりゃ親と子の関係も、
上司と部下の関係も、
上と下に分かれがちだけれども、
人としては同じところに立っているはず。


「ありがとう」 は、
承認の言葉の最たるものらしい。


よくできたね、じゃなくて、
ありがとう。助かったよ。って言いたいし、言われたい。

心の持ちようで言葉は変わる。

どんな時も、だれに対しても、
上とか下とかじゃなくて、対等でいたい。

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