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「初めまして」

 あなたが初めましてと言ったとき、私は意識が散漫になっていて、とりとめもないことをあれこれと考えていた。散漫になっていたと言っても、それは散らかった部屋みたいに無作為なものではなくて、もっと均等に、まんべんなく分かれたものだった。少なくとも私はそう思っていたけど、あなたの目に私がどう映っていたかは知らない。よく夢うつつの狭間で誰かに名前を呼ばれた気がして、きっと私はもう夢の中にいるのだなと思っても、後から人に話を聞くとやっぱり本当に私の名前を呼んでいたらしくて腑に落ちるときがある。あなたに初めましてと言われたのはちょうどそういう感覚だった。私はぼんやりとした意識の中で、初めましてと言われたのは人生で何回目なんだろうとか、考えたって仕方がないことを考えていた。

 私は誰かに初めましてと言われた途端に、その人と会うのが初めてじゃないような気がしてしまう。ひょっとしたらよく似た顔の知り合いがいるだけなのかも知れないけど。世界には自分と同じ顔の人が三人いるらしいから、出会った人と同じ顔の人が三人いても不思議じゃない。その同じ顔の人とどこかですでに出会っていても不思議じゃない。あるいは人は死ぬまでに三回殺人犯とすれ違うと聞いたことがあって、もしそれが本当なら、今この瞬間出会ったあなたも、この広い地球上のどこかで過去にすれ違ったことがあったとしても不思議じゃない。それなのにどうしてあなたはいけしゃあしゃあと初めましてなんて言えるの。

 世の中には物事を点で考える人と線で考える人がいるけど、あなたはどちらなんだろう。もしあなたが線で考えている人なら、あなたが初めましてと言ったのはきっと、今この瞬間が線分の端っこだから初めましてと言ったのだと思う。けど理屈の上では線も点の集合なんだよ、と私はこっそりあなたに教えてあげたい。だからあなたが線として考える人であったとしても、本当は会うたびに毎回初めましてと言わないといけないんだよ。

 次会ったとき、きっとあなたは私に知った顔で声をかけるだろうけど、今日会った私と次会ったときの私が同じだなんて確証は、どこにあるの。あなただって、今日のあなたと次に会うときのあなたが同じだなんて確証は、どこにあるの。私は過去の自分と今の自分と未来の自分が同じだなんて、そんな都合いいことは信じない。それを易々と信じてしまうあなたは、きっと今日寝ている間に知らない誰かとそっくり意識を取り換えられたとしても、気づかないんだろうな。私はそういうのが嫌だから、誰にも自分を奪われないように、必死に今の自分にしがみついてる。

 そういう不埒なことを頭の端に浮かべながら、あなたの初めましてという言葉に、私は何でもないような顔をして初めましてと返す。

 

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