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「ハッピーライフ」



 部屋のブレーカーが落ちたとき、君は手にドライヤーを握りしめていた。薄闇のフローリングには月明かりがレースカーテンを通して水面のような模様を映している。それは君の足元にも不規則な影を落とす。君はそのままの姿勢で硬直して、影の形を目で追いながらふと、まるで忘れていた遠い記憶を思い出したみたいにふと、自分は何のために生きているのだろうかと考えた。
 それはある程度年を重ねてから人並みに考えてきたことのような気がしたが、それほどまで深刻に向き合って考えたのは初めてのことだった。君は自分の呼吸に耳をそばだてる。そしてこれまでの人生における数々の分岐点を振り返る。記憶の奔流は君を現実世界から遠ざけていく。君は想像の中で八回人生をやり直し、どの人生こそが最良であるかを様々な観点から検証する。検証に目途が立つと現実に立ち返り、ゾッと恐ろしい気持ちになる。自分を恨み、憎み、蔑み、許すことができなくなる。行き場のない怒りはやがて虚無感に変わり、君は俯瞰で自分の人生を眺め無気力になる。それから君はドライヤーを手にしたまま力尽きたように床に伏せた。フローリングの傷跡、くたびれた靴下、ウイスキーの空き瓶。君は一晩中これからの人生について考えたあと、疲れ果てて明け方眠りにつく。目が覚めると再びひとしきり将来について思案する。また眠りにつく。目が覚める。思考を巡らす。眠りにつく。そのサイクルを四度繰り返した後、君はスマートフォンでカレンダーを開き、きっちり四日分の時間が過ぎたことを確認した。その間、電子レンジのご飯は放置されたままだった。



 それからの日々、君は自らの死生観を構築していくことに日常の大半を費やすことになる。食事の間も、着替えの間も、通勤の間も、デスクワークの間も、人と会話する間も、風呂に浸かる間も、酒を飲む間も、歯磨きをする間も、布団に入り眠りにつくまでの間も、四六時中も生と死について考えるようになる。そうして君は、死は決して生の対極に位置するものではないということを理解しはじめる。二つは同じ空間に同居することができた。実際、意識を張り巡らせれば死はたやすく日常に潜んでいることがわかった。
 君は更に自己分析を深めていく。それは君の考える限り、死について理解を深めるために必要不可欠な工程だった。
 君は不器量な人間だが決して無能というわけではない。概ね真面目で、聞き分けはよく、気性も温厚だ。見かけは平々凡々だが気を揉むほどのものでもない。大勢に好かれる人柄ではないにせよ、君を必要とする人間は一定数存在する。君からすれば君の人生は退屈で他人より劣っていたが、君の人生を羨ましがる人間だって本当はたくさんいる。そのことを君は何となく理解していた。

 やがて君はいくつかの自己啓発本や哲学書を手に取り、気に入った文言にマーカーを引くようになる。それは新たな知見を得るための作業ではなく、自分の求めている答えを見つけだす、言わば主張を固めるための作業だった。君は孤独で、誰かに共感されることを求めていた。君は行間に慰められ、自分を無償で受けとめてくれる架空の相手を想像し、その存在に救われた気持ちになる。ときには昼間から潰れて眠りに落ちながら、浴びるように本を読む。井戸の底のような深い闇の中で意識を研ぎ澄ませる。自分の声に耳を澄ませる。そうした日常を過ごしながら、君は少しずつ自身の考えを深めていく。
 マクロな視点で捉えれば、君は個体保存と種の保存のために生きていた。しかしそれは生物学的な考え方で理に適ってはいながら、どうも胃の腑に落ちるものではなかったから、君は何のために生きているかという目的論をできる限り排除し、よりシンプルな原因論で考えてみることにした。その結果君は一つの答えを導き出す。それは、自分は生まれてきたから生きているに過ぎない、という実にありきたりなものだった。しかし実際ありきたりであるがゆえにこれまで見過ごしてきた考えだった。
 自分なりに納得のいく答えへ辿りついたものの、その答えは君をどこにも連れていってはくれなかった。むしろ君を泥のようなぬかるみへと陥れた。君は自らの意思で生まれてきたわけではない。機内食のビーフとチキンのように、生まれてくることと生まれてこないこととの両方が提示され、どちらか選べたわけではない。君は不可抗力のままこの世に生を授かったのだった。それは生命循環における当然の事象だったが、見方によっては非常に残酷なことでもあった。反出生主義は君の主張を後押してくれた。
 いくら考えてみても、生まれてくることは死ぬことと同じくらい取り返しのつかないことだった。しかし二つの異なる点は、生まれてくるのは自分で選べないのに対し、死ぬことは自分で選べるという点だった。

 


 君はあるときから死に強烈な魅力を感じるようになる。君は死こそが自分の抱える一切の憂いを排除してくれる唯一の手段だと予感している。その思いは日を追うごとに強くなる。いつか、自らの手でそれをつかみ取りたいとさえ願う。それでもこれまでの人生において君は死を選んだことはない。どうして自分はこれほど死に惹かれながら、これまで自死の道を選ばなかったのだろう。再び君は思考にふける。その結果、それは第一に死ぬための準備が整っていないからであり、第二に死ぬことが怖いからだという結論に至った。
 死ぬための準備を整えるのはそう簡単なことではない。それは魚のあらに熱湯をかけて下ごしらえしたり、シーツの端をマットレスに織り込んでベッドメイキングしたりするのとはわけが違う。君が見渡した限り、世の中のほとんどの人は準備など済んでいないまま死を迎えていた。あるいは端から、死の準備を済ませるのは不可能なことのように思われた。死の準備とは有り体に言えば、いつ死んでも構わないという心構えを持つことであり、君にとってそれは理想の自分になることと同義だった。つまり君は、理想の自分になれたときに初めて死を受け入れることができるのだった。それは考えれば考えるほど不可能なことのように思われた。いくら妥協を重ねても、理想と現実が重なることはなかった。 
 君の抱く死への恐怖というのは大まかに三つあって、一つには死に伴う物理的な痛みへの恐怖であり、二つには死後に自分が誘われる未知の世界への恐怖であり、三つには死後に自分が存在しない現実の世界への恐怖であった。とりわけ未知の世界への恐怖は、さほどまやかしでもない実存的な姿で君の前に現れ、たびたび君を苦しめた。夕闇のように伸び広がったそれはいとも簡単に君を包み込み、身動きを取れなくさせた。やがて闇は濃く深くなり、君はその場で声もあげず泣いた。君はその頃よく泣いていた。誰にも見られない場所で、体の中の不純物をすべて吐き出すようにして泣いた。そうやって来る日も来る日も泣き続けると、あるときからまるで海が干上がったように一滴も涙は出てこなくなった。



 君は毎日同じ夢を見るようになる。夢の中では、感情はちょうどネックレスやブレスレットのように取り外しがきくものだった。必要な時には身に着けることもできるし、必要ないときには取り外すこともできる。君にとって感情は身に着けるには幾分重たいものだったから、いつもそれを取り外して机の引き出しの中にしまっていた。君は夢の中では身軽だった。
 しかしあるときの夢は違った。君はその日、ちょっとした気まぐれで感情を身に着けてみようと思い引き出しを開けてみたが、そこに感情はなかった。あるのは引き出しの木目の底だけだった。それは君の知らないうちに意地悪な誰かが盗んでいったのかもしれないし、足が生えて逃げ出したのかもしれないし、蒸発して跡形もなくなったのかもしれない。ともかく、君は感情をなくしてしまった。そのことに別段感慨もないままぼんやりとしていると目が覚めた。現実の世界へ戻ってきた。君は胎児のように体を丸めていた。

 


やがて君は一日の大半をベッドの上で過ごすようになる。
活字が目の上をすべるようになる。
風呂に入らなくなる。
食事をとらなくなる。
ゴミ出しをしなくなる。
カーテンを開けなくなる。
声を出さなくなる。
起き上がらなくなる。
寝返りを打たなくなる。
笑わなくなる。
悲しまなくなる。
考え事をしなくなる。

 


 もし死がスイッチ一つで簡単に叶えられるものだったとしたら、そのとき、確かにそれは君の手の中にあった。君はそのスイッチを押すだけで、繋がれていた糸を切るように一瞬にして生と決別することができた。君は君であり続けるか、君であり続けないかを選ぶことができた。
 しかし、それはあとから考えてみてもとても不思議なことなのだけれど、結局君はそのスイッチを押さなかった。その頃、死への恐怖はなくなっていたし、準備などどうでもよくなっていたというのに、君はそのスイッチを押さなかった。
 かわりに君は起き上がって、玄関まで歩いて、ブレーカーを上げた。
 あの日落ちたブレーカーを、君は自分の手で押しあげた。

 


 今の君にとって、何のために生きているかということはそれほど重要な問題ではない。もちろんふとした拍子に立ち止まって、前を眺め後ろを眺め、ぼんやりと考えたりすることはあるが、結局のところそれは考えたところで答えは出ない問題だった。それに今の君にとって難しいことを考えるのはひどく困難な作業であって、考えようとすると途端に頭が痛んだ。だから君はできるだけそのことを考えないように努めていた。
 それでも君は、どうしてあの日死ななかったのだろうかということをたまに考える。あの日はおそらく、君の人生において最も死に近づいた日だった。スイッチは君の手の中にあった。それでも君は押さなかった。その理由は君自身もわからない。ただわかるのは、あの日君が死を選ばなかったから今生きている、ということだけだった。それがいいことなのか悪いことなのかも君にはわからなかった。
 君は今、なくしてしまった感情の在処を探し出し、一つ一つ取り戻す作業に注力している。それは今の君の人生において成し遂げるべき最重要項目だった。理由はわからないがとにかく最重要項目だった。君がなくしてしまった感情は、ばらばらになっていたるところに散らばっている。あるものは君のすぐ傍にあったし、またあるものは地球の裏側にあった。それは世界中の砂の粒をすべてかき集めるような作業で、途方もなく、完遂することは端から不可能だった。そしてもし完遂できたとしても、その感情はかつて君が持っていたものとは全く異なる形状をしているし、正しく機能するかもわからなかった。それは想像してみるだけで恐ろしいことだった。
 それでも君は今、自分の力で一つずつ感情を取り戻そうと努力している。
 それは幸福な人生と呼ぶには程遠いかもしれない。それでも君は今生きているし、おそらくこれからも生きていく。
 あの日以来、ブレーカーはまだ落ちていない。



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