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そういえばあの頃、マフラーは絶対のかわいいだった

 さっきすれ違った中学生がマフラーをしていた。
 それも一人ではなかった。学校の帰りだろうか、列をなした中学生のうちにちらほらマフラーをしている子がいた。見間違いじゃないかと思ったけど、やっぱりマフラーをしていた。まだそれほど寒くはないだろうにとか思いつつも、冬を待ちきれず張り切ってしまうその姿に何だか無性に嬉しくなる。
 マフラーをしている子のほとんどは女の子で、そんな女の子の横で男の子たちはぶんぶんと傘を振り回していて、それもいいよね。僕だっていつの日か学校の帰り道とかにチャンバラのよう傘を振り回していた。それももう今はしないけど、いったいいつから傘を振り回さずに帰るようになったのだろう、振り回すことがダサいと思うようになったのだろう。どこかに忘れてった童心が、社会とか常識とかいう枠の中で随分と収まり良くなってしまった。
 だから僕は傘を振り回す少年たちに、そしてすました顔でマフラーを巻いた少女たちに、心の中で熱いエールを送った。本当はそのすました顔の裏でルンルンと弾むような気持ちがあることを知っている。全身の細胞一つ一つが元気いっぱいで、その活力を持て余してどこにぶつけていいのかわからないことを知っている。だからそれをどうか大切にしてくれ。
 隣の芝も他人の人生も直視するとそれはそれは眩しい。自分が中学生だった頃ですら思い返すと面映ゆい。すれ違う中学生に目をやりながら、そういえばあの頃、マフラーは絶対のかわいいだったなと思った。


 僕が通っていた中学校の制服は男子は学ラン、女子はセーラーという別段注釈する必要もないごくありふれたものだった。
 みんながきっちりと同じ制服を着る中で、個性といえば、男子は第一ボタンを開ける、女子はスカートを折るくらいのことしかなかった。教師の目線に怯えながらそれでもやめないその着崩しは、ほとんど流行りというより伝統だった。そんな中ただ唯一自由が許されていたのが防寒着だった。僕らはみんな飛びつくように体のあちこちに防寒着を装着した。手袋にニット帽にダウンにボア、それからマフラー。
 中学生のおしゃれなんて、と十把一絡げにするのはまずいかもしれないけれど、たかが知れていると思う。僕にしたところでおしゃれに頓着なんてなかったけど、それでもマフラーだけは特別に映っていたな。その頃はマフラーをぐるぐる巻きにして後ろで結ぶのが流行っていて、そのマフラーに被せるように髪をふんわりと下ろす、その柔らかくて丸い輪郭が好きだった。それからサッカー部がそろいもそろってネックウォーマーをしていたのもやっぱり好きだった。
 みんな、鼻はまるで泣きじゃくった後みたいに赤らんでいて、ほっと息を吐くとそれは綿あめのように濃く空に昇る。何かの拍子に笑った顔には寒さのせいで硬くなっているところがあって、それはまるではにかんでいるような照れているような表情に映って、その青くて痛々しいところも含めて、思い返すと最高に最高で大好きだ。


 そんな記憶のせいか、今でもマフラーやネックウォーマーをしている学生を見るとわくわくしてしまう。ビール片手に高校野球を見るみたいなある種搾取的なその目線を、僕はもうずいぶんと前から持ってしまっている。それに対してあれこれ言う人もいるかもしれないけど、そうだとしてもその激しい渦の中にいる当人たちもそれなりに楽しんでいるんじゃないかな、そうだったらいいな。
 期待と高揚と、あとはあの時期特有の訳のない無抵抗な不安。あれは冬の、学生の、眩い日常を切り取った一ページ、どこまでもどこまでも続くと思っていた日常を切り取った一ページ。思い出せば目がくらんでどうしようもないけど、愛おしくて、ありがたくて、忘れられない。
 そして僕が高校生のときにそのことに気づいていたら、何かが違っていたのかな。具体的で、鮮明で、誇らしい高校生活を送れていたのかな、とか思ったりするのは、制服が夏服から冬服に変わって、それどころかマフラーまで巻きはじめた今日みたいな日で、そんな今日すらもあの頃から地続きに伸びたかけがえのない一瞬だと知って胸がいっぱいになる。


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