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創造的人生の持ち時間は4年だ

 旅の恥はかき捨てというけれど、果たしてそれと同じだろうか。
 東京の恥はかき捨て。
 この街では誰も僕のことを知らない。知らない街の知らない角を、一つ二つと曲がってみれば、僕は何者でもない匿名になれる。奇抜なこの街の中で、自分の持つささやかな個性などいったい誰が見向きを起こす? 誰彼と自分は変わらない。自分だけが特別ではない。その当たり前の事実が、ときに心地よかったり、ときに自分を傷つけたりする。
 過去の自分が全くなかったことになるみたいで、悪くない。どこに自分はいるのだろうか。実感は後手後手で届くものだから、今はまだ夢見心地のまま、まるで自分が自分でないような感覚に酔いしれている。
 下手な見栄やプライドは東京に出てきて雲散霧消した。交友関係は格段に増えた。たくさんの人に声を掛け、そこから関係が続く場合もあれば、接点がなくそのまま尻切れになる場合もしばしばあった。それは積極的と言うべきか、図々しいと言うべきか。あるいは単に厭世的なだけならば、なにもかもどうにでもなってしまえ、とすら思うのだ。

 生まれはどこか、と聞かれればそれはもちろん大阪なのだけれど、地元はどこか、と聞かれると言葉が詰まりそうになる。僕の地元はどこなのだろうか。大阪で生まれ5年を過ごし、小学校を東京で、中学と高校は大阪で過ごした。そして今、大学を東京で過ごしている自分はどこの人間なのだろう。
 何度かの引っ越しを体験している人に共通するように、自分の地元がどこか、ということは常々考えてきた。中学と高校を大阪で過ごした間、僕はずっと自分は東京の人間なのだと思っていた。あるいは、自分が抱えていたあれこれのくだらない悩みをすべて、大阪という街のせいにしていた。そしていつか必ず東京に戻るのだと、半ば洗脳的に思っていたのだ。
  しかし東京に戻ってきた今、自分はこの街の異邦人、ここが地元だとは到底思えない。
  ならば自分はやはり大阪の人間なのだろうか、などと考えてみるが、やはりそれも違う。自分は大阪の人間ではない、と堂々巡りを続けるうちに、いよいよ僕には地元がないように思えてくる。地元、すなわち帰る場所がないというのは、後ろの橋を焼いたような焦燥を駆り立てる。どこの街でも瘋癲、いずれははじかれ者だろう。
 別に東京に失望をしているわけではない。むしろこの街が好きで好きで仕方ない。しかしそれと同時に、僕は本来この街の人間ではないのだと痛いほど感じるのだ。それは冒頭で書いたような、誰も僕のことを知らない、という環境により生じる臆病なのかもしれない。ともかく、その意識が大阪への愛着を呼び起こすもの事実だ。ただしそれは地元意識とは全くの別物である。
 意地の悪い僕の今のささやかな夢は、帰省したときに東京の悪口を言うことだ。
「東京なんて糞だよ!」
 にやにやと薄ら寒い笑みを浮かべて都合のいい文句を並べる。そして、颯爽と東京に帰ってきてまた皆に言うのだ。
「大阪なんて糞だよ!」

 自問自答ばかりになってしまうが、何のために上京したのかというのは、自分にとってあまりにも重い、しかし無視することのできないテーマなのである。いくつかの繊細で打算的な計画はあったかもしれないが、総じて言うなれば「上京しないことには始まらない」という妄信的で馬鹿馬鹿しい動機をぶら下げているだけなのだ。
 古今東西の作品で描かれている、夢を追いかけ上京するという筋は、若者の心をくすぐる。例に漏れず僕も、何でかいことをして、名前を大音声に轟かせ、この若さを還元しないことには死んでも死にきれないと切に思うのだ。僕はこの街で死ぬために、限りある生を美しく昇華したい。
 大学は4年間だ。それは何もしないには長いが、何かを成し遂げるにはあまりにも短い。故に1分1秒として無駄には出来ない。後悔だけはしたくないから、自分の持つすべての力を尽くして生きるしかない。

 宮崎駿監督の『風立ちぬ』は僕の大好きな作品の1つだが、その中でも特に印象に残っているシーンがある。それは戦闘機の設計に携わる堀越二郎が、幻想の中で、敬愛する設計士のカプローニに会うシーンだ。カプローニは言う。
「創造的人生の持ち時間は10年だ。設計士も芸術家も同じだ。君の10年を力を尽くして生きなさい」
  僕はこの言葉を聞いたときの新鮮な胸の高鳴りを忘れることができない。そして自分の大学生活に置き換えて、こう思うのだ。

「創造的人生の持ち時間は4年だ。君の4年を力を尽くして生きなさい!」

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