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泣き虫なわたし(と彼の話。)

今日は久しぶりにnoteを更新しようと思う。
テーマは記事タイトルにあるように
「泣き虫なわたし(と彼の話。)」で書きます。

わたしはとても幼かった頃。
よく泣く子どもだった。
何がきっかけで泣いていたのか、分からないけれど、
とにかくよく泣いていた。
「泣くな」と叱られたことも
「あんまり泣くと周りの大人が、心配するから泣いちゃだめ」
と言われたことも多々あった。

そうして大人になるにつれ「泣かない」を覚えた。
一時期、感情があるから、いろいろと辛くなるんだ
辛いのが嫌なら、感情なんてころしてしまえ
と自分を圧し殺していた時期もあった。

それでも、大好きな人が自分から離れていく、
または、環境が変わって、
居心地の良い場所から旅立たないと行けない時に
(学校を卒業するシーンがわかりやすいかも)
わたしは泣いた。人の目を気にしている間も無かった。
誰もわたしを攻めることなく、受け入れているように思えた。

今思えば、寂しかったのかもしれない。
かまってくれる人がいない。
1人になるのが怖かったのかもしれない。

そんなわたしも社会に出て働くようになった。
「泣く」ことも無くなった。
わたしは泣かなくなった。

大人になってから恋をした。
好きになった相手は、よく泣くわたしを受け入れてくれた。
そのうえで「泣いていいよ」と
泣くことを促してくれた。
泣いている間は、どこへも行かずに、
ただ落ち着くまで、隣にいてくれた。

そこで初めて、自分のしがらみが外れた気がした。
「泣く」ことを、自分に許せるようになった。
彼の前では、飾らない自分でいれることに安堵した。
「取り乱して嫌いにならない?」と不安がるわたしに
彼は「うん」とただ単に、首を縦に振った。
彼の答えは「YES」だった。

感情がすぐに顔に出てしまうわたしにとって、
「泣く」ことを我慢することは難しかった。
気づいたら、涙がこぼれている
と言ったことの方が、表現が近しいのだろうか?
泣いている理由が、その場ではわからず、
後から見つかることも多い。

それで一度、彼と衝突したことがあった。
「そんなに、すぐ泣くのは、おかしい」みたいな話だった。
仕事が忙しく、わたしの情緒が不安定だったこともあり、
彼の心配が限界点に到達していた。
彼の優しさに甘え、彼に心配させ続けたことを、ひどく後悔した。

その後、お互いに頭を冷やし、
わたしは彼に、次のように伝え
「泣くことは制限しないでほしい。
 過去にそれでもっと苦しくなったことがある」
彼からわたしに
「「泣かないようにしてるのに」って思ったなら、ごめんなさい」
と謝ってくれた。

この件があってからも、彼は変わらず、
大きな愛でわたしを包み込んでくれている。
彼からの愛で、安心したわたしは、
今も変わらず、感情が高ぶった時に、よく泣いている。

よく泣くわたしに、
自分自身が幼くなった気がして、嫌気がさしたこともあった。


ただ、それは間違いだった。
本来の自分に戻っただけなのだから。
ここは素直に「おかえり」でいいと思う夜なのであった。


ーあとがきー
この話を書いている途中で泣いたことは
言うまでも無いでしょう。
(自分と向き合うって、とっても疲れるね。。。)