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見えざるものが見えた時。

部屋や家をがっちりと固めまして、その中へなんでも自分のものとしてとりこむ。
それによって身動きがならなくなっている。
持つことで、いよいよ自分を失っている。

            宮城顗


思い立って車の中を整理。

今年は殆どの会議が無くなって、外出も減ったので、流石に例年ついつい溜まってしまうビニール傘も2本ほどしか目につかない。

ついつい、傘を持ち歩くのが面倒で、大丈夫だろ、で、出掛けて、雨に合い、コンビニに走って入りビニ傘を買う。
そんな地球環境に悪いことをしまくっていたのです、昨年までは。
で、今年は、出歩くことがさほどなかったってこと。

20年くらい前までは、多い時は10本以上のビニ傘が車に積まれており、にわか雨の時などは、傘がなくて困っている風の、雨宿りや上着をかぶって小走りの方の横に車を停めて、窓からビニ傘を無言で差し出して去るという変な男をやっていた。まだ、20年前だと若干緩かった、社会が。
これが30年前だと、「え!乗せてくれるんじゃないのぉ〜🤣」なんて乗せると言ってないのに勝手に乗ってきてゲラゲラ笑いながら「あ。あせってる〜!」なんてほざいた女性の二人組みにも会ったことがあるくらいゆるかったので、車を横に停めて、傘を差し出すくらいは問題はなかった。変な顔はされたけど😅
今そんなことしたら、即通報されそうだ、変質者が現れたって😅

だから、もうそういうことはしてない。
そんなくだらないことを回想しながら、後部座席やトランクに溜まった、荷物とゴミを片付けていた。

下の方から、傘が6本出てきた。
なんだよ。
結局、合計8本も傘を積んでいたんじゃんよ。
配るわけにもいかねぇし、殆ど使えないもんばっかだし。
ボロ傘を使って芸術作品を作ることもできないし。
どうするかなぁ〜。

そんな事を考えながら車中を片付けた。

トランクから後部座席から、ほとんどの荷物を出すと、あらま、小さな車だけどこんなに後部座席もトランクも広かったのね、と、確認できた。

広々気分で車を運転しているのもいいが、なんか寒々しさを感じてしまう貧乏性。

部屋もそうだな。

片付いて、キレイで、それこそ何もない部屋もいいが、貧乏性はすぐに持ち込んで、散らかすことを考える。

以前、たまたま取ったホテルの部屋が、ホテルの都合でスイートルームになり、それも日本ではなく海外なもんだったんで、とてつもなく広々として、そこにぽつんと一人で過ごすことになった。
「ラッキー😆!」
と、最初は思ったが、ものの数十分で落ち着かなくなり、街に繰り出して、ごちゃごちゃしたところで食事したり、酒を飲んだりして、結局はシャワーを浴びて寝るだけだった、その部屋でしたことは。

知識を必死に取り入れて、これで大丈夫だと思えると思ったらそうはいかず、知識は新たな不安を呼び込み、また新たな知識で上塗りをしてフォローを試み、新たな不安を呼び込む。

気がつくと、自分の知識で雁字搦めになり、身動きが取れなくなっている。

身動きがとれないわたしは、恐怖からいよいよ自我に閉じこもり、他者を拒絶し、他人の言葉も思いも願いも聞かずわからなくなる。

そこで閉じ籠もっている自分が自分であると思い込む。

最低でも鏡でも無い限り自分はみることができない。
わからない。

鏡すら、自らを映し出すものがなければ、いま自分の髪型が、眉毛が、顔色が、鼻毛が、どうなっているのもわからない。

だから、閉じ籠もっているだけの聞く耳を持てないわたしではわたしがわからないのは当然だ。

車を片付けたら無いはずだった傘が出てきたように、たまには自分の知識も片付けられたらいいのだがね。
そしたらもしかしたら、想いもよらぬものが見えて来るのかも知れないな。

でも、知識を捨てることは勇気がいることであり、またとてつもなく難しいことだ。

知識の整理整頓なんてできようはずもない、わたしには。

結局は、「わたし」を妄想し、他者と触れ合うことで見えてきた、映し出されてきた「わたし」とのギャップを見つめることぐらいかな、まだできるのは。

さ、そろそろ車に掃除機をかけに行ってこよう。

すんげぇ〜、落ち葉やホコリや何やかやのゴミがたまっているのも、荷物を取り出したお陰で見えちゃったし。

う〜ん。。。

片付けなければ、このゴミたちも見ずに済んでたのかも!
なんてことを考えてしまう。

どうしようもないな、この性格😅

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