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いい人からの脱出

いのちの私有化による自己の実体化は、同時に他者の実体化となり、そこに自分は自分、人は人という分離を生じ、他者との比較でしか自分の存在が実感できない。
絶えず他者と比較して、あるときは優越感、あるときは劣等感という両極を揺れ動く生きかたでしかない。

            池田勇諦


昨日に引き続き会議の資料作りに追われた😅

昨日終わったと思ったのに、体裁を整えましょ、と始め、まずは当日の次第だな、と作り出して、「ありゃ?この資料もあの資料もいるやん!」と焦ってまた探し出す😅

結果、昨日、終わったと思っていたのに、まったく終わっていなかった事に気づいた始末。

疲れちまったぜ。。。

まだ、相当先の会議(わたしにとっては一週間後だろうが相当先。2〜3日前から、そろそろ作んなきゃ、が通常)なのだが、このご時世、もしかしたら急遽ZOOMや持ち回りでの会議に成るやもで、致し方がなくはやめに作り出した次第。

ま、おかげさんで、実際の会議の前にはゆっくりできそうだけど。

さて、「今日の言葉」、いいでしょ。

人間の現実だよね。

自分と他者。
優越感と劣等感。
比べて優劣をつける。
選ぶ。

これなきゃ、人間社会は成り立たない。

てことは、人間である限りは、皆、ここんところは根底に持っている。

だから、よくよく気をつけて生きなきゃならない。
自分を疑って、疑って、疑い尽くしたと思っても信用してはダメなんだな。

自分の技術とか容姿とか持ち物ではないよ。
別にそれはそれで自信を持ったらいい。
ただし、他者に向けた自信ではなく、自分自身に向けた自信ならね。

自信をひけらかすようになったらヤバい。
有頂天ってやつだ。
その自信は、たんに誰かより金を持っている、若い、健康、頭いい、いい会社、歩ける、走れる、モテる、そんな比較しての自信でしかないので、ダサいし、簡単に崩れる。

オレは年収1億だぜ!
と、誇ったところで、そこに安心もないだろう。
その1億で満足もできないだろうし、年収が減るんじゃないかとあたふた。
で、上見りゃきりがないし、孫正義さんやビルゲイツさんのような方もいるし、そんなお金のことなんて産まれたときから考えたこともない「お金ってなぁ〜に?」的な方もいるしね。

正直、わたしも金が好きな貧乏人なんで、年収1億とか惹かれちゃっている系なんだけどさ、いい年こいても未だに、でも、それで自信や安心につながるかって、それはないんだろうな、とは思ってはいるのよ。
たぶん、年収1億稼げるようになったとしても、サマージャンボや年末ジャンボが前後賞付きで当たったとしても、瞬間満たされるが、その後はしっかり不安定な世界に陥ると思う。
ただし、これもあくまで「思う」だけであり、まったく「金なんてもんに頼るなんて笑っちゃうね」なんて余裕かました経験がないので、いちどそこに行って確認してみなければならない、実感として「金では幸せは得られない!」を体験してみねばならないな!と思う故、年に何回もジャンボ宝クジを買うという涙ぐましい努力をしてるんさ😭

結局、羨んで、妬んで、嫉んで、いじけて、そんな浅ましさがわたしの中では情けないことに人間として生活していることの原動力の一部であるのは間違いないだろう。

あとわたしを立たせて、歩ませているのは、いつも書いている、人からよく見られたいという見栄といい人だと思われたいというスケベ根性。
この見栄とスケベ根性が前出の妬みや嫉みからなるくされた言動へのブレーキとなっている気もするし、妬みや嫉みの腐れ根性が見栄張っていい人してる自分を恥ずかしく思えるリトマス試験紙になっているような気もしないでもない。

ま、なんか、根腐れしているような根性の話を今日も展開してしまっているのだが、じゃ、本当にそんな風に思っているかと言われれば、「いえ、全然。」って感じだな。

やっぱわたしは「いい人」でしかない。
そこから抜け出せない。

そのまま「いい人」に埋没していく自分が情けなく思うし、こうして無理やり揺り動かす。
わたしの中では「いい人の自覚」はいっちゃんヤバい人なんだな。

「いい人に成りたい!」はいいのよ。
「いい人ではない」という自覚があってのことだから。

ともすると自分に酔っている自分が見えんだな。

それがとても悩ましいし気持ちが悪い今日このごろ。

いい人からの脱出。

いい人旅立ち。

そうだ、京都へ行こう。

一生、見れないで終わる予定の「五山の送り火」を見に行こう!

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