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ゾーンに入れない。

いまの状況と闘うために、われわれに必要なものが三つあると思う。
耳と目と手です。
耳というのは傾ける耳。人が言うことをしっかり傾聴すること。目は、涙する目。人の痛みに思いを馳せて泣くこと。
手は差し伸べる手。お互いに差し伸べあう手をもっていれば、分断と孤立という魔の手に決して負けることはないと思う。

            浜 矩子


今日は、「寺報」を刷って、折っての作業をしていた。

単純作業とよく言われるものであるが、そんなに単純でもないとも思う。

印刷するにも、位置だとか濃さだとか、いちいち微調整するし、折るにしても、なるべくきれいに折りたいと思ってしまうが、時間もあることだし、どうしても束ねて折るので、若干のずれが生じる。
それでも、どのようにしたら、少しでもズレが少なく折れるかを考えながら折る。

単純ではない。

単純にしてたまるか。

無の境地で黙々とゾーンに入って仕事をすることができないんだ。

だから、いらないことを考える。

明日の仕事だの、晩飯何にしようだの、どこそこに行きたいだの、そんな事を考えていると、「あれ?この紙、ちゃんと挟んであるかな?」とはたと気付く。
そして、折っていたものをいちいち確かめるのに余計な時間を食うハメになる。

そんなことが過去にあったので、今日は、ひたすらどうやったら20枚を二つ折りにいっぺんにしてズレなく折れるか。
流石に20枚は無理なので15枚。。。15枚もきついな。。。

結果、12枚ならさほどのズレなく折れる技を身に着けて、いよいよという時には終わった。

これを毎日続けていれば、きっと、本当に身につくのだろうが、だいたい、自分でやるのは年に1〜2回だし、次やる時にはすっかり元の木阿弥となっているのだ。

通常は、寺の門徒さん(檀家さん、信徒さんのこと)が10名くらい集まってくださって、ちゃちゃっとやってくださるので、わたしの出番はない。
ただ、緊急事態宣言下、移動でもしものことがあるとよろしくないので、今回は自分でやることになった。

ちゃちゃっとはできないことがわかった。

ほんと、助かるよなぁ。。。

正直、嫌いなんだよね、こういう作業。

同じことをひたすらやり続けるのが苦手だ。

飽きちゃう。
でも、やらないわけにはいかないから、それならやる気出して一気に終わらせてしまいたい。

だから、けっこう黙々と集中して一言もしゃべることも、トイレ休憩すらも取らないでやる事が多い。

ま、一日では流石に全部までは終えられない。
明日は、封筒に入れて、封をして、そこまでの作業が待っている。

あ!その前に、三つ折りにするって作業があった。
こいつは、きれいに折るのてぇへんだぞ。
職人の腕のみせどころだぜい。

ゆえに、今日は、耳をふさぎ、目もふさぎ、不断差し伸べられている手のありがたさを思いしれた時間だったぜ。

政府も都知事も、ともかくひたすら単純作業というものをやったほうが良いな。

文章を自分で作って、刷って、折って、封入して、宛名印刷し、ラベル貼りして、税金納めてください、くらいのやつを出させてみると良いかもしれん。

あいつら、完全に、耳目を塞いで、手を引っ込めて、それでいいと思ってるし。

ま、人として、あ〜は成りたくねぇな。

金と名誉と地位に関わること以外には興味を示さないようなつまんない人間には成りたくねぇな。

ま、なろうと思っても、成れないけど、そういう資質皆無だし😅

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