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弱者を救う社会は、わたしを救う社会。

困難な立場にある方々を人間扱いしない国と社会は、実は誰も人間扱いしていないのだと思います。

            駒井知会


差別や人権侵害は弱者へ向けられる。

差別をするとき、人間は、そこに差別意識がない。

正義が在り、被害者意識が在り、歪んだ社会ルールがある。

人間は自らが惨めであると感じられた時に、隣の人間よりも劣っていると感じられた時に、自らよりも弱い人間を探し出す。
いなければ無理矢理にでも作り出す。

そして、自分は最下層ではないと安心する。
優越感を持つ。
上に媚びながら。

弱者には誰でもがなりえる。

元総理大臣が女性蔑視の失言で追い込まれた。
彼ですら、その瞬間は叩かれ弱者となった。

若くて力があって、金もあって、腕っぷしも強い人間でも、60年もすれば老いさらばえて、老いと病の恐怖にさいなまれる。
持っている財に頼ろうとして、名声と名誉とにしがみついて、そうすればするほど自分から去っていくのではないかと狼狽し、畏れる。
必要とされなくなるのではないかと、誰もこちらを向いてくれなくなるのではないかと不安に駆られ、強がり、吠える、わたしは強いんだ、と。
そして、間違える。

弱者を見つけて救うのでなく、弱者を叩きのめす社会。
弱者を作り出すことで一部の人間が彼らの尊厳をむしり取るような社会。

それがいいと、そこで問題なく過ごせば、強者に阿いて忖度して卑屈に生きることを、強者の名前を出してふんぞり返る社会を、マウントとれば勝ちだと思うような社会を、勝ち組負け組で考えるような社会を、五分で付き合えないような社会を善とするなら、遅かれ早かれ、自らも社会にフルボッコ食らわせられる覚悟だけはしておくことだ。

いま、少なくとも日本社会は、この国に住んでいる、生活をしている人々の味方ではない。
守ってはくれない、そんな社会だ。

人間性や、人情や、最低限の繋がりが解らず、ただ、規則という紙切れに書かれたノウハウ、マニュアルで人の命が失われていくことを無感傷、無機質にやり過ごせる人間が育つ社会。
上司に言われて、感情のない目で路上で抗議する住民を排除する人間。
薄ら笑いでネットで誹謗中傷をして、相手の痛みをわかろうとする、そういうことすらも「意味わかんねぇ」と流す人間。
真面目に一生懸命生きている人間を、国籍や生まれた場所が違うという理由だけで排除しようとする人間。

こんな人間が今の日本を作っている。

こんな人間を善しとするような政治家が多くを占めているのが日本だ。

次の被害者はだれでもない、あなたであり、わたしだ。

だから、せめて、おかしいと思うことはおかしいとだけは言っておこう。

もう黙っておとなしくやり過ごすような時期ではない。

隣と違ってもいい。
互いに、罵り合いではなく、思っていることを伝えるようにしよう。

伝えるんだ。
押し付けるんではない。
叩きのめすのでもない。

ひとりでも不幸な人がいる以上は、その社会はまだ直すべき点がある。

ひとりも取り残さない社会を留まることなく悩み続けること、滞ることのないその歩みだけが弱者に目を向けることができる、「そこにいる人を救う社会」を作ることになる。

「人を叩く社会」から「人を救う社会」へしたいんだな。

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