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My ルール

人間は「やりがい」がほしい生き物ですよね。
でも、とことんいったら
「やりがい」があるでは
人間は生きられないのですよ。
「やりがい」が全部取り去られた時に初めて、
「そのまま」というか、
生まれたままの自分にもう一度帰ることができる。
ゼロの自分に戻ることができる。
素の自分に戻ることができる。
そこが「煩悩具足の凡夫」の
立ち位置なのですね。
         武田定光

昨日の夜は暑かったぁ

今朝の撮影散歩でも
気温はさほど高くなのに
めちゃくちゃ暑かった

写真を撮るにも
気分が乗り切らず
ほんと
きつい朝だった

何よりも
発表するに足る写真が撮れなかったのに
一枚、意地でもUPするというのが
なかなか辛い

自分でかってに決めたルール
毎朝撮った写真をUPする。
撮りに出られなかった日はUPしない。
出た以上は
たとえどんな写真でも
恥を忍んでUPする。

べつに守らにゃならないわけでもないし
前日に撮った、一年前に撮った
春に撮った写真を夏にUPしようが
誰もモンク言わないのだろうが
だいたいそこまで興味もないだろうし
適当にやればいいのだが
なんかそうもいかない😅

自分が決めた縛りに
いつも自分自身が窮屈になる。

ルールは破るためにある!

なんて言い聞かせても
なぜか
自分のルールを破る勇気がなかなか出てこない。

ルールを作って
それは自分で作ったルールであり
誰かに強要されたものではない。
だから
息苦しい縛りはないはずなんだと思いこむ
毎回MYルールを作ると。

「やりがい」といえば
やりがいなんだろう。

でもこの「やりがい」=Myルール
ひとつなくすと
すぐ新ルールが出来上がる。
Myルールだけですらそんなんだ。

「やりがい」を全部取り去ることは
本当に苦労しそうだ。

手を抜けばいいや。。。

と、思うと
余計に手を抜けなくなる。

無意識に手を抜くと
「やりがい」はなくなり
虚しくなり
「やりがい」をすぐに探す。
余計に探す。

「そのまま」になるには
手抜きではできない。

あきらめが付くまでやりきって
はじめてそこに
「やりがい」をなくせるのだろう。


きほんストイックに生きる気もなく
ポジティブよかネガティブのほうが好きだし
アクティブなんて考えられない。

よって
「やりがい」を感じて生きるなんて
めったに感じていないとは思う。

それでも
じゃあ
「やりがい」なく生きれるかと問われたら
今のところは「NO」だ。

ここは
あきらめて
あきらめがつくまで「やりがい」を生きるしかないようだ。

明らかにしてきわめる=諦める


これから会議だ。

これもおれの
まだなにかしないといられないおれの
「やりがい」だ。




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