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もう、何年も、自分で服は買っていないなぁ。。。

すべての人びとが、どんなに才能が異なっておろうと、どんなに境遇が異なっておろうと、その身に受けている才能、境遇のままにほんとうに自分の生命というものを尊重していける。
独立者というのは、そういう自分で自分を尊重できるということです。

             宮城顗


花粉症が出だしたぞ!と。

ずっとマスクをしているので、周りでそう言い出した人が出てはきていたが、気にならなかった。

ところが、昨日一昨日の高気温と今日の風、鼻、クシャミは大丈夫だが、眼がかゆい。
くそ、毎年、今年は治ったかもぉ!、と淡い期待をよせばいいのに寄せては裏切られる。

この病?アレルギー性鼻炎、花粉症というものとの付き合いは長い。

中学2年の頃からだから40年以上の付き合いだ。

まだ、花粉症とかアレルギー性鼻炎てコトバさえなかったころだ。

いつのまにか、高校の頃だったか、花粉症という言葉が現れ、アレルギーだと言われるようになっていた。

ま、時代の先取り、先端を走っていたってことだぜ。

人生で、唯一だな、時代を先どったのは。

だいたい乗り遅れるし、遅れているのがわかるので、恥ずかしいな今更、って、乗るのをやめる、病気以外は。
病はね、自分でどうこうってできないじゃない、嫌だから成らないとか。
気をつけることくらいはできたとしてもさ、なるときゃなるし、かかるときゃかかる。

ファッションなんて、まったく乗るとか乗らないとか以前の問題で、全くついていけない。

だいたい、はやりの服だとか、いい感じだなと思う服でも、着られる服がないし、中学2年ころからはずっと。
中2の春で175cm/85kgオーバーのガキが当時憧れたのは、IVYファッション。
ズボンとジャケットを試着。。。どっかのおっさんにしか見ないしパツンパツンだ。
憧れスタジアムジャンパーも、薄着の上からならなんとかだが、袖が短い。
七分丈のスタジャンですかぁ〜!!!って感じ。
高校生くらいになると、ようやく、日本人の平均身長も伸びてきたというので175〜178cmの人を意識したものが出だすが、ものを考えずにすごしていたら、脳に使うべきエネルギーもが身体に使われ、順調に180cmを超え、またしても日本のファッション業界から見放される。

大学を卒業する頃には、「うちの商品は180cm/80kgの方でも大丈夫ですよ」と言われ、いそいそと試着。
185cmには袖が短い。
運動のしすぎと間違った栄養補給のお陰で60kgまで落とした体重の人間には胴回りがぶかぶか、でも、なぜか背中と肩とについた筋肉のお陰で、肩甲骨より上が窮屈。
変な体型のお陰で、これまたファッションから見放される。

その後も、近代的青年たちのスリムな体型についていけず、同じ身長で同じ体重なのに、なんでこんな細身の服が着れんだよ!みたく服がどんどん細くなるし、完全にファッションはわたしを見放したようだな、と40の頃に気づく。

スーツでさえ着られるものがなくなった。

この体型のお陰で、わたしは服に金をかけるという思考が無くすんだようだ。
冬は暖かければなんでも良い。

春と秋は、リーマン時代に作ったワイシャツ(ワイシャツですらまともなものは作らないとない)をジーパンの上に着ちゃう。

あとは、なんだかんだで頂いた服を着回して過ごす。

着るもんでいい思いをしたのは、コートを買った時、2回。

1回は、30歳のころ。
当時付き合っていた方と腹を見ていて(コーデをお願いした)、いい感じのダッフルコートを見つけた。
ちょっと羽織ったら、案の定、大きさが合わない、最大サイズでも。
袖が短いし、なんか窮屈。
諦めようとしたら、店員さんが
「あの、一昨日、ショーに出したもので、その時モデルが一度だけ袖を通しただけのものですが、よかったら、試してみませんか?」
奥から出してきてくれた。
色合いも、ボタンも、一段と良い。
「うわ!いいじゃん。これ、ぜんぜん」
「一応ショー用なので、全体、生地もボタンも特注です。ただこれと同じもので出すとなると値段が倍以上になってしまうので、うちの店の客層やコンセプトには合わないので、市販のものは最初から少し生地もボタンも可愛らしくと言いますか、より若者向けにしてあるんです。どうぞ着てみてください」
ピッタシだった。
「すごくいいんですけどぉ、これ。でも、売ってないんでしょ?」
「そちらでよろしければ」
「え?これ売ってくれるの?」
「この大きさだと、なかなか着られる方もいませんし」
「いくら?」
倍と言っていたから大方の覚悟はしているし、それくらいの予算で考えていたのでいけるとふんだ。
「〇〇○円でいかがでしょうか?」
「え?えええ〜!!!あの〜、店頭のよりやすいんですけどぉ!」
「あ、一回だけとはいえ、ショーでモデルが袖を通した以上は中古ですから」
「買う!ちょうだい、わたしにそれを売ってちょうだい!」
そんな感じで買ったコート。
未だによれることもなく着れている。

2着目も同じような感じ。
事務員一年目の冬。
スーツ用のコートを探しにうろついていた。
あ、これ軽いし、暖かそうだし、丈も袖も長くていいな。
「これ、羽織ってみても良い?」
「どうぞ、どうぞ」
「わ!ぴったし!なかなかないんだよね、オレの体に合うの。これちょうだい」
「良かったです。こちら、入荷したはいいんですけど、日本人には大きすぎて、諦めて倉庫に戻して、返品するか、どうするか悩んでいたんですよ、ちょうど」
「そうなんだ。じゃ、ギリ、ラッキーじゃん」
「ではこちら、現品になりますが、よろしいでしょうか」
「うん、もちろん。着てっちゃうから、タグとかだけ外して」
「わかりました。そういうことですので〇〇○円で」
「え?」
「諦めていた商品ですので、気もち引かせてください」
「ありがとうございますぅ〜😂」

て、まぁ、このでかい、変な体型の身体でも、だからこそ良いこともある。
喜びもひとしおだ。

ま、自分の、身体だ、体調だ、金だ、地位だ、才能だ、境遇だを受け入れられないことはしょっちゅうだが、そのお、かげでということも間違いなくあるよ。

独立者にはなれないけど、持ち物でその人間の価値が決まるわけじゃないってのは、こんなくだらない、どうでもいい経験からでも学べるってことだ。
自分お持ち物を、他者にぐちゃぐちゃ言われるのも嫌だし辛いが、肝心要の自分が卑下してちゃあまりにももったいない、そんなことはたまに感じる。

たまにね、ほんとたまのたまのたまに。

基本、自分の持ち物を他人の持ち物と比べて、落ちたり上がったりしている。

バカだな〜と思うんだけどね。

でも、理屈理念と関係なく、やらかしちゃうんだな。

いい歳して!と思われるかもしれないが、これは年寄の経験値から言えば、年取れば取るほど、感情の、心の制御は効かなくなるのよ。
やめときゃいいのにやっちゃうのよ。

でさ、自分の持ち物に自信が持てなくなってくるのよ。

だからね、こういう「今日の言葉」みたいのはできないからこそ必要なんだな、「できてないぞ」「バカだぞ」「やめとけ」って声だな、わたしにとっては。

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