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試合のことは触れないわたしの全豪決勝記。

わが身一人を自己として、わが身一つを世界として、自己絶対化を計り、差別と支配の主体としてこの世を生きるのか。
それとも、そのような人間の存在と、人間の世界をどこまでも自分を外に置かずに問い尽くして生きるのか。
私たちはもうすでに一瞬一刻にその問いに対する答えを無意識の内に出しています。
「生きざま」という形で、答えを出しているのです。

             尾畑文正


大坂なおみ、すごかったね。

昨日はちゃんとオンタイムでテレビ観戦していた。

ブレークを返されても、どこか落ち着いていた。
冷静というか、余裕ではなくて、ただ自分のプレーをすることに集中しているように思えた。

で、結局は自分も日本という殻の中で生きているなと思わされた。
それが悪いということではない。

この身の事実ってやつだな。

いくら、国境なんて、国や地域なんて、と言っても、いざとなればそれがきちっとまとわりつく。

大坂なおみさんが日本国籍だから、日本で報道されるから知っていて、応援をするように成ったことは事実だし。

スポーツ観戦にあまり興味を示さない自分が、ついつい時間を取って観てしまう。
これが、外国籍の選手だったら、ここまで興味を示すのかな?、とちょっと考えてみる。

たぶん、「ふ〜ん。すばらしいね」で終えそうな気がする。

じゃ、日本人なら、日本チームなら、誰でも応援するかと聞かれると、そうでもない。
ここで働くのは自分の好みってやつだ。

好みに合わない人は、日本人だろうが外国籍の人であろうが、興味がない。

プロレス大好き少年をしていたころ、アントニオ猪木は好みではなかったので、アンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセンやブルー・ザ・ブロディやタイガー・ジェット・シンを応援していた。

ところがこれが猪木よりも好みじゃない選手が相手だと、猪木を応援する。
ローラン・ボックやビル・ロビンソンなんか。

単なる好みだ。

でも、その好みを左右する条件として、どうしても日本人というのが結構大きな要因となることも事実なんだな。

で、昨日の大阪さんと対戦したジェニファー・ブレイディさんのことは全く知らなかったが、とてもいい選手だなと思った。
年齢も大阪さんと変わらないし、これから大坂なおみのライバルとして台頭してきて、三沢対川田、三沢対小橋、川田対佐々木健介そんな息をも付けない試合を見せてほしいな、なんて思ったら、ブレイディさんのことも、2ゲーム目の途中では応援していたりした。

で、そこでまた気づいた。

アメリカのブレイディという見方をしていた自分に。
アメリカに負けんな!
みたいな気持ちがどこかにあった。

これもプロレス小僧の性。

日本人対アメリカ人。
メジャーのチャンピオンシップは皆アメリカ人。
それを取ること、つまりアメリカ人を倒すのを観たくて観たくてしようがなかった。

ジン・キニスキー、フリッツ・フォン・エリック、ドリー・ファンク・ジュニア、ブルーノ・サンマルチノ、バーン・ガニア、ニック・ボックウィンクル、ハーリー・レイス、リック・フレアー

ハラタツくらいうまくて強いレスラーがいた。

それを倒せそうで倒せない、もう一歩。。。

そんなのを観て興奮していたので、どうしても、スポーツに関しては対米意識が出てしまうようだ😅

なんだよ、結局は自分も国や地域やなんかにしっかり影響されてんじゃん。

だからこそ気をつけにゃなぁ。

スポーツとか観戦すると、見えるよね、自分に根ざしている環境に染まっている基準が。

ま、いま、興味があるスポーツ選手って大坂さんだけなんで、滅多に外のスポーツをテレビで観戦することもないんだけどね。

前にも書いたけど、プロ野球の日本シリーズを昨年全部観ちゃったけど、どちらが勝ってもいい感じだったし、あそこまで知らない人だらけだと。

これ、観なきゃ!となるものはないし、この人に勝ってほしい、ってのもほかではなくなっちゃてんなぁ。
プロレスも観なくなっちゃってだいぶ経つしな。

じゃ、大坂の仕合を全部チェックしているかと言われれば、そこまででもなかったりする。

それでいいんだけどね。

昨日はたまたま、試合を見終わったとにそんなことを感じただけで、基本は仕合そのものを観ながら、ハラハラドキドキしたり、ワクワクしたり、眼を見張っているし、それでいい。

そう考えると、昨日は、試合そのものを楽しめる余裕がないくらい、どこか気もちがざわついていたのだな、と、いま感じている。

なんか、いろいろ気づかせてくれたので、また、大坂さん、そしてブレイディさんに感謝だわさ。

あ!またくだらないことに気づいちまった!

ずっと、大坂さん、ブレイディさん、って感じだけど、これは日本の家制度の悪しき風潮のせいってやつだな。
個人を見ないで、家を見る。
〇〇家。
名字を呼ぶ癖を直さねば、と、誰かが言っていたけど、今更、名前を親しげに呼ぶなんてオレにはハードルがたかいのよ。

こういう雑文の中でも、「なおみ」とか「ジェニファー」とか打ち込むと赤面しそうな自分がいる。

でも、そうなんだよねぇ。
これが良いのか悪いのかは全くわからんが、日本人の特徴で指摘されるのが「名字」で呼ぶ事が多いということ。
どこかで、そこにも個よりも家を大事にするという社会性が出ているのではないか、という指摘も、正しいとは言わないが、間違っているとも言えない。

だいたい家制度なんてもんは明治31年までなかったから、まだたかだか100年ていどなんだよね。
いきなり、今日からキミらも貴族や侍のように家(名字)を持っていいよ〜ん。
なんてなったもんだから、とんでもない宝物をもらった気分になっちゃって、個より家のほうが大事になっちゃった、そんなかんじはあるんだろうな。

ま、いまさら、会ったばかりの人をファーストネームを呼ぶようになんて、かえって嘘くさくなるので、それはしないけど、こういうこともどこかに持って人と接していきたいと思う。

大坂さん、ブレイディさん、あざす!

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