平和ボケ上等!
「私と私の世界」を絶対化して、それを問うこともせず、その結果、人間の根源的な連帯関係を見失っています。
そのような「世のいのり」に背く私自身をこそ根本的に問題にしていかないと、真っ逆さまに「いつかきた道」に突入していくことは火を見るよりも明らかです。
尾畑文正
なかにし礼さんが亡くなられた。
憲法を「最高の芸術作品だ」と言い、徹底的に「安全保障関連法」の制定に反対をしていた。
彼の紡ぎ出す詞はロマンチックで、情緒的だ。
でも、本人の中には常に思想と理念と譲れない一線があったと思う。
それは「非戦平和」。
武器を持てば、必ずその武器を使う。
身の安全のため、威嚇のため、持っているという安心感のため、というが、あればかならず使う。
それがどうしても人間はわからないらしい。
日本と日本の理念を絶対化して、それの沿わない、それを否定する(歴史認識の違いなど)奴らは許せない。
日本人以外は米国人でなければ敵。
そんあせせこましい、くだらない思想のもとに「安全保障関連法」なんてもんを成立させた。
この国が向かおうとしているのは孤立。
じゃ、日本の国の中で、みんな仲良くやっているのかというと、とんでもないよね。
ますます分断が進み、ますます格差が進み、隣のやつを信用できなくなり、孤立は進んでいる。
孤立すれば恐怖に囲まれる。
恐怖を抱えた人間には、親切な言葉でさえ、優しいふるまいでさえ、自分に向けられたわけでもない笑顔でさえ、何でもいい、なんでもトリガーとなる。
武器を持っていたら、確実にその武器を使う。
今、自分自身がそういう自分だという自覚が必要だ。
意思が強いとか弱いではない。
この国の社会の潮流がそうなっており、そこに飲み込まれているわたしは、自分の意志など関係なく、恐怖を植え付けられている。
なんでも銃爪となり、何でもやらかすわたしがいる。
それが今の事実だ。
そこから今の日本を見ると、日本という国自体が、恐怖に苛まれているわたしと同じくなっている。
その日本は、今や軍事兵器だけをみれば、世界有数の軍事国家だ。
そしてますます、飽き足らず、軍備増強を図っている。
核兵器禁止条約に参加しないどころか、自らも核兵器を持つことを目論んでいる政治家や実業家や思想なんて無い思想家を応援する人間で溢れている。
パールハーバーの時と同じ過ちは簡単に犯すことがありえる。
「むこうが撃ってくるぞ!」ってデマを信じて、こちらから撃ってしまう。
そんな単純なことなんだ、戦争を起こすことなんて。
人間は賢くない。
とことん愚かだ。
だから、同じ過ちを必ず犯す。
そこに立つことが大事だ。
なかにし礼が、忌野清志郎が、ジョン・レノンが言っている。
バカなことはやめて、仲良く平和にやっていこうぜ!って。
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