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オレはラッキーマン♪

罪を罪とも思わない者には地獄もないのであろう。
真空のような空洞のこころしかない。
「地獄のような苦しみ」と表現されるこころの葛藤は、そこに人としてのこころが息づいているからだといえる。

            狐野秀存


今日は王子まで仕事で行ってきた。

飛鳥山公園の近所のお宅での仕事だったので、公園の駐車場に停めればいいだろうと車を走らせる。

公園の駐車場、閉鎖してるじゃん!!!

マジか!

近隣にコインパーキングも結構あるのだが、軒並み満車。
公園へ遊びに来た人と工事等の仕事の車で。

やばい。。。車が停められない。。。

なんで、飛鳥山公園の駐車場を閉鎖すんだよ!
迷惑な話だぜ。
石神井公園の駐車場は緊急事態宣言下でもちゃんと開いてるぜ!
くそ、ともかく停める場所を探さねば。

と、車をあちこち走らせる。

500m圏内位をぐるっと廻るが、みんな満車だ。

しようがない、もう一回ぐるっと、今度は1km圏内まで足を伸ばして回るか。

???え。ええぇ〜っ!

あの方、車を出すの?精算機の前にいるではない!
危うく行き過ぎるところ、気づいて停車。
間違いない、精算している。
あ、車に乗り込んでエンジンかけた😂
車が出た!

瞬間感謝の念で満たされる。

ありがとう!
ありがとう、自分😭
ありがとう😭

車を出してくれた人じゃないんかい!

違うんだな。

なんて引きの強いわたしなんでしょう!
なんてラッキーマンなんでしょう僕は!
そんなラッキーマンなわたしに感謝せずに誰にする!
すべてはわたしの日頃の行いのおかげなんだ!

そんな感じの自分が間違いなくいた。

そうなると、もう、嬉しくて嬉しくてたまらない。

たぶん、行って、普通に停められていたら、なんとも思わなかっただろう。

それが、停められない、ヤバい、どうしようだったからこその駐車できたという喜びは一入となったのだな、とは思う。
非常に単純な思考回路だ。
500m圏内を回ったことすらもが良き出来事、飛鳥山公園の駐車場が閉鎖していたことさえも良き出来事、全てが良き出来事になってしまう。

なるほどな。

これが苦労して手に入れる喜びというやつなんだな。

基本苦労が嫌いなんで、辛いのが大っ嫌いなんで、手に入れるのに苦労しなければならないとなると諦めることにして生きている😅
だし、なかなかこういう喜びに出会うことがない。

以前書いたが、山登りも、苦労しか感じない、辛さしか感じない質なので、登頂した時の気持ちよさ達成感を感じない質なので、そういう性格の人間はなかなかこうした感覚に出会うことがないのだ。

今日はとても気持ちがいい😂

罪を罪として感じられない人ってのは、おそらくつまんねぇ人生過ごしてんだろうな、その場だけの欲得の達成感はあるにしても、人生通しての達成感がないのかもしれない。

オレはどっち側にいるんだろう。

う〜ん、死ぬ間際に、なんもできなかった、なんもやれなかったって後悔はしたとしても、でもおもしろかったのかもな、って思えればいいのだが。

あれもやって、これもできて、名誉と金がこんだけあって、これを一つも持っていけないのか、何をしてたんだ?、なんであんなに貧乏でなんも持ってないやつが楽しそうに生きてんのに、全て持っているオレがなんでこんなに虚しさを感じなきゃなんねぇんだぁ〜、なんて人生はいやだ。ま、できないし、やりたくもないな、とは思う。

でも、じゃぁ、なんもなくていいかというと、いやいや、とんでもない。

金も欲しいし、名誉ではないけど認められたい、必要とされたい欲はくさるほどある。

さぁ、いまわたしは、つまんない道or人の道、どちらを歩んでいるのだろう。

せっかく人として生まれ、人間界で生きているのだから、人の道を歩みたい。

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