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プリンはいいけど、「体」が着くとね。

具体的に差別する自己と社会を問うていく生き方。
それは「何が人間を主体化させる真実か」、「何が人間を没主体化させる虚偽か」を見極めていく生きかた。

       池田勇諦


いま、星乃珈琲にいる。
パンケーキはさすがに食べられないので昭和のプリンとコーヒーで昼下がりを過ごす。

昭和のオヤジは昭和のブリンにウルセェぜ。

まだブツはでてきていないが、オレを納得させられるかな😎

新宿のとある居酒屋バーで出している昔プリンはオイラを納得させるものだ。
あれを超えることはできないだろうが、ま、期待しているぜ。

出てきた。

昭和だぜ。

先日、SNSの投稿で、小学生が「昭和の人ってまだいるの?」と尋ねたと書いてあった。

そりゃ、平成も終わって、あと5年もすれば令和の人が小学生だ。

昭和の人は、それも前の東京五輪の時にこの世に誕生していた、東海道新幹線や高速道路よりも歳上のオッサン、じいさんなんぞ特別天然記念物もんだろう。
だが、まだ明治の人も、大正の人も、戦前の人もいらっしゃる。

オレなんぞが「特別天然記念物」扱いは無理があるな。

記念物を取ればいいか。

特別天然ちゃんで〜す😘

無理だな、そんな可愛げもない。

特別ではある。
これは皆同等にだけど。
一切合切が特別だ。
物だけではなく、事象も、この瞬間も。
だし、特別ちゃんでいくには特別ちゃんが多すぎて無理がある。

だいたい、一瞬前のわたしと今この瞬間のわたしでは、すでに違う特別ちゃんだからな。

わたしはわたしであって、もうすでにこの瞬間違うわたしとなっている。

そのわたしを取り囲むのが社会であり、社会を作るのは何あろうわたしだ。

つまり、社会を無視してわたしはなく、わたしを無視して社会は成り立たない。

居場所なくて、と、悩まれている方にも言いたい、あなたがあることはあなたの社会にわたしの居場所を作ることであり、あなたの居場所はあなたの社会に必ずある。
で、会ったことがあろうがなかろうが、存在の有無さえ知らなかろうが、わたしの社会にはそうしたまったく無関係、無縁と思われる一切が実は存在している。
だから、わたしの社会はすごい。
わたしだけの時間や空間や思いや知識や記憶だけの社会であるなら、せせこましくて、たいしたもんじやないが、わたしの思慮分別、意識、意味、そんなもんを全て超えてあるからわたしの社会も素晴らしい。
あなたの社会も素晴らしい。

他者の社会を否定することは、自らの居場所、自らの存在を否定することでしかない。

他者の存在否定は、その瞬間、自らの存在否定でしかない。

主体的に生きようとするならば、絶対に他者の存在否定はしないことだ。

嫌いな人間、許せない人間の言動の否定は致し方がないとしても、その人物そのものを消し去るような愚行は、たとえ意識下であろうとしないよう努めるべきだ。

で、プリンなんだが、食べた。
なるほど、硬さ、甘さ、カラメルの苦味、なかなかやるではないか。
合格だ。
いや、存在否定をしないためとかでなく、ふつうに、好みの感じで美味しかった。

石神井にも星乃珈琲はあるので、今度からプリンが食べたくなったら星乃珈琲へ行こうと思えてる。


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