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比べてる暇なんてないはずなんだそうな、本当は。

満 足  鈴木章子

隣の人より一歩前
そんな刹那的人生を
子供達よ
過ごしてくれるな
どこまでいっても
満足などない
競うことなく
比べることなく
うらやむことなく
嘆くことなく
卑下することなく
あなたの花を咲かせておくれ
おまえはおまえで充分
あの庭のバラのように
あの庭の松のように
人間成就の花を咲かせておくれ
そこに本当の満足が生まれる


午前中の休みをもらい、車の一ヶ月点検に行ってきた。

一ヶ月で1100km走ったおかげで、だいぶ車の大きさを含め諸々に慣れてきた。

オイル交換を頼んでみたら、最近では一ヶ月点検でのオイル交換があまり必要がない旨のことを教えてもらえた。

それだけエンジンも良くなり、昔のように最初の一ヶ月(慣らし)の状態でオイルが汚れるようなことはなくなっているらしい。
走りで気になるなら交換しますが、と言われても、車の運転は大好きだが、オイルを変えたら全く走りが違う!とか、そこまで走りを気にできるほど車に精通してないし、気になりません、と言って終えた。

世の中、知らないうちにどんどん進歩しているのだな。。。

新車の一ヶ月点検時のオイル交換は当り前世代としては驚きだ。

進歩するしないの良し悪しはこの際、今日のところは置いておいて、進歩にいちいち付き合っていたら大変だな、とは思う。

置いていかれるのもさみしい気はしてしまうが、抗いたい気分はどこかにあるが、ま、知らないうちに進歩していた!、って感じのほうが気楽な気がした。

でも、やっぱ、何かと比べては、進歩していたらそれに対して、していなければその状況に対して、比べて文句を言いたがる自分がいるのも確かだ。

また話が思わぬ方へ行きそうだ。

やめとこう。

いままで、「今日の言葉」で2〜3回載せた言葉がある。
珍しい。
意図して、敢えて、同じ言葉を載せることは殆どない、
以前も書いたが、基本違う言葉を乗せるというルールでやっているので、忘れていて同じ言葉を選んだりはあるとしても、敢えては殆どない。
昨日、その言葉が登場するドラマが、というかそのドラマから用いたのだが、またまた再放送で流れていた。

やはりこの言葉はいいな、と思った。
自分自身、そうあれないし、そんな自分に一度でいいから出遇ってみたいと思う。

今日は誰も恨まなかった 
今日は誰も憎まなかった
つらい涙じゃなく
悲しい涙じゃなく
幸せな涙がこぼれた
この世界を少しまた愛せた

テレ朝の森村誠一の終着駅シリーズ、片岡鶴太郎が刑事役のやつ、それの「悪の魂」という回で、清水美沙が演じる高見友子という女性がつぶやく言葉だ。

恨むこと、憎むこと、妬むこと、卑下していじけて生きていく中で、フと。たった一日だけれど、そんなことなくただただ穏やかに当り前の日を過ごせたことに思い当たり、それがとても幸せなことだと気づき、思わず涙が溢れる。
あぁ、捨てたもんじゃないな、生きていることは。

そんな心情になれるほど真剣に生きれていないのだろう。

きっと、涙まで、世界を愛すまでは行かないが、いや、それがとても幸せなことなんだと気づけないで、当り前に、憎まず恨まず妬まずの一日を過ごしたことはあるかもしれない。

それでいいのだけれど、それに気づくということは、普段、そうとう追い込まれた日常にあるのだろうから、それでいいのだろうし、ありがたいことなのだろうが、反面、憎み恨み妬んで生きていることにも鈍感になっている。

どちらがよくて、どちらが悪いということではない。

自分の鈍感さを感じるだけだ。

「恍惚の間」という言葉がある。
息を吸い、吐く間に、時が過ぎ去り、知らぬ間に終りを迎える。
そんな無頓着な時間がわたしの人生の大半を締めている。

それが、人生の事実だと思う。

だからこそ、もう少しだけ敏感でありたいと思う。

そこに気づきをくれる言葉。

これは隣の人と比べてとか、社会の流れに乗ってる乗ってないとか、そんな問題じゃない。

わたし自身が、わたしをもう少し大事に見つめる時間を持つことの大事だと思う。

今日の言葉も、ドラマでのセリフも、その言葉を伝えてくれた鈴木章子さんもドラマの役だが高見友子という女性も、自らの死を目の当たりにしての上での言葉だ。

自分自身の中にある大事を真摯に受け止めてくれという願いに聞こえる。

生き切ろうと思う、この瞬間だけだけど。

すぐに、その思いをなくしてしまい、恍惚の間を生きてしまうわたしに、そう思わせてくれるんだな。

生き切ろう。

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