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貧素な感性。

自分の見たことは信じるけれども、見たことの無いものは信じない。しかし、自分の関心にひっかかることしか見えていません。自分に関心のあることしか聞こえないわけです。
直接の感覚を当てにしていますけれども、実は本当に狭い範囲、薄っぺらなところしか感覚できていない。

            一楽真


結局は、自分の価値観が、いかに視野狭窄で、自己中で、いい加減なものなのかって、疑えるかどうかだと思う。

だって、過去をちょいと振り返れば、ほんとひどいもんだよ。

コロッコロ変わってきたもんなぁ。

結局は、自分がどこにいるかで、状況や立場や入ってくる情報で、価値観なんざ変わっていく。

30代中頃まで、ほとんど酒を飲まない生活をしていた。

特に20代の頃までは。

飲まない、飲めないわけではなかった。
ただ単に、嫌いだった。
酒自体も、酒飲みの席も。

だから、付き合っていた女性の誕生日とか、何らかのイベントを企てて、それを終えた打ち上げの席くらいでしか酒を飲むことはなかった。

会議の後席なんかは、ひたすら食いにはしり、酒は飲めません、飲みませんで通していた。

で、会議の後席とかで酒が入ってくると、酔いが少し回ってくると、会議では無口だった、あいつもどいつもこいつも、いきなり弁舌さわやかに話だし、あそこはこうするべきだ、そしてこれこれはこちら側に進もうとしているがそれはどうなのか、とかのたくりまわしだす。
それが大っきらいで、許せなかった、20代。

「酒のんでぐちゃぐちゃ言うな。くだらねぇ。仕事の話はシラフのときにしろ!」

と、かならずのように言い放ち、場をシラケさせていた。
当時、40〜60代の諸氏が20代のシラフのガキに絡まれて、面白いわけがない。

で、毎回、少し上の先輩に、
「オマエが言うことは間違ってないし、わかる。でもな、だれでもがオマエのようにだれかれかまわず喧嘩売れるような性格じゃないんだよ。ああいう席も必要なんだよ、会議を回す立場の委員長や副委員長としてはさ、ざっくばらんに意見を集約できる場としてさ。わかれとは言わないよ。ま、そんなところだ」
って感じで言われていた。

ワカンネェでもないけど、そこまでして意見を聞かにゃならんもんかね。メンドクセェ。

って、感じだった。

それ以前、仲良くして、周りにいたのが、みんな上下関係とか嫌いで、酒飲む時は仕事離れて、って人だらけだったので、シラフで物言えないという人間があまりにも少なかったので(類は友を呼ぶではないけど、今から考えると、他で友達作れないのが殆どだった😅)、よく解らなかった。

で、テメェも酒に溺れだして、ある程度歳も行って、たまに責任的立場にさせられてみると、

「酒席?大事だよ。必要に決まってんじゃん。誰もがシラフで言いたいことが言えるわけでもないんだよ。会議場で言えるわけでもないんだよ。酒席であったり、ロビーで休憩中であったり、喫煙所であったり、その人が意見を出しやすい場作りが必要だ!」

なんてわかった風のことを宣っていたりもした😅

で、現状は、また酒を飲まなくなったし、酒のんでの意見は、いち意見として聞くようにはしているけど、基本は、スルーしている。

でも、これが、気心知れているもん同士だと、酒のんだ席での意見でも大切にしちゃっている自分がいるのよ。

ね、いい加減でしょ。

結局は、酒のもうが飲むまいが、なんもないんだなわたし自身に。

一番いい加減なのはわたし自身なんだな、きっと。

ようやく、そのようだな、ということに思いがい向くようになってはきている。

でも結局は自分本位の判断をしているのだけれども。

視野を広げるとか、直すとかの世界ではないのよね。
そういうことである、そうなんだどこまでいっても、ってことを受け入れていくしかないんだな。

わたしが見ているのはそのものの一面でしかない。
わたしが聞いているのはその言葉の上辺だけでしかない。

そこだけは外さないようにしている。

自分の感覚に縛られて、貧素な感性でいるのはつまらない。

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