エンジニアの思い出1

大学院卒業後、10数年以上前に機械系エンジニアとして働き始めた。

都内の一部上場企業。でも赴任地は地方の工場。赴任地通知が送られて来て、まずは絶望。
見ず知らず、国内でもトップクラスの田舎。働くしかないので赴任したが、赴任してからまた絶望。
でもスーパーはあった。コンビニも11時にしまるけどあった。リアルにセブンイレブンの営業時間。
でも聞いたことなかった地方のコンビニだったけど。絶望しながら引っ越しの梱包を解き、部屋を一通り片付けた。これからここが唯一の癒しの場所。

寮だったが綺麗で食堂もあり、先輩たちも面白くて優しい。つながりは食堂で飯を食うときくらいだけど。
でも食堂で見かけるとみんな同じテーブルや近くに座り、おしゃべりしながら食べる。
もちろん忙しい時期は残業か多くなり会わなくなることもあったけど。

通勤は車。5分くらい。今考えると最高の通勤時間。最初は現場実習で何か機械を組み立てたり、削ったり溶接したり。
当時は至るところに灰皿があって、ほぼどこでもタバコが吸えた。だから仕事が一段落したら吸う。決められた休憩時間も吸う。
自分自身も吸っていたので、普通に吸いながら地元採用の人たちとおしゃべり。だいたいみんないい人。見るからに怖いおじさんもいるけど大体いい人。

現場実習も数ヶ月で終わり、設計業務を開始した。
大学で習ったけど、本気で描いたことはなかった。
ここでは自分の描いた図面通りに部品ができあがり、それが組み立てられて製品になる。装置メーカーで量産品ではないので、毎回図面を描きまくる。
改造依頼も来るので、どうやれば安く要望を達成できるか考えて、また描く。必要な部品も自分で探して購買する。主にミスミ。
ミスミのものもなぜか商社経由。届いたものは自分で員数確認。
今だともっと効率的な確認方法があるんだろうけど、昔は発注リストを印刷して、現物とリストをチェック。蛍光ペンでヌリヌリ。
大体定時後の仕事。

当時はサービス残業は当たり前。自分で予算を取った案件で、余りそうなら残業代はもらってた。
そんな感じで仕事をしていた。




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