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愛を受け取ること~傷つく事を恐れ愛を拒絶していた私~




自分の心身を1番大切にしようと思い、何よりも自分の心が楽なように、心地よく居られるように過ごすと、良い意味で自分が緩み、穏やかな気持ちになりました。
そして、至らない未熟な私も、どんな私もありのまま感じて否定せずに受け入れて、それで良いよと自分で自分を赦せるようになりました。
それは、自分に優しくなれる循環になり、自分の心を1番大事にする事に繋がりました。


数日前、両親への愛と憎しみは紙一重、表裏一体だと感じた時、両方の気持ちを感じきっている時に、愛する気持ちがあるからこそ憎しみの感情が生まれるとわかりました。
でも、いくら愛する気持ちがあっても、憎しみの気持ちは私自身はとても苦しいものだと知りました。憎しみの感情を感じたら感じた分、そのまま自分に返ってきました。憎しみの感情を感じる事は、自分の心を自分で傷つけているように思いました。
憎しみの感情を感じてしまう自分も受け入れて、大丈夫それでいいよと、感じきりましたが、その時に、憎しみの感情を感じる事は、自分を傷つけ苦し過ぎるからもういいと、もう感じたくない、と思いました。
愛と憎しみの感情の混沌を感じ、もう何とも言えない程に心身が疲れました。もういいと、もう十分だと感じました。


今の私は、自分の心は何よりも自分自身で守りたいものでした。息が出来ないと思った程に苦しかった心、向き合いをして救い出し、楽になった今の心は、もう誰にも、自分にさえも、傷つけさせたくない大切にしたいものでした。
私は私の心を守りたい、自分で自分の心を傷つけたくない、そう思いました。
そうしたら、もう愛だけ感じていたい...そんな心境になりました。現実にはなかなか難しい事なのかもしれません。でも、その時、もう憎しみなんて感じたくない...、無条件に愛したらいいんじゃないかと、無償の愛の気持ちでいる方が、私は心が楽で、平和で、幸せだと思いました。昇華して、忘れていこう、と。昇華して、空へ手放そう、と思いました。全て感じきり、赦して、水に流せるなら流してと、無理なくそう出来たら、もう私はそうして生きていたいと思いました。


そして後日、また静かに気づきがありました。

私は、両親は私を愛してくれなかった、と思い込んでいました。思い込んでしまった辛い理由も、事実としてありました。
その理由から私は、私は両親から愛されていないと思い、傷つき、自分でブロックを作りました。
辛いから、それ以上に傷つく事を恐れて、私も愛する事をやめようとして両親から離れました。
そこから離れるという選択は、間違っていなかったし、当時必要な対応だったと思います。(note記事 私の過去②~⑧)


その後は傷つく事を恐れ、愛される事を恐れ、逃げ続けました。
途中、お試しだったのでしょうか。でも当時の私には、(ブロック、思い込みをとる機会だと)気づけず、わかりませんでした。(note記事 私の過去⑨)
両親から与えられた愛は、私は自分が理想とする愛の形ではないと嘆きました。また、傷つく事になりました。
私が欲しい愛は、違う、こんな愛じゃない、と、両親からのコンタクトは拒みました。
それは、自分自身がまた再度、再再度、愛を受け取った後に更に深く傷つく事への強い恐れからの拒絶でした。


心を固く閉じて、愛を受け取れなくなっていた私でした。
本当に、愛は、手を伸ばせばいつもすぐ傍にたくさんあったかもしれないのに、気づけなくなっていた、気づかない私になっていたんだな...、と思いました。
本当に私は、なかなか気づけませんでした。
原因があったにせよ、私は強固なブロックを幾つも作り、自分に付けて生きてきてしまった。
全部、自分だったんだ... と、思いました。


本当は、両親との関係は無条件に愛し愛されたかったのに、それが叶わなくて、愛されていないと嘆き悲しみ、私も愛する事をやめて、逃げて、更に深く傷つく事を恐れて愛を拒絶するようになった。そんな私だったんです。弱い私だったんだな...と思ったら、寄り添って抱きしめたくなりました。いいんだよ、そんな弱い私でも、と思いました。そんな弱い自分を愛しいと思いました。


自分を責める気持ちも、両親を責める気持ちも、今は湧いてきません。きっと、誰も悪くないんです。
私も、両親も、きっと同じだったから。今、そう思います。両親も、私も、それぞれの家系に代々伝わる、大きな流れ、世代間連鎖の中にいたんだと思います。
愛は与えられても、条件付きの愛だった。それぞれ、その愛に気づかず、受け取れずに、納得せず、受け取らずに生きてきてしまった親子だったんだ...と思いました。


穏やかに冷静にそう見えて、そう思えた時、私は自分の過去を受け入れられた気がしました。
約半世紀、私にとってはこんなにも長い年月が掛かり、簡単な道のりでは無かった...という思いでしたが、今の自分を優しく受け入れて過ごす事で、過去の自分も受け入れる事が出来て、そうしたら、過去から繋がってきた、今の自分も全部受け入れられる気がしました。
本当に、色々あった事の全てが、今に繋がっていたのかなと、今こうして現時点で改めて感じています。たぶん、これから歩んだ地点でも、きっと同じように感じる気がしています。自分が体験してきた事、その体験から得た自分の中の光と闇は、きっとどちらも大切で必要な事でした。


両親は、両親の信じる物事に出会えて良かったね、と。両親は幸せだと、生まれて初めて、心の底からそう思えた気がしました。
そして、私は、私の信じる生き方をしていったらいいと、改めてそう思いました。


傷つく事を恐れて、愛を受け取らないように固く閉じてしまった心を、大切にしながらも、ゆっくり少しずつ開いていきたい。
無理せずに、適正な境界線を保ちながらも、自分自身と、まわりの人を信じて頼って生きたい。
すぐ傍にある、愛に気づいて生きたい。与えられる、与えられている、愛に気づいて、愛を受け取って感謝して生きていきたい。
自分を愛し、そして受け取って、満たされた愛情は、自然に溢れてまわりへ伝わって行くように思います。
愛に気づいて、受け取って満たして、私なりに愛を循環させて生きていきたいと思っています。


時々、記事に記録していた音楽は、
その日その時その瞬間の、私の気持ちに寄り添い癒してくれて、救ってくれて、自分の気持ちを、ありのまま感じて、素直に表現する事を助けてくれる、大切なものでした。
ちなみに今日は、こちらでした。


Umbrella/WONK





お読み頂き、ありがとうございました。





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